1993年(平5)5月15日にJリーグが産声を上げて30年。72年(昭47)にブラジルから来日したセルジオ越後氏(77)は、「草の根運動」で日本サッカーの発展に寄与した。日本代表を強くするため、選手育成と強化が主だった時代にあって25年間も全国各地でサッカー教室を続けた。普及活動に力を入れた。当時の思い出とともに、この先30年について語った。 ◇ ◇ サッカーでご飯を食べるのが難しかった時代があった。私も現役を引退して、収入がなくなり、ブラジルに帰ろうとしたことがある。そこにサッカー教室の話が届いた。当時、日本のサッカー界は、強化に全神経を注いでいた。日本代表が強くなること、五輪に出場すること、W杯は夢のまた夢だった。プロリーグなんて頭の片隅にもなかった。 78年に全国の少年少女を相手に「さわやかサッカー教室」がスタートした。北海道の稚内から沖縄の宮古島まで、25年間、1000回以上