2020年2月1日のブックマーク (6件)

  • 学生のときにエキストラのボランティアをやった

    もう数年前、学生だったときに自分が通っていた大学がドラマのロケ地に選ばれて、撮影のエキストラを学内で募集していた。 興味位から自分もエキストラに応募した。当日は一般学生の使用を禁止し、いつものキャンバスに撮影スタッフが大勢来ていて、なんだかドキドキした。 エキストラはキャンバスの中の通行人役で、シーンに合わせて何度も同じことをやる必要があり、思った以上に大変だった。撮影が4時間ほどすぎ、小休止の時間がとられた。自分は喫煙者だったので、近くの喫煙所に行った。喫煙所にはすでに1人の男性がタバコを吸っていた。 自分もタバコを吸いながら、何気なく話しかけた。 「いやー、撮影って大変ですね」 「今日はちょっと押してますね」 「よくエキストラには参加するんですか?」 「いえ、エキストラではないのですが、ドラマの仕事をしています」 「へー、そうなんですね」 そんなたわいもない話をし、休憩時間が終わった

    学生のときにエキストラのボランティアをやった
    kkzy9
    kkzy9 2020/02/01
    シュンくんって呼ぶの?
  • 「そうですね」

    今日ファミレスで ------------------- 店員「こちら〇〇定でーす。」 女客「あれ。私、白米じゃなくて雑穀米で頼んだんですけど…」 店員「大変失礼いたしました。直ちにお取替えします。」 女客「そうですね。お願いします。」 ------------------- この「そうですね」の違和感、わかりますか? 俺なら絶対言わない「そうですね」なんだよなぁ。

    「そうですね」
    kkzy9
    kkzy9 2020/02/01
    「んなぁーこたぁないよ」
  • イケダハヤトとは何だったのか|吉家孝太郎|note

    「まだ東京で消耗してるの?」 という文言は、意識の高いネット界隈において、 21世紀最大のキャッチコピーだったと言ってよい。あるいは 平成最大のキャッチコピーでもよいだろう。 これまで、ネット界隈では、数々のブロガーさんやら、ライターさんが、日々精進しながら、 ”面白く、刺さるフレーズ”やら、 ”心を動かす名言”なるものを生み出だそうとしているが、 まだイケダハヤト氏の発した上記のフレーズにかなうものはいない。 その意味では、この一フレーズだけでも、イケダハヤト氏が、名実ともにネット界のトップブロガーの1人であることは、間違いないと断言できる。 しかし、このネット界の万人に愛され、時には妬まれ、そしてまた崇敬の念を一手に集めたイケダハヤトという存在を 「いったい、彼はなんだったのか」と個人的にまとめてしまおうというのが、今回のテーマである。 すでに賢明なる読者諸君はお気づきだと思うが、イケ

    イケダハヤトとは何だったのか|吉家孝太郎|note
    kkzy9
    kkzy9 2020/02/01
    読むほどではなくて途中抜け
  • まとめよう、あつまろう - Togetter

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    kkzy9
    kkzy9 2020/02/01
    オタクかどうかではなく、そいつの問題では
  • お笑い芸人の世代分けを再考する

    多くの人はこちらのWikipediaの記事を参照していると思われる。 日お笑い史 - Wikipedia この記事も踏まえた上で、実際に主だった芸人を「活動開始時期」や「人気が出た過程」で並べ、あらためて世代分けを考えてみたい。 芸名活動開始人気が出た年代備考横山エンタツ・花菱アチャコ1930年1930年代しゃべくり漫才の元祖。コンビとしては1934年に解散するが、それから60年代までラジオや映画などで活躍。アチャコは吉の看板芸人となる。夢路いとし・喜味こいし1937年1950年代1949年ごろからラジオ番組『上方演芸会』に出演して名をあげる。いとしが亡くなる2003年まで漫才を続けて「上方漫才の宝」と称される。中田ダイマル・ラケット1941年1950年代1957年開始のテレビ番組『ダイラケのびっくり捕物帖』はテレビの「上方コメディ」番組の元祖。ザ・ドリフターズ1956年1960年代1

    お笑い芸人の世代分けを再考する
  • 「生物なんだから子どもは産むべきだ」の声に潰されないために|中村 佳太|エッセイスト,コーヒー焙煎家

    子どもを産むべきかどうかを思い悩む気持ちが切実に、リアルに伝わってくる文章だった。ひとりの人間として、社会に生きる人間として、生物である人間として、多面的で複雑な感情と思考が綴られている。 この問いはとても深く、重い。当然、答えを出すことはとてつもなく難しい。ただ、僕はこのnoteを読んでひとつだけ大きな声で言いたくなったことがある。それはこの部分に関してだ。 ヒトという種の保存のためには、結婚とかはどうでもいいからとかく子供は作っているべきなんだろう、と思う。 生き方が多様化して、様々な立場や状況におかれている私たちは「一般論」を語ることが難しくなっている。でも私は私が生まれているのだから、やっぱり生物学的には子供を作るのが、自分の役割なんだろうと思ってしまう。 この「生物なのだから人類という種の保存のために子どもは作るべき」という理屈に関してだけは、僕は全力で反論したい。もしこの理屈が

    「生物なんだから子どもは産むべきだ」の声に潰されないために|中村 佳太|エッセイスト,コーヒー焙煎家
    kkzy9
    kkzy9 2020/02/01