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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (8)

  • 王侯貴族のチケット - 傘をひらいて、空を

    ちかごろはどう、と彼は訊いた。総じて敗北している、と私はこたえる。ラブ的な意味で、と彼は念を押す。ラブ的な意味で、と私はうなずく。僕も敗北続きだねと彼は言う。私たちは同じ会社に勤めていて、ときおり事をともにする。 私たちはお互いの様子を眺め、だいじょうぶ、私たちの敗北はきっと永遠ではない、という意味のせりふを言いあった。もう自分には需要がないのでは、と弱気になったとき、それを否定してくれるとわかっている異性の友だちと話す。いいことだ。 予定調和、と彼は小さい声で言って、インドカレーとナンの皿を視線で走査した。きっと両方がちょうどよくなくなるように計算しているのだ。私はとうにそれをあきらめている。 予定調和は大切だよと私はこたえる。心がなぐさめられるし、お互いを理解しているという証にもなる。でもつまらないと彼は言う。それを必要としている自分の状態がつまらない。 カリヤさんと会ってると訊くと

    王侯貴族のチケット - 傘をひらいて、空を
  • 新しいから傷つける - 傘をひらいて、空を

    友だちの家のPCの動作がおかしいというので見にいった。だいぶ古くて起動に十分もかかる状態だったので、さしあたり彼女が必要としているDVDの再生ができるようにクリーンインストールすることにした。 彼女の仕事用の携帯電話が鳴り、彼女は私にことわって出た。はい、いつもお世話になっております。いえいえ、はい、なるほど、担当がそのようなことを申しましたか。 彼女は五分ほど電話で話しつづけた。ほとんどは相槌だった。いろいろな種類の、さまざまな重さの、一定以上の温度を保った相槌だ。彼女はそのあと、仕事にしてはいささか親しげに短く笑って、いいえ、いいんですよ、と言ってから電話を切った。 私はBIOSを確認し、それを覗いた彼女はなんだか怖そうな画面、とつぶやく。怖くないよ、これはWindowsの下に入っているソフトなんだよと私は説明する。 ディスクがかりかりと音をたてて書きこみをはじめる。私は彼女の出してく

    新しいから傷つける - 傘をひらいて、空を
  • 小さいことを考える - 傘をひらいて、空を

    今日は何してた、と彼女が訊くので、久しぶりに会ったのに「近ごろは何してた」じゃないのか、ちょっと変わってるな、と思って、でもこたえた。 昨夜のうちに洗っておいた洗濯物を脱水して干してから家を出て、そう、冬物をちょっとずつ洗ってるの、駅で転んで足首をひねって、うん大丈夫、でもテーピングしたところがかゆい、えっと、仕事は、会議に出て、書類つくった、ここの突きだしはおいしいねえ、筍もそろそろおしまいだねえ。 筍、と彼女は言った。うん筍、と私はこたえた。そういうのってどうして考えるの、と彼女が訊くので、そりゃあ筍はおいしいからだよと私はこたえる。下ゆでしたての筍ってとうもろこしみたいな匂いするよね、あれってなんなのかな。 なるほどと彼女は言い、質問を重ねる。仕事仲間となにかしゃべった。私はビールをごくごく飲んでそれを思いだす。えっと、今日は、うわさ話、急におしゃれになった人がいるの、恋かしら、きゃ

    小さいことを考える - 傘をひらいて、空を
  • 美しくないものが美しくなろうとすること - 傘をひらいて、空を

    やっぱりこれちょっと裾が短い、と彼女は言った。私のも短いけど買うよ、レギンスが定番になってほんとうによかったなあ、と私は言った。私たちはそれぞれ、試着室に戻って着がえた。 エスカレータに乗って建物を下り、ずらりと並んだマニキュアを見ながら彼女が言う。ねえ昔、二十歳のころに読んだ小説にね、爪が三角の女が出てきたの。爪が三角、と私は繰りかえす。彼女は言う。 そう、少し年をとった女で、派手にしていて、爪を磨いているんだけれど、細く整えようとして両端を削って、でも下のほうは広いままだから三角になっている、それを主人公が意地悪く見とがめるっていう場面があってね、すごくいやだと思った。 私たちはマニキュアの棚を通りすぎる。きれいなものがたくさん置いてある。きらきらしたもの、色とりどりのもの、何に使われるかよくわからないもの。どうしていやだったのと私は訊く。彼女は続ける。 だって、爪が三角になったのは、

    美しくないものが美しくなろうとすること - 傘をひらいて、空を
  • 世界に対する負債の感覚 - 傘をひらいて、空を

    高校生のとき、電車に乗っていて、後ろから頭をたたかれた。そんなに強い力ではなかった。驚いて何秒か動けなかった。振りかえると男性がいて、私がとにかく悪いという意味のことをまくしたて、おそらくはそれで私の頭に接触した鞄を何度か私の目の前に突きだしてから、電車を降りた。彼は視界の端に消えるまで私をしかと見つめ、非常識なのは私で、殴られて当然なのだという様子をしていた。 私はそのできごとをうまく解釈できなかった。私はそのときまで、(物理的なものにせよことばを経由したものにせよ)暴力は濃密な関係性のなかで発生するものだと思っていた。そのあとしばらくしてからも、実質的な被害がなかったことを理由に、その記憶を放っておいた。 けれどもこのところ、そのできごとが気にかかる。それで友だちに話して感想を聞いた。 彼は言う。 ただ生きているだけでおまえが悪い、と言われることはある。殴られることもある。僕はそれはあ

    世界に対する負債の感覚 - 傘をひらいて、空を
  • 記事一覧 - 傘をひらいて、空を

    仕事やめたんだあ。 友人が言う。皆が一斉に失業保険について質問する。もうやったか。自己都合退職でももらえる。手続きはこう、必要な書類はこう。 その場にいる全員が失業保険の申請をしたことがある、または申請方法を調べたことがあるのだから、就職氷…

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  • 作文が終わらない - 傘をひらいて、空を

    七つの女の子と話をしていたら、作文が終わらなくて困っているという。彼女は小さい子にしては要領よくしゃべるんだけれども、なにしろ七歳は七歳なので、話がくどい。しかもしょっちゅう脱線する。最後まで聞いて推測するに、どうやら何を書いて何を省くかがわからないので作文が長くなっている、ということらしかった。 学校の授業の作文で七五三の話を書くことにして、けれども原稿用紙六枚書いてもまだ、当日の朝ごはんが終わらない。メニューとその匂い、湯気のようす、パンの焼き加減の好みに関する主張で六枚目が終わってしまった。今までのぶんを捨てて書き直すべきか、という意味のことを、彼女は言う。読ませて頂戴と言うと、ずいぶんとはずかしがってから、結局読ませてくれた。 八枚切りのパンを焦げるぎりぎりのところまで熱してからバターを塗り、しみこませてべる、ジャムはパンに塗るべきではない、ヨーグルトにいっぱい入れたほうがいい、

    作文が終わらない - 傘をひらいて、空を
  • 価値を感じることができない - 傘をひらいて、空を

    そのとき私は十七歳で、スーパーマーケットのレジ打ちをしていた。その店には万引きを示す暗号があって、「まるいち」というのだった。それを伝言ゲーム式に伝えるのだ。私がアルバイトをしているあいだにその暗号を聞いたのは一度きりだった。私はなんだかどきどきしながら、それを同じレジにいた仲間に伝えた。 それから少し経って、控え室でポップを書いていると、帳簿をつけていた店長が、このあいだ万引きいたよね、と言った。いましたねと私はこたえた。店長は当時としても旧式の、大きなPCに向かったまま話した。 万引きの損害は痛いし、窃盗は犯罪だし、だから俺は腹を立てるわけだけどさ、子どもの、子どもっていうか高校生くらいまでの子の万引きって、気持ちの上で引きずることはないんだ。なんていうか、子どもの万引きは、商品が欲しくてやってるんじゃないのが大半で、ものがわかってなくってゲームっぽくやっちゃうとか、仲間がやれって言う

    価値を感じることができない - 傘をひらいて、空を
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