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言葉とblogに関するklim0824のブックマーク (6)

  • ブログと「書く」「話す」「デザインする」 - 花見川の日記

    http://webcolumn.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-5a65.html (via:まなめはうす) メールやブログや掲示板でのコミュニケーションを、「書く」と見るか「話す」と見るか、これはかなり微妙な問題です。私は「書く」と見てしまいますが、それが正しいと言い切れるわけでもありません。実際は、「書く」でも「話す」でもない、別のことと見るのが正しいのかもしれません。 ブログと「書く」 自分の中では「書く」という感覚が最も大きくて、次に「デザインする」という感覚が来て、Twitterなどのミニブログにおいてのみ「話す」「独り言」の感覚が来る印象。 家(花見川の日記)ではまず何を述べるかという「論」を軽く箇条書きにしてみて、そこから細部をブログの編集画面と相談しながら決めていく。その細部は敢えて感覚任せにしてあって、たとえ同じ事を書くとしても

    ブログと「書く」「話す」「デザインする」 - 花見川の日記
  • ブログは話している: WebColumn

  • 言葉は傷つけるためのものではなく、伝えるためのもの - もっこもこっ

    私の中に言葉は傷つけるためのものではなく、伝えるためのものっていうのがある。 きれいごとかもしれないけれど。 攻撃的な言葉、文章を目にすると哀しくなる。 言いたいことを言うために、伝えたいことを伝えるために、攻撃的にならなくてもよいと思う。 怒っていることを伝えたいのなら、なおさら。 相手をどうにかしたいのなら、なおさら。 攻撃的に出れば、相手も攻撃的になる。 喧嘩腰で望めば、相手もそういう態度で迎え撃とうとする。 以前の職場の上司にとても攻撃的な言葉づかいの人がいた。 私も攻撃された。トイレに行って泣いた。 職場での立場上、私は反撃できなかった。 ある日、私は言った。 できるだけ穏やかに静かに丁寧にこんな感じで。 「私の仕事のやり方、結果に不満があるのなら、これは、こうこうしてほしい、こんな風にしてほしいとそういう言い方して欲しいんですけど」 「私は○○さん(上司の名前)のその言い方に傷

    言葉は傷つけるためのものではなく、伝えるためのもの - もっこもこっ
  • 日本語は芸術、ブログも芸術。 - 304 Not Modified

    ふとこの発言を目にして思ったのですが、日語って自由ですよね。英語とかって、順番の言語じゃないですか。ちゃんと主語があって文法の並びもしっかりしていないと通じない。でも、日語なんて主語がなくても良いし文法の並びもばらばらでも通じる。だから、日語は聞き手が考えて理解するしかない。逆に英語等は話し手が考えてきっちりした言語を話す感じ。 こう考えると、日語コミュニケーションって話をしている方が楽なのかな?って思いません?聞いて理解している方が大変なんだぞ、みたいな。テキトーなことを話していても聞き手ががんばって都合のいいように理解してくれてちゃんと会話になるんじゃないかと。このブログも日語はグダグダですがみなさん読んでくれますし・・・ 読むといえば日語は読む言語でもありますよね。日人は道に迷うと地図を探して読む人が多いですが、欧米ではまず人に聞く。なんでなんだろーと考えて出した私の結

    日本語は芸術、ブログも芸術。 - 304 Not Modified
  • ブログで言及する公人に、どう敬称をつけるべきか :Heartlogic

    ブログで言及する公人に、どう敬称をつけるべきか 最近考えています。ブロガーとしての上品な振る舞い方とは、どんなものなのかと。 ブログを書く際、敬称をどうつけるべきか悩むことが多くなりました。従来、公人(大まかな定義として、=著名人)には敬称をつけないことにしていましたが、ブログを公開しており、対話の機会を持つ可能性のある人を呼び捨てにするのは、単に失礼な気がしています。 「氏」は女性につけると妙に堅苦しいし、使い分けも面倒です。で、とりあえずブログを公開している公人には「さん」をつけるようにしようかなと。 最近の例:木村剛さん、手嶋ゆうさん だからといって「松井稼頭央さん」というのも微妙なような……。 文章を書く者にとってひとつの指針となる「記者ハンドブック(手元にあるのは第8版)」によると、敬称の扱い方について、次のようなことが書かれています。 ・原則として「氏、さん、君、ちゃん」を使う

  • http://nf-nanami.com/archives/2008/08/post-56.php

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