津波から一ヶ月あまり。4/16未明、避難所で暮らすひとりの高校生が呟きました。高校生の目を通じて被災地の現実を。 (被災地の状況は日々変わります。最新情報はツイッター等で) [関連] 良記事(日経):届かぬ被災地の声、支援阻む「情報断絶」http://t.co/LG9LXSI 2011/4/16(日経)
![陸前高田の高校生の訴え](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f01909e8e00e8adb69906f7445534090c0226ac7/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F4f499fe7221c77aa28942aff10710954-1200x630.png)
今般の東日本大震災をうけて、Jリーグで活躍したブラジル人サッカー選手のワシントン氏より日本の皆さまに送られたメッセージをサンパウロ在住のIVOCOSTA氏(元・NHK国際放送 記者・アナウンサー)のご好意により、弊クラブのホームページでご紹介させていただきます。 ワシントン氏 メッセージ 翻訳:羽生直行 日本の皆様へ 津波に襲われた地域が復興へ向けて頑張っている姿を日々ニュースで見守っています。衝撃的な破壊の映像をみて感じた悲しみはとても大きなものでした。そしていま、この状況に立ち向かう日本人の勇姿をみると、その悲しみに負けないくらいの強い希望と、皆様に対する誇りを感じます。 日本は歴史的に、度重なる地震や自然災害に襲われてきましたが、それに屈しない強い意志で立ち直り続けてきました。また、悲惨な第二次世界大戦で、多大な命を奪った二発の原子爆弾が投下された際にも規律、そして知力を試されました
mixiを見られない人のために転載させていただきました。 ■仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激 (読売新聞 - 04月16日 17:45) http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1572499&media_id=20 mixi以外の方はこちら http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110416-OYT1T00585.htm?from=main4 このARIGATOを書いたご本人の日記を。 日記で転載&リンクして下さってた方を発見。 ご本人の日記を読ませて頂き。 ARIGATOの裏側を知って。 なんだか凄くあったかい気持ちを貰ったのでお裾分け転載。 転載は【ウエシマ作戦】でご自由にどうぞ。どうぞ。 との事です。 *******以下転載(転載先には写真も沢山ありました^^)******** http://mi
全国シェアの9割以上を占める三陸産ホヤと銀ザケの養殖場が、東日本大震災の津波で全滅していたことが分かった。 ホヤは養殖に3〜4年かかり、今年の出荷はおろか、今後の再開のめども全く立っていない。地元の養殖業者らは落胆の色を濃くしている。 宮城、岩手両県の漁協によると、津波で両県の25漁協のホヤ養殖場が全滅した。年間約800トンを出荷する宮城県石巻市の鮫浦湾では、養殖イカダが岸に流れ着き、がれきとともに山積みになっている。ホヤの保管倉庫は骨組みだけになってしまっている。 「海のパイナップル」と呼ばれるホヤはカキ殻に付着させた幼生をイカダにつるし、湾内で3〜4年かけて育てる。今季も順調に生育していた。養殖歴約30年の阿部敬喜さん(66)は「4年かけて収穫できる直前だったのに」と肩を落とした。 2009年の全国のホヤ水揚げ1万937トンのうち宮城が8986トン、岩手が1485トン。両県で96%を占
歴史資料散逸させぬ 仙台のNPOが現地調査 被災した旧家の土蔵から、古文書を運び出す宮城歴史資料保全ネットワークのスタッフ=8日、石巻市 震災による歴史資料の散逸を防ごうと、古文書や文化財の保存に取り組むNPO法人「宮城歴史資料保全ネットワーク」(仙台市)の現地調査が始まった。8日には、津波で損壊した石巻市の旧家の土蔵から古文書を運び出した。 ネットワークの歴史研究者ら11人が訪れたのは、かつて回船問屋を営んでいた石巻市門脇町の本間家。1897(明治30)年築造で、母屋と倉庫が津波で倒壊した。外壁の一部が崩れながらも唯一残った土蔵の2階に、江戸との交易記録など古文書が多数残っていた。 研究者らは、土蔵にあった江戸後期―大正期ごろの史料数千点を分類し、保存先となる多賀城市の東北歴史博物館に運んだ。 これまでもネットワークの調査に協力してきた当主の本間英一さん(62)は「土蔵も解体せざる
長渕、復興へ固い絆 自衛隊員1500人と大合唱 シンガー・ソングライターの長渕剛(54)が16日、東日本大震災の支援活動を行っている宮城・東松島市の航空自衛隊松島基地を慰問した。がれき除去などのため全国から集結した自衛隊員約1500人と「乾杯」を大合唱。津波で町が破壊された被災地や避難所も訪れた長渕は、「絆を大事にして、少しずつ前に進んでいこうよ」と訴えた。 松島基地の格納庫内に作った簡易ステージで、長渕はギター1本を手に「乾杯」を歌い始めた。「固い絆に 思いを寄せて―」。緑色の制服に身を包んだ自衛隊員約1500人が、全員で肩を組み、力の限り声を張り上げた。 強い結束を歌うこの曲と共に、隊員に向かって「一日も早い復興を祈っている。一緒に頑張ろうぜ」と呼びかけた。「巡恋歌」では拳を突き上げ大合唱し、「とんぼ」など6曲を歌い上げた。「皆さんは僕の誇りです。大事な、大事な、大事な、誇りです」と、
J1仙台は16日、J1大宮との練習試合2戦でMF太田吉彰(27)らが4得点。課題だった攻撃力に光が見えた。 仙台との練習試合で先制点を決めた大宮DF村上が試合後、アウェー応援席へ。寄せ書きの入った仙台のフラッグをサポーターから受け取った。仙台在籍歴のある村上は、大宮が被災地への支援物資を集める際にとりまとめ役をするなど、率先して活動。個人的に差し入れなどもした関係で、謝意を示された。村上は「選手としてできることを、これからもやっていきたい」と話した。(NAC) (紙面から)
J1仙台は16日、J1大宮との練習試合2戦でMF太田吉彰(27)らが4得点。課題だった攻撃力に光が見えた。 光が見えてきた。1本目、0−1の後半30分。MF太田が敵DF陣の裏へ抜け出し、会心のゴールゲット。東北から駆けつけたサポーターと喜びを分かち合った。 「点を取れていなかったので、よかった。自分が仕掛けるしかないと思っている」と太田。仙台はJ1通算109得点のマルキーニョスが地震を恐れて退団、同101得点の柳沢が左ひざ手術など主力FWに離脱が相次ぐ。13日の練習試合では格下J2の湘南相手に135分間(45分×3)無得点と、得点力低下の不安が浮き彫りになっていた。日本代表招集歴もある太田への期待は大きく、3トップの一角で1本目に先発していた。 手倉森監督も「太田は持ち味を出してくれた」と評価。前夜はミーティングを敢行し、特別な1年への思いを選手に投げかけていたが、2本目もMF関口らが3得
地震、その時mixiは 「頑張っぺし」――集まる被災者の声、飛び交う超ローカル情報:今こそIT・ネットの出番(1/2 ページ) 「切実にガソリンが欲しい。体は元気なのに何も出来ない!」「頑張ってと言われるのが辛い。愚痴です。スルーしてください」「ラーメンが食べたい」「明日はエイプリルフールだから全部うそだって言って」――。2200万会員を抱える国内最大のSNS「mixi」には、東日本大震災の被災者の書き込みが相次いでいる。 地域ごとの「コミュニティ」では、友人や知人の実名を明かし、安否確認を求める投稿が後を絶たない。個人商店の営業時間など、被災地の超ローカルな情報も飛び交う。mixi日記は3月12日、東北地方からの投稿が44%増えた。 「生死に関わるコミュニケーションにmixiが使われているのを見て、ぐーっと背中に緊張が走る思いだ」と、ミクシィの原田明典副社長は語る。 日記からボイスへ 主
◇科学的教養、必要な時代 限られた資源をどう配分するか--すべての人の要求を満たせない以上、あれもこれもは不可能。だから厳しくても優先順位を決め、より多くの同意を得ながら事を進めていくというのが本来の「政治」の役割だ。しかし、同時に民主主義国家においては、権利と義務はセット。今回の電力問題のように技術や科学がからむ資源配分の問題では、有権者の側にもその問題を理解する努力が求められる。 まず理解しないといけないのは、電力網というシステムが、不断の努力でバランスを取っている「動的平衡系」だということだ。電力の需要と供給は常にある幅の中でバランスをとっていなければならない。多すぎても少なすぎても破綻する。本格的な理解をするには電気工学の高度な知識が必要となるが、近いアナロジーとしては「手すりのないシーソー」がいいだろう。 シーソーの一方が需要側。何千万もの利用者がスイッチをオン・オフするたび、バ
「具体的な説明遅い」教室明け渡しで避難者、不満爆発 市の対応の遅さに批判が相次いだ説明会=15日、石巻市大街道小 東日本大震災で多数の被災者が小中学校の教室で生活している石巻市で15日、避難者に体育館や別の施設に移るよう求める市の説明会が初めて開かれた。小中学校の始業が21日に迫る中、避難者からは市の対応の遅さに批判が相次いだ。 市内の15の小中学校で行われた説明会で、市側は18〜20日をめどに教室から移動するよう求めた。 市保護課によると、避難者からは、市が始業時期について具体的に説明してこなかった点に批判が集中。仮設住宅に入居できる見通しが立たないことや、市から生活関連情報が示されないことへの不満もあったという。 学区内のほとんどの家屋が全半壊した大街道小では、会場の体育館に約100人が集まった。避難者からは「説明が唐突過ぎる」「(体育館に移れば)生活環境が悪化する。代案を出せ」
ヒマワリ希望のリレー 復興願い有志種まく 復興の象徴にしようとヒマワリの種をまく被災住民=16日午前11時ごろ、宮城県南三陸町 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町の住民有志が16日、同町歌津吉野沢の畑にヒマワリの種をまいた。種のルーツは、阪神大震災に見舞われた1995年の神戸市。新潟県中越地震の被災地から譲り受けた。住民たちは「全国の被災地をリレーして希望の大輪を咲かせてきたヒマワリを、復興のシンボルにしよう」と誓った。 種をまいたのは、会社経営及川博之さん(63)ら約20人。旧歌津町長の牧野駿さん(72)所有の畑に、約30粒をまいた。今後、町内のほかの地域にも種をまき、被災者を元気づける予定だ。 及川さんは「自分の命を守ることで精いっぱいだった。生かされた命を復興に役立てたい」と語る。 牧野さんの長男典孝さん(46)は行方不明。牧野さんは「みんなつらいのは同じ。少しでも
J1仙台は16日、さいたま市のNACK5スタジアムで大宮と練習試合(2試合)を行った。試合前には大宮サポーターがベガルタ仙台の応援歌を熱唱。「ベガルタ仙台!!ベガルタ仙台!!」と被災クラブにエールを送った。仙台サポーターも「大宮!!大宮!!」とこれに応え、スタジアムは拍手に包まれた。 主力組が出場した1試合目は13日の湘南戦(平塚)に続き1トップをテスト。0‐1で迎えた後半30分、Jチーム相手では震災後初となるMF太田のゴールで同点とするも、後半43分に勝ち越し弾を決められ、1‐2で敗れた。 ※試合前、大宮サポーターが仙台の応援歌大合唱→エール交換 以下、仙台&大宮スレより ☆・:.,;*。ベガルタ仙台。.:*:・゜☆(Part1494) http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/soccer/1302875684 196 U-名無しさん@実況はサッカーch:
どうも、ギズモードライターの鉄太郎です。 僕は普段、神奈川に住んでるんです実家が仙台にありまして、4月2日から8日まで仙台へ帰っていました。。今回、被災地について自分が見てきたことを書きます。 実家の様子 僕の実家は仙台駅から徒歩20分くらいの場所にあります。被害は比較的少なく家族は皆無事だったのですが、門が崩れたりタンスが倒れたりしたため片付けに帰ったのです。この記事の最初の写真は実家の一室。実家からの電話で状況は聞いていましたが、想像していた以上にめちゃめちゃだったので驚きました。 この部屋は高校生のボランティアに協力してもらって片付けました。東北学院高校のホシリョウスケさん、エンドウコウヘイさん(次の写真)ありがとう! お二人とも16歳とのこと。 彼らが所属していた団体は「宮城県災害ボランティアセンター」というところです。現在、このボランティアの存在を被災地にどう広めれば良いのかとい
仙台が16日、NACK5スタジアムで大宮と練習試合を行い、Jチームに対して震災後初ゴールを挙げた。レギュラー組で戦った1試合目は1-2で敗れたが後半30分、MF太田吉彰(27)がDFラインの裏へ抜け出し同点弾。被災地を思い、右拳を突き上げた。 23日の再開戦(対川崎F)前、最後の実戦で「4-3-3」を試した。FWマルキーニョスが抜けた影響だ。太田が3トップの右に入り結果を出した。アシストしたのはブラジル人MFマックス(26)。「マルキは帰ったけど僕は長く日本でプレーしたいと思っている」と気合のプレーを連発した。 手倉森監督は「マルキが抜けた穴に割り込む選手が出てきた。全員の共通意識が深まった」と納得の表情。2試合目はMF関口訓充(25)が約30メートルのドリブルから得点するなど、3-1で快勝した。【三須一紀】
大宮は16日、NACK5スタジアムで仙台と練習試合を行い、06年、J2時代の仙台で主将を務めた大宮DF村上和弘(30)が1試合目の前半12分に先制ミドルを決めた。3月11日の東日本大震災後、仙台への支援活動を行ったお礼にと試合後、仙台サポーターから「ナイスゴール!」と村上コールが上がった。さらに仙台のチームフラッグに書かれた寄せ書きを贈られた。「相手チームにこういう風にされるのは幸せです」と話した。
関口、40メートル独走弾!…仙台 ゴールを決めた仙台・関口 練習試合前、仙台サポーターの代表が大宮応援席で感謝の言葉を伝える ◆練習試合 仙台4─3大宮(16日・NACK、45分×4本) 関東合宿中の仙台が16日、大宮と練習試合を行い、リーグ再開となる23日の川崎戦(等々力)へ手応えをつかんだ。主力組中心の2本目までは1―2だったが手倉森誠監督(43)は「戦えるところまで準備ができた」。川崎戦前最後の実戦を終え、満足感を浮かべた。 マルキーニョスが電撃退団、柳沢は左ひざ、中原も右ひざ手術で離脱し、FWは困窮状態。それならば―と中盤のアタッカーが存在感を見せた。MF太田が同点弾を決めれば、MF関口が40メートル独走ドリブルから3点目のゴール。「いつもより変化をつけてドリブルした。コンディションはまだまだ上がると思う」。3月の慈善試合でもJ選抜で活躍した関口は力強い。 試合中は何度もシステムを
J1仙台は16日、さいたま市のNACK5スタジアム大宮で、23日に再開するリーグ戦前の最後となる練習試合、J1大宮戦を行った。 45分ハーフを2試合行い、主力組中心の第1試合はいったんMF太田吉彰のゴールで追い付きながら、終盤に勝ち越され1―2の敗戦。控え中心の第2試合はFW武藤雄樹の2ゴールなどで3―1で勝利した。 会場には大勢のサポーターが駆けつけ、互いのチーム名をコールするなど、東日本大震災の被害に遭った東北にエールを送る温かい雰囲気に包まれた。 マルキーニョスが退団し、柳沢と中原はけがで不在。決定力不足解消を目指す新布陣の模索に光明が見えた。 主力組が出場した1試合目で指揮官が選んだのは4―3―3の布陣。1列目は赤嶺を中央に、左右に梁勇基、太田を配した。ボランチは角田をアンカーに、高橋とマックスが左右でバランスを取った。 好調ぶりが際立ったのは3トップの一角、太田。特に後
東日本大震災で被災した「石巻日日(ひび)新聞」(宮城県石巻市)が震災直後、フェルトペンの手書きで発行を続け避難所などに張り出した壁新聞を、米ワシントンの報道博物館「ニュージアム」が譲り受け、展示に加えることになった。同博物館が14日までに明らかにした。 同紙は1912年創刊で、夕刊1万4000部を発行。武内宏之常務・報道部長(53)によると、停電と浸水で編集、印刷設備が使えなくなったが、無事だったロール紙を切り取り、社員が「日本最大級の地震・大津波」などの見出しで記事を書いた。被災した夜にろうそくの明かりの下で「ペンと紙があれば伝えられる。壁新聞で行こう」と話し合った。壁新聞は電気の復旧まで6日間、6カ所に張り出された。 これを米紙が報道し、博物館が寄贈を要請。武内部長は「私たちは地元密着の新聞。復興は長丁場になる。地域の人々と一緒に苦しみ、悩み、希望を見いだしたい」と話した。(共同)
1 名無しさん@涙目です。(京都府) 2011/04/16(土) 13:55:13.76 ID:Tm1spffq0● ?2BP(4) 歌手の長渕剛さんが宮城県石巻市を訪れ、市民や自衛隊員らに言葉をかけ、歌を披露しました。 16日朝に石巻市役所を訪れた長渕さんは、被災地に向けてエールの歌をささげました。また、自衛隊の活動拠点も訪れ、隊員と握手を交わしてねぎらいの言葉をかけて回りました。 http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210416010.html 3 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/04/16(土) 13:55:56.11 ID:OwVPiPEL0 サングラスはいただけない、、、 4 名無しさん@涙目です。(神奈川県) 2011/04/16(土) 13:56:22.96 ID:wZ5OY/PB0 まぁ自衛隊の人
Twitter Facebook LINEでおくる B! Bookmark 更新通知を受ける [山形公式]モンテディオ山形オフィシャルオンラインショップ オープンのお知らせ http://www.montedio.or.jp/info/clubinfo/20110416-02.html モンテディオ山形オフィシャルオンラインショップを4月15日(金)にオープンしましたのでお知らせいたします。「見やすく」、「使いやすく」、「楽しい」ショッピングサイトを目指してモンテディオ山形の応援グッズや記念グッズ等の情報を提供して参りますのでご利用頂きたくご案内いたします。 モンテディオ山形オフィシャルオンラインショップでは、2011応援グッズはもちろん、2011オフィシャルイヤーブック等を取りそろえ、2011シーズン公式テーマソング【夢の彼方へ】のCD等も今後続々と入荷予定となっております。 只今、会員
申し訳ありませんが、現在このページは存在しません。 以下ページにアクセスして目的のページを再度お探しくださいませ。 ※5秒後に自動的にページが切り替わります。 https://rha.or.jp/
罹災証明申請に長蛇の列 職員不足、処理追い付かず 石巻 罹災証明書発行の受け付けを待つ市民=15日午前9時30分ごろ、石巻市役所 石巻市役所で罹災(りさい)証明書と被災証明書の発行を待つ市民が長蛇の列をつくっている。証明書は支援金の受給などに必要で、発行初日の14日から被災者が窓口に殺到。職員が足りず、事務処理が追い付いていない。市は郵送で申請してくれるよう協力を呼び掛けている。 行列は発行日前日の13日夜に市役所前にでき始めた。受け付け開始の14日午前8時半ごろには約600人が並び、市は整理券を配布。午前9時半ごろに1200枚を配り、この日の受け付けを打ち切った。15日も混雑は続き、午前中で整理券の配布を終えた。 石巻市内の建物被害は判明分だけで全壊約4万4000棟、床上・床下浸水計3万4000棟に上る。市は五つの窓口を設けているが、「申請数に比べて、対応する職員が足りない」(市防災
35日ぶりの灯 表情も明るく 宮城・南三陸、一部に電力 35日ぶりに電気が通った宮城県南三陸町の家々=15日午後6時40分ごろ、同町志津川沼田 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町の一部地域で15日、電力が復旧した。津波で浸水していない高台の住宅地や山あいの集落が中心ながら、深く傷付いた町は震災から35日ぶりに明かりを取り戻し、被災者にも笑顔が戻った。 電力が復旧したのは同町志津川沼田の住宅地と入谷地区の一部の計1370戸。約370人が身を寄せる町総合体育館では午後3時半ごろに照明がともり、住民から歓声と拍手が湧き起こった。 津波で自宅を失った同町志津川の佐藤恵子さん(41)は「電気の回復は思った以上に早かった。業務を再開する会社が出てくれば、町の復興も早まる」と話した。 同町では、津波で志津川変電所が全壊したほか、電柱も大半が倒壊。東北電力が、急ピッチで仮変電所や電柱の設
被災とんかつ店 1カ月で復活 再起の支え、ベガルタ愛 店の壁一面に張られた仙台の応援フラッグと桜井さん=福島県新地町 東日本大震災で被災した福島県新地町谷地小屋の「とんかつさくら家」が今月、約1カ月ぶりに営業を再開した。店主の桜井和文さん(60)は、自他共に認めるサッカーJ1仙台の大ファン。店内にある応援フラッグやタオルなどのグッズは幸い、震災でも無傷だった。地元新地と仙台への愛情が、店を復活させる支えになった。 桜井さんは約30年間、仙台ホテル(現在は閉館)でシェフを務め、退職後の2000年10月に故郷の新地町に戻って開店した。料理の腕と肉の質の高さで店の味は評判になり、大久保剛志選手ら仙台のメンバーも食べに訪れたという。 高校時代からのサッカーファンで、妻の美子さん(63)とユアテックスタジアム仙台に通い、仙台に声援を送ってきた。今は店の傍ら、地元のスポーツ少年団でサッカーを指導し
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