前回「コップの中の嵐」で、次のように述べた。 言うまでもないことだが、長瀬が私に対して集団で行おうとしたことこそ、ジラールが繰り返し論じている模倣の欲望による集合暴力なのである。自分の自尊心に気づいていない集団の成員が、結局そのため、模倣の欲望に憑かれ、互いの欲望を模倣し、個性を失い均質化される。そして、集団にとって異質な存在を「犠牲の山羊」として血祭りにあげ、排除するのだ。たとえば、佐藤優が岩波の『世界』編集部の金光翔に集合的暴力をふるい編集部から追い出したのも、佐藤や『世界』編集部の人々が自尊心の病に憑かれていたためだ。このような佐藤と『世界』編集部の振る舞いを批判するため、私は「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」に署名した。 しかし、ジラール理論を知っていて、同時に、自分の自尊心の病に気づいているという二つの条件を満たしている人にとって、以上のことは「言うまでもないこと」だろうが、そ