ブックマーク / sivad.hatenablog.com (8)

  • ペンと剣にまつわる4つのルール - 赤の女王とお茶を

    精神分析家でもありませんし、人の内面を探るのはあんまり好きじゃないので、「彼」についての素人分析はやめておきます。そこには歴史の積み重ねがあったとしかいえない。 気になったのはこちらの話。 「加藤の乱」を平成の血盟団事件にしないために 「加藤の乱」という呼び方はどうかと思うのだけれど、この事件が結果的に「剣」の役割を果たしたのは否定しようがないでしょう。 mkusunokさんは良心的に「それでもペンが強い」ことを主張なさっていますが、ペンと剣の関係は単純にどっちが強い、というものではないし、どっちも必要、という以上に複雑です。 思いつくままに、ペンと剣の関係について4つばかり挙げてみましょう。 1.ペンと剣が直接戦えば、剣が勝つ 2.お互いが同等の剣を持っている時、ペンに優れたものが勝つ 3.剣同士の戦いはゼロサムかマイナスサムだが、ペン同士の戦いはプラスサムになりうる 4.したがって剣で

    ペンと剣にまつわる4つのルール - 赤の女王とお茶を
    kkbt2
    kkbt2 2012/01/11
    「「ペンは剣より強い」という言葉自体は19世紀イギリスのリットンによる戯曲「リシュリュー」が出典といわれている」「原典ではこの言葉の前に「偉大なる者の統治の下では」という前置きがある」
  • 2008-01-07

    というには遅いですが、今年もよろしくお願いいたします。 2008年も例によってごくのんびりとしたペースになりそうです。 年末年始はほとんどはてなは見てなかったのですが、この辺、なんか年末からよく燃えていたようで。すでに焼け跡ですけど。 中心テーマについては地道な論証を重ねておられる方々の文章を読めばよいとして、私はそれこそメタな視点から一筆。 ある問題や構造について考える時、まず頭の中で、あるいは紙の上で論理的に整合性のある「大雑把なモデル」を作ってみるのはとても有用です。 自分でとりあえずの納得を得たいだけなら多くの人はこれで済ませてしまうでしょうし、また「5次元における生命のあり方」とか「集合的無意識の高次構造」だとか、現実的な検証にまで全然たどり着かないレベルの問題であればモデルをひねくり回して遊べば結構結構です。 しかし現実の問題を論じる際には、これではポケットを失くしたドラえもん

    2008-01-07
    kkbt2
    kkbt2 2008/12/28
    「「観察と実験」。 モデル上の整合性だけではなく、それが現実とどう対応しているのかを精緻に検証しようとする姿勢」これは自省するしかないところ。
  • 最悪にして最高の商売 - 赤の女王とお茶を

    ちょっとキナ臭いお話。 とある在米経験の長い投資家の方と話していて、「最悪のビジネスは何か?」という質問をされました。殺人や人身売買も考えたんですが、ちょっと思い付いて「麻薬」と答えると、正解ということでした。 殺人や人身売買は確かに極悪だけれども、麻薬はいろいろな意味でもっと悪質なんだそうです。習慣性や精神を蝕むこと、また「伝播」するコトなどがポイントだったかな。 これを聴きつつ思ったのは、結局ビジネスというのは麻薬への漸近線を辿るんだなぁ、ということでした。 「麻薬」の危険性は裏返せばほとんどがビジネスの「うまみ」なのです。 コストが安く利益が高い リピーターが得られる 欲求が亢進する 陳腐化しない 市場が自動的に広がる これらの項目だけ見れば、ビジネスにおける商品として理想的に見えますよね。事実、あらゆる商品やサービスはこういう方向に向けて改善を繰り返しているのではないでしょうか?

    最悪にして最高の商売 - 赤の女王とお茶を
    kkbt2
    kkbt2 2008/12/28
    「結局ビジネスというのは麻薬への漸近線を辿る」あと宗教もそうかな。。
  • 赤の女王とお茶を - 抽象化できない体験は語られない

    からなあ。 私達は、自らの人生ゲームになぞらえる程にメタ化視点に慣れすぎている 語られる人生や体験というものは必然的に抽象化できる範囲に留まっています。逆に、その範囲に留まる人生はメタ化もゲーム化も容易となる。 そして、その人がどういうインターフェイス、メディア上で人生や生活を送るかによって、その体験がメタ化しやすいかどうかも決まってくるわけです。 言葉で描かれる人生は言葉で描くことのできる範囲を超えることはない。 システムで描かれる体験はシステムで描くことのできる範囲を超えることはない。 抽象化というのは切り捨てるということ。 つまり情報というものは常に何かを切り捨てて成立しているということであり、それを踏まえておけばその取り扱い方もなんとなく分かってくるような気がします。 思うに、人生を面白くする一つの方法は、「抽象化できない体験」をすることです。 科学には再現性が必要だけど、人生

    赤の女王とお茶を - 抽象化できない体験は語られない
    kkbt2
    kkbt2 2008/12/28
    「人生を面白くする一つの方法は、「抽象化できない体験」をすることです。 科学には再現性が必要だけど、人生は時に再現性がない方が面白い。」
  • 赤の女王とお茶を-倫理の根源は想像力にあると思う

    mojimojiさんからTBをいただいたので応答しておこうと思います。 まず、前回は森岡さんの土俵に乗るつもりがなかったので直接書きませんでしたが、森岡さんの問い ホームレスのそばを通り過ぎたとき「間接的ではあろうが、私は他人を見殺しにすることに加担した」と言えるであろうか への答えは「言える。ただし、加担していない、とも言える。」になります。可能かどうかということであれば、いずれも可能というしかありません。 倫理や責任の根拠の一つに「因果関係」は確かに使われるけれども、それは必ずしも堅牢なものではないことは何度か書きました。 ではその他の根拠は何かというと、あと2つほど考えられると思います。 一つは社会運営上のルールとしての根拠。 これがmojimojiさんが批判される 法的責任や倫理的責任は、制度として「創造される」 という側面にあたります。 が、mojimojiさんも こういう議論に

    赤の女王とお茶を-倫理の根源は想像力にあると思う
    kkbt2
    kkbt2 2008/12/28
    「他人にいちいち共感せず、サイエンス化した「感情操作技術」を用いてマスを捌いていくことこそが「仕事」になるのです。 そして、「倫理」の根源たる「想像力」も失われていく。」うーむ。
  • アメリカの閣僚が優秀な本当の理由 - 赤の女王とお茶を

    明日は日曜だから官僚の俺が独り言を書いてみる などを読んでいて。 官僚氏、なかなか熱い。 いろいろと理想を持ちながら、そもそも「官僚が国を動かす」ということ自体が間違っていることに気づいて政治志向になっていく様子がよくわかります。この人いずれやめそうだなぁ。 例によってアメリカとの比較がいろいろ出てくるんですが、 クリントン政権の全閣僚31人のうち、20人は弁護士、6人はPh.D持ち、6人は学者。 ベスト&ブライテストじゃないですが、確かに向こうの政治家には専門家クラスや博士号持ちがウジャウジャしています。 なぜか? 先日アメリカで開催されたAAASの年会に出席された方の報告の中に、ロビイストに関するかなーり面白い話があったのでご紹介します。 あ、ちなみにAAAS(American Association for the Advancement of Science)とは日の理系が敗北す

    アメリカの閣僚が優秀な本当の理由 - 赤の女王とお茶を
    kkbt2
    kkbt2 2008/02/27
    これからは自治のフェーズであると。「じゃあおまえがやれよ」をなくすにはどうしたらよいか?ロビイングが成り立ちにくいとしたら、その背景にはフェアネスや嫉妬に対する別の文化があるだろうか
  • フラット化は局所ルールを破壊する - 赤の女王とお茶を 

    「うわべだけ規則に従って、規則違反はコッソリやるべし」という規律は、「健全な社会」にとって極めて重要である。 問題だけどたいして問題じゃないこと、悪いことだけどたいして悪くないこと、が、世の中にはたくさんある。そしてそれらは、コッソリ行なわれなければならない。 もちろん、いくら「コッソリ」見つからないからといって、何でもやっていいということにはなりません。グレーの領域には、グレーの領域なりの「ルール」があるわけです。「仁義」だとか「面子」だとか呼ばれることもある例のやつですよ。 別にグレーの領域に限りません。世の中一つのルールで全部治められるほど単純じゃない。それなら大工の息子とか家出した王子とかがとっくに世界を統一していることでしょう。 ただ人間がスゴイのは、そういう世界の多様性をうまく利用して価値に変えてきたこと。 民主主義、市場、科学。 これらは人間や世界が多様であることを前提とした

    フラット化は局所ルールを破壊する - 赤の女王とお茶を 
    kkbt2
    kkbt2 2007/12/06
    個としてどう振る舞うか、悩みどころ。ギャップを埋めまくっても(その力で?)新たにギャップが生成される、みたいな構造はあるんだろうか
  • 「名誉」はゲーム続行のからくりなのかも - 赤の女王とお茶を

    なと思ったり。 囚人のジレンマによると、 ゲームの繰り返し回数nを両方の囚人がともに知っていた場合は、全ての回で囚人がともに「裏切り」を選択する事が分かっている。 不確定要素はゲームにおける戦略・振る舞いに強い影響を与えますが、特に「残り回数」というのは大きなファクターだと考えられています。 「残り回数」。 いやな言葉ですが、人間にも「残り回数」は厳然として存在します。 人間の死亡率は今のところ100%なわけで、どんな人であろうとゲーム/関係の機会は有限です。とはいえ、若い時から自分の残り人生をカウントすることはあまりないでしょうし、カウントしてもブレが大きいのでその量的な有限性を明確に意識することはありません。 しかし、40を超え、50にたどり着く辺りから、「カウント」の冷たい音がカチカチと聴こえはじめます。 もはや漠然とした有限性ではなく、確実で明確な「残り回数」が見え始める。 ここで

    「名誉」はゲーム続行のからくりなのかも - 赤の女王とお茶を
    kkbt2
    kkbt2 2007/11/07
    これはおもしろい視点。名誉のほかに、たしなみとか粋とか、そういうシステムがありそう。
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