タグ

ブックマーク / sinseihikikomori.sblo.jp (3)

  • 読みたくないブログは書かない。 - 真性引き篭もり

    僕のブログには1452のエントリーと、13988のコメントと、529のトラックバックがある。投稿ボタンを押す度にコメントを十個読み、投稿ボタンを三度押す度に、トラックバックを1つ読んできた。それが僕の人生だった。 ブログを書きたいと、思った事はあった。ブログを書きたいと思った事はあったけれど、コメントを読みたいと思った事はただの一度も無い。無いにも関わらず、僕は自分が書いたブログの10倍のコメントを読まされ続けてきた。 いつからか、僕にとってのブログを書くという事は、ブログを書くという行為ではなく、コメントを読まされるという行為そのものだった。15000のコメントの中で僕自身が読むに値すると思ったコメントは精々4つ。雑多なものを全て含めても20に満たないだろう。 「ブログを書きたくない」と感じるようになるのは、当然の帰趨だった。けれども、それは、ブログを書きたくなかったわけではない。ブログ

  • 僕のブログは誰が読んでいるの?僕は誰に向けて書いているの? - 真性引き篭もり

    ブログに対する思いはある。情熱もある。今すぐに書きたいエントリーも、いつか書きたい事柄もある。幾つもある。ブログを書きたい、書きたい、と思っている。寝ても覚めても思っている。けれども、僕は失ってしまった。ブログを書くという意志を失ってしまった。 僕はブログを読んで不幸になり、ブログを書いて不幸になった。「問題はブログではなく、それ以外の時間における己の身の振り方である」と言われれば、それまでだ。それまでだけれど、僕がブログを読んで不幸になったのは事実であるし、ブログを書いて不幸になったのも事実である。正確に書き表すならば、それは不幸せなどではなく、身の破滅である。それ以上に僕は、ブログを読むことで、あるいはブログを書く事で、幾人もの人を不幸せにしたのだと思う。いや、不幸せにした、などという生ぬるいものではなく、身の破滅に追いやったのだ。僕がブロガーにならなければ、傷つくことの無かった人を、

  • ブログの読者を自称する、悦に入りたいだけの人達。 - 真性引き篭もり

    悦に入りたいが為だけに、他人に粘着する人達が世の中には大勢居る。たとえば、唐沢俊一に対する町山智浩などがそれである。あるいは、la_causette、痛いニュース、池田信夫 blogなどを購読している人間も、大方その種の人間であろう。 そういった、悦に入りたいだけの連中と、それ以外の人達を見分けるのは、至って簡単である。悦に入りたいだけの連中の、アウトプットを見ればよい。もしもその人が悦に入りたいだけの人達のお仲間であるならば、失望の表明、あるいは、失笑の表明、侮蔑の表明といった類の書き物が、すぐに見つかるだろう。 悦に入りたいだけの連中は、軽蔑や嘲笑、あるいは失望や失笑といった類の感情を抱きたいだけなのである。そして、それを他人に見せびらかしたいだけなのである。そうする事で、自らが、いかにも人間である事を、他者に表明したいだけなのである。 連中は、その為だけにインターネットを徘徊し、自ら

  • 1