ニハチ(二月・八月)は売り上げに苦心する業界が多いそうですが、ご多分に漏れず、演芸界も年末年始の多忙が嘘のようにすっかり暇になって、不安になったりするものです。 1980年代半ば、僕と相方が修行した浅草は、ニハチと言わず、年中売り上げが冷え切った街でしたが、1930年代の昭和初期、全盛期の浅草は、そんな不安もないほど、一年中大衆演劇や映画を見に来る客たちで人通りが絶えなかったといいます。浅草国際劇場ではAKBならぬSKD(松竹歌劇団)のレビューが絶大な人気を誇り、まさに大衆芸能の中心地でした。 浅草は、大正12年の関東大震災から力強く復興し、昭和に入り娯楽の殿堂となりますが、戦時中は敵性語や喜劇台本への厳しい検閲、戦後は逆に進駐軍に時代劇を禁止されました。その後、黄金時代はありつつも、東京五輪が近づけばストリップ小屋に圧力がかかり、さらに赤線廃止でお隣の吉原からの客が激減、各家庭にテレ