2009年10月24日のブックマーク (13件)

  • 就活は「合同結婚式」か。 - 広告って、なに?

    いつ頃からはハッキリわからないのだけれど、就職にまつわるビジネスの世界では、妙な「カリスマ」が出てくる。 そして、彼らやその信者は「熱い」メッセージが好きだ。 しかし、就職活動という「仕事選びのプロセス」が過剰な熱気を帯びることは、また危険だと思う。 生涯を左右する選択は、基的に冷静もおこなわれるべきだからだ。 一部の就活ビジネスに関わる人のメッセージは、時に「カルト化」しているように見えるのも、また不思議であり、不安である。 カルトというのは、特定の人の主張やメッセージに対して、多数が「無批判に信じ込む」ような状況だ。無批判に信じる事によって、「自分でものを考える」プロセスが省略されることが、心地よいのである。 もっとも、社会問題化するカルトとは異なり、「就活のために高額なツボを買った」という被害があるわけではない(多分)。一時的に、カルトなオーラを出す「就活カリスマ」のお

    kodaif
    kodaif 2009/10/24
    "彼らやその信者は「熱い」メッセージが好きだ。 しかし、就職活動という「仕事選びのプロセス」が過剰な熱気を帯びることは、また危険だと思う。 生涯を左右する選択は、基本的に冷静もおこなわれるべきだからだ。"
  • 民主党にキレる田原総一郎に全員ドン引き - チダカツon the weBLOG

    「若者論」なんてテーマだった「朝まで生テレビ」、観ちゃいました。かなり議論がとっちらかっちゃってた印象だったんだけど、まぁ、面白かったかな。 湯浅誠さんは出てなくって、雨宮処凛さんと赤木智弘さん。それから、東浩紀さん。 東さんは、雨宮さんに「雨宮さんはベーシックインカムについてはどうなの?」と訊くフリをして、実は田原さんに議論のテーマとキーワードをそれとなく提案する、という(しかも一回目は空振り)高等戦術を繰り出したりしつつ、完全に場をロックしてましたねぇ。面白かったのは、中盤、田原さんが1人で(場の仕切りの)発言をしているときにも、東さんを入れ込むようなアングルで映ってたりして。東さんの“理屈”が、現実感ゴリゴリの田原さんとぶつかり合う、というのは、俺にとっては結構大きい出来事でした。ぶつかり合って、昇華するものがあった気がしたし。思想地図に田原さんを招聘して議論の続き、なんつー展開があ

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    kodaif 2009/10/24
    "はっきりと認識できないぐらいのボリュームの“なにか”に押しつぶされている感覚、というのが、赤木さんがあの場で代表していた層が抱えている“被害意識”なんだろうなぁ、と。"
  • 2009・10・21(水)ラドミル・エリシュカ指揮九州交響楽団 「わが祖国」

    2024-04 « 123456789101112131415161718192021222324252627282930 » アクロス福岡シンフォニーホール いずみホールの「ウィーン音楽祭」の次の演奏会は、明日である。その合間に一日、大阪から足を延ばして、新幹線で約2時間半、博多に向かう。 こちら福岡は、九州交響楽団。老巨匠ラドミル・エリシュカ(78歳)に率いられ、連作交響詩「わが祖国」を演奏。まさに入魂の大熱演だ。野武士のような(?)粗さもあるオーケストラだが、これだけ情熱的な演奏をしてくれれば、何の不満があろう。 エリシュカの「わが祖国」は、(こういう表現はあまり好きではないのだが)もはや神技と言ってもいいのかもしれない。「これは当に凄い」と腰を浮かせたくなるところが、いくつもあった。それはテンポの動かし方にせよ、デュナーミクのつくり方にせよ、彼の指揮には作為めいたものが一切無く、

    2009・10・21(水)ラドミル・エリシュカ指揮九州交響楽団 「わが祖国」
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    kodaif 2009/10/24
    "これだけ見事にオーケストラを燃え立たせ沸騰させ、また聴き手の心を揺り動かすとは、全く、エリシュカは何という人なのだろう。彼が日本に知られるようになってから、まだほんの2年そこそこしか経っていないのだ"
  • 2009・10・22(木)ウィーン音楽祭in OSAKA 2009 第6日ウィーン楽友協会合唱団 「天地創造」

    2024-04 « 123456789101112131415161718192021222324252627282930 » いずみホール (大阪) 昼の新幹線で、博多から再び大阪に戻る。 ウィーン楽友協会合唱団の来日は30年ぶり――つまり1979年にカラヤン&ベルリン・フィルと来て、普門館でヴェルディの「レクィエム」他を歌って以来だ。もうそんなに年月が経ってしまったのかと思う。 今回は大阪のみの公演で、今夜のハイドンの「天地創造」と、24日の大植英次指揮大阪フィルとの協演による「ドイツ・レクィエム」との二つを歌うだけ。 ウィーン楽友協会合唱団(Wiener Singverein)は、今回は70人を超す大編成での登場。 さすがにその音楽性の素晴しさは、喩えようもない。アンサンブルの精度とか、音色の透明さとかいう点ではもっと上に来る合唱団もあるかもしれないが、ヒューマンな温かさや音楽の馥郁

    2009・10・22(木)ウィーン音楽祭in OSAKA 2009 第6日ウィーン楽友協会合唱団 「天地創造」
    kodaif
    kodaif 2009/10/24
    "とにかく、彼らが歌い出すと、音楽そのものが、まったく別のものに変わってしまうのだ。演奏に突然生気が満ちあふれ、輝きはじめるのである。"
  • ネットでは饒舌。リアルでは寡黙な人。 - もっこもこっ

    ネットでは饒舌。リアルでは寡黙な人。 っていらっしゃいますよね。 直接的(リアル)コミュニケーションとネットにおけるコミュニケーションはどうちがうのか、その差異について考えていて、それに関しての文章も書いているのですが(いつかを出したいので)、そうですね、リアルで人づきあいがいいっていうのかな、コミュニケーションが潤滑な人が必ずしもネットにおいても同様かというと、そうでもないのかな、と。あるいは、逆の場合もあるかもしれません。ネットではコミュニケーションがうまいけれど、リアルではそうでもなかったりという場合もあるんじゃないかな、と。 ネットでは饒舌。リアルでは寡黙な人。 オフ会等に参加すると、そうですね、『ネットでは饒舌。リアルでは寡黙な人』いらっしゃいます。寡黙とまではいかないけれど、ああ、この人は当はあまり喋らない人なんだな、と。なんていうのかな、当はリアルでも饒舌でいろんなこと

    ネットでは饒舌。リアルでは寡黙な人。 - もっこもこっ
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    kodaif 2009/10/24
    "でもあるときを境に変わろうと思ったのですね。ポジティブになろうと。ネットをしていて、Twitterの楽しさに目覚めて、ええ、こんな風に楽しくできるんだから、リアルでも楽しくできるんじゃないか、と。"
  • “仕組み”なのか“人”なのか - Chikirinの日記

    大事なことや大きな流れの決め手になるのは、“仕組み”なのか“人”なのか?場合によるのだとすれば、どういう場合は“仕組み”で、どういう場合なら“人”なのか。これって結構おもしろいテーマだと思うんだよね。 たとえば複数の企業から内定をもらった学生に最終的な就職先を決めた理由を問うと、多くの学生が「会った人が魅力的だったから」などと答えます。ベンチャーじゃなくて、巨大企業に入る学生までがそんなことを言う。 これ、大人からみると笑えますよね。「会った人」って何人?ってかんじだし、その人が入社後の上司になるわけでもないし、もちろんその組織を代表する人格であるわけでもない。 企業側が採用前線に出してくる「マーケティング人材」に惹かれたからこの会社に入りました、と。いかにも学生さんらしいお答えです。 でも転職が何回目かになると、「会った人の印象」だけではなく、よりその会社の「仕組み」を重視するようになる

    “仕組み”なのか“人”なのか - Chikirinの日記
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    kodaif 2009/10/24
    "その人が入社後の上司になるわけでもないし、もちろんその組織を代表する人格である保証もない。 企業側が採用前線に出してくる「マーケティング人材」に惹かれたからこの会社に入りました、と。"
  • 日本郵政はいったいどうなるのか?

    郵政の西川善文社長が辞任を発表し、斎藤次郎氏が後任の社長に指名された。現内閣は実質的に小沢政権なので、どこかで斎藤次郎氏が登場するのではないかと思っていたが、日郵政の社長とは少し驚いた。人材的にはなるほど思う面もあるのだが、「元大蔵次官」(しかも斎藤氏の場合は「一〇年に一度の大物次官」という下らないキャッチフレーズがつきまとう)をこのポストに充てるのは政治的にはいかにも拙い。鳩山内閣の支持率は下がるのではないだろうか。他に使える人材を見つけられなかったのだとすれば、民主党政権としては少々情けない。 民主党や国民新党が郵政四事業を一体化したい、つまり、日郵政の業態を郵政公社時代程度まで元に戻したいらしいことは総選挙中の両党の公約や言動から推測できたが、郵貯の資金がほぼ自動的に財政投融資に向かい「第二の予算」とされていた時代まで戻そうということなのだろうか。かつての大蔵次官を新社長に据

    kodaif
    kodaif 2009/10/24
    "決済・送金の機能を持ちつつ利用者の利便性を確保し、同時に、投資信託・保険・あるいは他の銀行の預金などの良心的且つ廉価な手数料での総合的な販売者となればいいと思うのだがどうだろうか。"
  • 機能と普遍 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    広告の仕事をはじめたときから、すごく悩んでいたこと。今だに悩むことがあって、そのときどきで判断が違ったりもしています。この悩みは、広告やマーケティングにかかわる人なら、それこそ20年30年のキャリアを持つベテランの人でもあるのではないでしょうか。 機能寄りのメッセージにするか。それとも、普遍性のあるメッセージにするか。 今は不況でもあるし、機能対普遍の争いも少なくなりましたが、一頃は、機能を端的に言ってほしい人と、個別の機能ではなく、その機能が提供する価値、つまり、普遍性を持つうれしさ、たのしさなどのエモーショナルな部分を言いたい人の対立がよくありました。 もちろん、そういったことは理論的にも整理されてはいます。まあ、当たり前の話ではありますが、基に立ち返って自分の頭の中をもう一度整理するために、大画面テレビを例にちょっと説明。 Function=機能(画面のサイズが大きい) Funct

    機能と普遍 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    kodaif 2009/10/24
    "要するに価値観の問題になってきますから、こんがらがるんですよね。例が見事だから、このやり方しかないように思えてしまいますが、じつはどのやり方もそれなりに正解だったりもします。"
  • 過去は地続きで現在でもある - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    ひとりの著者の過去のいくつかの作品をつらつらと読みながら、そんなことを思いました。 SFではないけれど、一時的に人体を凍結でもしない限り、過去は必ず現在に続いています。たとえば、私たちは、3時間前を現在と認識することもありますよね。いや、それは過去だと言う人もいるかもしれません。では、3秒前はどうか。いや、それでも過去だとするなら、人は現在を認識することができないということにもなります。厳密に言えば、知覚はリアルタイムではないはずだから。 現在という概念がどこまでを現在とするかということだとすれば、現代の範囲を拡張していけば、過去は現在と言ってしまってもよいことになります。ということは、過去もまた現在なのだ、という言い方もできるはずです。 かつて、ランドサットの衛生写真のような、無限上方からの映像視線を、かつて吉隆明さんは「ハイ・イメージ論」で「世界視線」と言ったけれど、現在を起点に、無

    過去は地続きで現在でもある - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    kodaif 2009/10/24
    "知識人が持つ弱点と同じような弱点を持ち合わせてしまっているのかもしれません。いい悪いを含めて、そうした視線を手にしまった以上、表現というものの何かが変容したのは、ある程度は事実なのだろうと思います。"
  • 編集長コラム

    kodaif
    kodaif 2009/10/24
    "見るたびにむかむかする。何でわざわざ仕切り板をつけるのか。どうせ、ホームレスの人が寝られないようにするためだろう。いいではないか。住む場所がないのだ。だからベンチで横になる。そのどこが悪いのか。"
  • オープン・イノベーションが日本企業にとって重要な三つの理由 - My Life After MIT Sloan

    昨日は、ボストンに来てるメーカーの研究者さんたちとの飲み会だった。 夜中まで飲みまくりで、いろんな話が出来て、楽しかった♪ そんなことはともかく、その飲み会で話したことから、考えたことを今日はひとつ。 日でも最近、「オープン・イノベーション」という言葉が流行ってる。 いろんな製造業のトップが、折々の機会で「オープン・イノベーション」を標榜するようになってきた。 ひとつの企業の中だけで研究開発を行って、新たな技術・製品を生み出すのが「クローズド・イノベーション」。 それに対し、複数の企業や大学との連携の中からイノベーションを生み、事業化後も連携を強めていくようなモデルを「オープン・イノベーション」と呼ぶ。 「オープン・イノベーション」に何故意味があるのか、といえば、以前からなどでは、 a) 研究開発にかかるお金が莫大になってきたのを他企業と分けられる b) 自社にたくさんある、商品化され

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    kodaif 2009/10/24
    "だって別にアメリカでだって、業界の研究者たちは「カクテルパーティ」とかで交流するんだよ。 そこで、新しい共同研究が生まれたり、投資話が決まったりしてるんだってば。"
  • 工場計画論(1) 立地論--工場はどこに行くのか | タイム・コンサルタントの日誌から

    '90年代以来このかた、郊外にあった工場がポコッと消えて、その跡地に大規模住宅や商業施設が立ち並ぶようになる、そんな光景を何度も見てきた。いつもの見慣れた工場がある。それがいつの間にか操業を停止している。そしてある日、工事中の看板が立つやいなや、あっという間に更地になって造成されていく景色だ。 その逆を見たことのある人はいるだろうか? マンションやスーパーが取り壊され、近代的な工場が立ち上がっていく姿を。おそらくほとんど皆無だろう。なぜ一方向にしか変化は起きないのか。 それは、土地の単位面積あたりの付加価値産出量が違うからだ。土地一坪当たり、1年間に生むお金の量が違う。大都市近郊においては、商業の方が、工業よりもずっと月坪単価が高いのである。住宅販売や賃貸も同様である。 同じようなことは、じつは農地と工場との間にもあった。それは主に昭和の時代のことだから覚えていない人も多いだろうが、いつの

    工場計画論(1) 立地論--工場はどこに行くのか | タイム・コンサルタントの日誌から
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    kodaif 2009/10/24
    "その逆を見たことのある人はいるだろうか? マンションやスーパーが取り壊され、近代的な工場が立ち上がっていく姿を。おそらくほとんど皆無だろう。なぜ一方向にしか変化は起きないのか。"
  • ずっと思っていたのに書けないでいた。

    私はいわゆるテキストサイトというのがはやっている時代(ブログの前)ぐらいから、日記のようなものを綴っているんだけれど、あるタイミングから「自分の考え」を書くことができなくなった。それは当時付き合ってた人の言葉。「お前の文章をネット上に載せるってことは汚染してるってことなんだ。無駄なこと垂れ流すな。」と言われた。「恥ずかしいから書くな。」とも言われた。別に彼のことを書いた覚えもないのに。ものすごい勢いで罵られた。確かそのころはブログが少しずつはやり始めていたころだったけれど、そこら中にブロガーがいたり、mixiで日記を公開したりするような気軽さはなかったかもしれない。周りでやってる人が少なかったかもとも思う。ただ、私にとっては「書くこと」は続けていた趣味の一つだったしそれをやめろと言われるのはかなりしんどかった。言われて、やめたこともあった。けれども「書くこと」から完全に離れたくなくってひと

    ずっと思っていたのに書けないでいた。
    kodaif
    kodaif 2009/10/24
    "「誰かにとって有益な情報になる可能性があること。」や「明るくて楽しいイメージを伝えられるような出来事。」ばかりになってしまった。嫌だったことや自分の考え方を提示するような文章が書けないでいる。"