ブックマーク / aki1770.hatenablog.com (5)

  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(12) - 考えたヒント - 駒田明彦

    しばらく待ってみたところ、わたしの期待していた以上のひとことを言ってくれた方がいた。 その方の見方は、小説としての『日語が亡びるとき』を読んで、その主人公である「私」が結末の章で思い至ったことが衝撃であり問題となっている、というものだった。 思わずひざを打ってしまいそうなひとことだった。わたし自身がうだうだと考えつづけていたことをさらりと言って、その先へと論を進めている方がいて、ああなるほど、これでよかったのかなと思った。 なにがよかったのかというと、自分がこのを読んで思いついたことを何回かに分けてぼそぼそと書きながら、周りの方がどのようにこのを読んでいるのかをこっそり垣間見てきたことだ。わたしはどちらかといえば、を読むのは内向きで完結してもかまわないと考えていて、を読んだということをわざわざ人に言って回るほどのことはないと思っていた。を読むのは学校の授業でなにかを一斉に読むの

    「日本語が亡びるとき」を読んで(12) - 考えたヒント - 駒田明彦
    kodaif
    kodaif 2008/11/30
    ”自分の読み方などはほんの小さな一握りにすぎない。せっかくこの本をたくさんの人が読んでいるのだから、ここでひとつ腰を落ち着けてブログ界隈の在野の声も聞いてみようと思った。”
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(11) - 考えたヒント - 駒田明彦

    気がついてみれば自分はすでに10回この題目で書いたらしい。 『日語が亡びるとき』の読み方にはいろいろあると思う。自分でもいろいろなところに後から注意が散らばっていくのを感じて、読み返せば読み返すだけ違った気持が新たに生まれてくる。これはちょっと不思議な感じだ。 『三四郎』に出てくる広田先生という人物が水村の語りによってしばらく焦点を当てられる。先生といっても三四郎の通うことになる大学の先生ではなくて、広田先生は高等学校の英語教師で、西洋語の書物に詳しい人物という役回りとして現れる。広田先生は一種の変わり者として描かれていて、それは漱石のねらいと水村の解釈が一致していると思われる点だ。それはどういうことかというと、翻訳者を養成する役回りで自分は十分と考えていることで、自分はたくさん読むけれど、ほとんど書こうと思わない人物で、これが変わり者であったということ。これについては水村が例によって秀

    「日本語が亡びるとき」を読んで(11) - 考えたヒント - 駒田明彦
    kodaif
    kodaif 2008/11/16
    ”だけれどこの手の題名が呼ぶのは「読者」よりもはるかに多い「読者でない人」の評判だと思う。わたしのような場外の人間にも察しがつく。”
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(10) - 考えたヒント - 駒田明彦

    「新潮」9月号に掲載された冒頭3章を読んでから2か月以上たってあらためて単行『日語が亡びるとき』を読んだわたしの感想は、これを読んだ人から見て、いくらか焦点がずれているかもしれない。わたしがいま書いていて心配に思うのはそこがうまく通じるかどうかだ。 正直なところ、この単行は値段が高い。もうすこし安く、多くの人に届けばいいと思うのだけれど。 いや、そんなことは気にならない、読みたくなければ買わなければいいだけという言い分もあるだろうと思う。だがひとつここで確かめておきたいのは、誰かがなにかを書いて言おうとしたとき、それがどのように伝わるかは書き手には決められないということだ。なにが問題かというと、現代では出版物の値段が高いということが、読者を選ぶということにはかならずしもならず、むしろ出版された自体よりも出版されたという事実がいちはやく知れ渡り、その周辺で語られたことが注目されやすく

    「日本語が亡びるとき」を読んで(10) - 考えたヒント - 駒田明彦
    kodaif
    kodaif 2008/11/14
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(9) - 考えたヒント - 駒田明彦

    『日語が亡びるとき』という題名について云々論じたけれど、ここで解題が求められているのかどうか自分でもよくわからない。次になにを話したらいいかしばらく考えてみたけれど、あんまり突っ込んだ話はしないほうがよさそうな気がした。というわけで話をずらしてみる。 吉田健一、エリオットと、わたしが思いついた作家たちはふたりとも、フランス語の詩にかなり深く入れこんでいた。水村が18世紀、19世紀、20世紀にわたって世界でもっとも尊敬されていた<国語>は英語ではなくフランス語だと述べている(2章の冒頭)。それはたしかにその通りかもしれなくて、その頃の哲学者にしろ、詩人にしろ、フランス語で活動して大きな仕事をした巨人は20世紀の終わりまでずっと、避けて通れない門だった。それはもう、わたしが説明しなくても言い尽くされていると思う。 その水村がパリでの国際学会に呼ばれて人前で話した、そのフランス語での講演を自分

    「日本語が亡びるとき」を読んで(9) - 考えたヒント - 駒田明彦
    kodaif
    kodaif 2008/11/13
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(8) - 考えたヒント - 駒田明彦

    吉田健一の評論に「文学が文学でなくなる時」というものがある。 いや、「日語が亡びるとき」をはじめて目にしたとき、なんだか見覚えのある題名だなと思ったのだ。それがしばらくたってからよくよく考えてみたら、うーむこれじゃないかなと思えてきた。たぶんこれであろう、とあたりをつけてみたのだ。邪推と言われそうだけれど。 「文学が文学でなくなる時」とはなにか。要は文学を「真面目に」人に教えるようになったとき、それが「文学が文学でなくなる時」だというのが吉田の意図だったと覚えている。 (わたしの偏見が入った)説明をすると、じっさい英国で文学科が大学に置かれたのは19世紀になってからで、そもそも文学という呼び方じたい、あとから付けてみたものだった。というか、日では「昔は文学のことをただ文と言った」と吉田は言う。英国で文にあたるものはそれまで「クラシックス」などと呼ばれ、英国の寄宿学校や大学で、男子学生に

    「日本語が亡びるとき」を読んで(8) - 考えたヒント - 駒田明彦
    kodaif
    kodaif 2008/11/11
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