今日は、わたしにとって人生の先輩たちばかりにお訊きするという、 初めてのパターンでの「社長が訊く」になります。 今回は、ゲームボーイやニンテンドーDSのルーツである 任天堂初の携帯型ゲーム機『ゲーム&ウオッチ』の 開発の最前線におられた方々に集まっていただきました。 みなさん、よろしくお願いいたします。
「今回は僕が加害者です」サービス終了が発表された「疾走、ヤンキー魂。」プロデューサー,安藤武博氏が口を開いた 編集部:TeT 12→ 先日もお伝えしたとおり,「疾走、ヤンキー魂。」(以下,ヤン魂。)のサービスが4月28日(水)に終了する。 2003年〜2004年までサービスされていた,“第一期”ヤン魂。のコンセプトを継承しつつ,新たなゲームとして生まれ変わるはずだった“第二期”ヤン魂。だが,志半ばにしてその道が閉ざされることとなった。 本作のライセンス契約をスクウェア・エニックスとゲームポットが締結したのが,2007年6月。その年の冬には正式サービスがスタートするはずだったものの延期を重ね,どうにか正式サービスにこぎ着けたのが,2008年12月のこと。 その時点でも,開発を担当していたシンクアーツが解散するなど,先行きは不安視されていたのだが,本作のプロデューサーであるスクウェア・エニック
中島らもさんから「貴方に取って◯◯とは」という質問をするインタビュアーは無能なので、何でも「愛です」と答えておけ、と教えられました。 RT @yasunarisuda RT @owawriter: 「あなたにとって野球とは何ですか?」相手がうまいこと言ってくれることを期待する
サッカー王国ブラジルですら勉強して常に前進しようとしているのに、日本のサッカー界はまじめな議論もないし戦っていない。 「Sports Watch」によれば、日本テレビ「SUPERうるぐす」の中でインタビューに応えたカズは次のように語ったという。 2年ぶりにブラジルに渡り、現地の報道を見て来たカズは、あのサッカー王国ブラジルですら、勉強して常に前進しようとしているのに、日本のサッカー界はまじめな議論もないし戦っていない。 厳しいことを言ったからインタビューは受けたくないというのではダメ。インタビュアーが100%の意見を言ってきたら、選手は100%の意見を返さなきゃいけない、そうした議論をしていかなければ日本サッカーは育たない、と。 もちろん、こういった姿勢が必要なのは、選手だけではないだろう。監督や協会関係者、メディアも含め、日本サッカー界がこうした姿勢を持つようになるまで、あとどれくらいか
史上最強と謳われたアトランタ五輪でのまさかの惨敗を糧に、水泳連盟は大胆な改革に着手した。目指すは代表のチーム化。 再建を牽引したひとりの男に、揺るがぬ信念の理由を聞く。 いつだったか、記者会見で聞いた言葉が印象的だった。 「我々はチームとして戦わなければならないんです」 競泳日本代表の会見の席のことだ。個人競技であるにもかかわらず、なぜチームでなければならないのか。 競泳日本代表は、2000年のシドニー五輪で銀2、銅2の計4個、'04年のアテネでは金3、銀1、銅4の計8個、'08年の北京でも金2、銅3の計5個のメダルを獲得した。その間に行なわれる世界選手権でも常に一定数のメダルを獲得し、競泳大国といわれるアメリカやオーストラリアに次ぐ地位を確保している。日本競泳は、第二次世界大戦後から'72年のミュンヘン五輪までは多くの大会で複数のメダルを獲得する活躍を見せていたが、その後はメダルを獲れな
一応ブログに書く許可を取ってはいるが、詳細は色々とボカす。 私の昔の知り合いで、いわゆる放送作家をやっている人がいる。彼に新春早々愚痴られた。 放送作家というと大仰だが、要するにテレビ番組の構成や脚本を決める人であり、実際はディレクターの仕事もやっているそうであり、更に言ってしまうと何でも屋(これは彼自身の言葉を借りている)である。ディレクターをやっているなら別に肩書きはディレクターでいいんじゃねえかと思うのだが、敢えて「放送作家」を名乗るのは、良く分からないが彼の方針であるらしい。名刺に何と書いてあるのかは知らない。 で、何と愚痴られたのかというと、基本的には上司に対する不平であるのだが、その内容が面白かった。 何でも、「最近色々とうるさいから、インタビューをなるべく編集するな」と言われたらしいのだ。 かなり以前からWebでは、例えばドキュメンタリー番組における「インタビューに対する編集
1 :VIPがお送りします:2010/01/02(土) 01:25:41.74 ID:Ri+0XX8F0 とりあえず何でも答えます。面接、文化、無料ランチ、なんでもどーぞ。 (※以下、上記文字色が>>1さんのレスになります) 3 :VIPがお送りします:2010/01/02(土) 01:26:16.32 ID:6jqC+ovs0 金銭感覚と進学意欲をなくした天才なんだよね、俺 オープンソースコミュニティでハンドル有名になって、レジュメにそのハンドル書けばとりあえず面接には来れる。 4 :VIPがお送りします:2010/01/02(土) 01:26:34.16 ID:wQ6pgI0A0 無料ランチについて 日本のランチはオフィスで火を使えないため、ケータリングのビュッフェ形式。四半期に一回、寿司day がある。その時は板前さんがマグロさばくところからやってくれる。 ちなみに食堂の名前は「花の
動画共有サービス「ニコニコ動画」を生んだ企業といえば、ご存じドワンゴだ。 そのドワンゴは、実は米国企業にルーツを持っている。「いろメロミックス」などの着メロビジネスで大きく伸びたため、日本企業のイメージがある同社だが、当初は「外資系」だったのだ。 今回はその米DWANGOの創始者で、ドワンゴジャパンの共同設立者でもあるロバート・E・ハントレー氏にインタビューする機会を得た。日本のドワンゴはどうやって生まれたのか。そもそも「DWANGO」とは何なのか。ニコニコ動画は世界進出できる可能性はあるのか──。貴重な数々の話を「生みの親」に直接聞いてみた。 DOOMでオンライン対戦の元祖だった ── 「DWANGO」とはどういう意味なんですか? ハントレー氏:DWANGOは、「Dial-up Wide Area Network Gaming Operation」の略で、オンライン通信対戦システムの名前
ニコニコ動画のユーザーにとっては「黒字化担当」として知られる夏野氏。関連イベント「ニコニコ大会議」では舞台に立っておどけてみせるが、その裏側には経験に基づいた経営哲学を持っている 2008年12月、動画共有サービス「ニコニコ動画」で知られるドワンゴに、ある取締役が就任した。夏野剛(なつのたけし)氏だ。 夏野氏は1997年、NTTドコモにおいて「iモード」ビジネスを立ち上げたひとりとして知られている。2008年にドコモを退社するまで、FOMA事業を成長させたり、おサイフケータイを導入したりと、ドコモ成長の核となって活躍してきた。 そんな夏野氏がドワンゴに加わって1年、ニコ動にどんな変化がもたらされたのだろうか。 米DWANGOを生み出したロバート・E・ハントレー氏、、ニコニコ動画を作ったプログラマー・戀塚昭彦氏のインタビューに続き、夏野氏を取材。ドワンゴやニコ動の魅力、組織作りの心がけを聞い
ドワンゴといえば、ケータイ電話向けの着信メロディー「いろメロミックス」や動画共有サービス「ニコニコ動画」といったサービスを生み出してきた企業だ。 この10月、そのドワンゴを題材にした新書「ニコニコ動画が未来を作るドワンゴ物語」が弊社から発売された(関連記事、Amazon.co.jpで見る)。フリージャーナリストの佐々木俊尚氏が延べ30人を取材し、ドワンゴの全貌を明かしたものだ。この中でもキーマンの1人として登場するのが戀塚昭彦(こいづかあきひこ)氏。 戀塚氏は「ニコ動を3日で作ったプログラマー」としてネットで知られており、現在もニコニコ関連の開発に携わっている。90年代にはゲームクリエイター集団「Bio_100%」のメンバーとして活躍。2001年に起きた「2ch閉鎖騒動」では、過負荷対策を行なって閉鎖を食い止めたUNIX板住民のひとりでもあった。 そんな戀塚氏はどういった経緯でドワンゴに入
インタビュー 2009年12月25日17:50 カテゴリ "ブログとかニュース系は、がんばってますよね。" - 堀江貴文さん --最初にライブドアと業務提携をしたきかっけは何だったんですか? 堀江貴文さん(以下堀江) オン・ザ・エッヂ時代にサイバーエージェントと無料HPの「HOOPS!」(フープス)っていうのをやっていたんですね。ダンコガイ(小飼弾)がシステムを作ったんです。ダンさんはもともとパールの日本語化モジュールですごく有名になった人で、今は書評家として有名みたいですけどね。結構変わった人で、大規模システムの構築にはあんまり向いてなかったかな、という気がしますね。結局資本金1000万円で1社作って。そこの社長は村上直さんという人でした。直さんは、サイバーエージェントにいたんですけど、弟が村上知(とも)くんと言って、オン・ザ・エッヂの社員だったんですよ。今は兄弟でiモードのコンテンツ
インタビュー 2009年12月25日13:00 カテゴリ "一番の功績って、「堀江貴文」を輩出したことだと思う" - 西村博之(ひろゆき)さん --無料プロバイダのライブドアが登場してから10年になるので、 ライブドアに関わっていただいた方々、10名に取材をさせてもらってます。ちょうど2ちゃんねるも、今年の5月で10周年だったんですよね。 西村博之さん(以下ひろゆき) ああ、そうなんですね。2ちゃんねるは、今年の1月に僕の手を離れてシンガポールの会社に譲渡したので、もう関係ないんですけどね。 無料プロバイダのライブドアが開始した当時のことは、あんまり覚えていませんね。どういう印象かと聞かれたら、「まあ潰れるだろうな」とは思ってました。プロバイダにお金を払えないような人のリストを100万人分集めても、お金を持っていないりスト100万人ですからね。この客が来たら登録させるなというリストと
インタビュー 2009年12月24日16:00 カテゴリ "ライブドアの社員は、ライブドアの技術のなんたるかを知っておく必要がある" - 小飼弾さん --小飼さんがライブドアという名前を知ったのはいつごろですか? 小飼 実はライブドア社は当時お客さんでした。ライブドアが無料プロバイダサービスを行っていたときに、当時Webページの一部をオン・ザ・エッヂで受注していました。僕は、ライブドアを買った当時はすでに会社にいませんでしたから、外で見ていて、またなんか買ったのか、くらいにしか思っていませんでしたね。 僕がオン・ザ・エッヂにいた3年間で、今のライブドアのデータセンタである「データホテル」の基盤を作り、一Webディレクターでも、それがどういう仕組みの上で動いているのかという全レイヤーの技術のことがきちんと分かる、そういう企業文化を作れたという自負がありました。だからこれ以上自分がいても後
20 日に「 M-1 グランプリ」が放送された直後、webの「よしもとオンライン」で、トータルテンボスがメイン MC の「M-1お疲れさまスペシャル」が配信されてました。 M-1 直後のたくさんの出場者と電話したり実際スタジオでトークをしたりというような 3 時間の生放送。大ボリューム。熱気もなかなか凄かったです。 全体的にいいエピソード満載すぎたのですが、笑い飯のトークが二人とも面白かったので、的を絞って書き起こします。 ・まずは哲夫との電話 トータルテンボス藤田、大村がメインで、他に笑い飯とはゆかりの深い千鳥の大悟、ノブ。他にも芸人集まってガヤガヤの中で、ひと通り挨拶があった後、哲夫との電話越しのトークが始まる 大村 ちょっと笑い飯さん、どういうことですか、この結果(2位)は 哲夫 ……結果は結果やないかい!(キレ気味) 一同 www ノブ これ荒れてるぞー!! 大悟 正直、哲夫さん終
インタビュー 2009年12月17日13:00 カテゴリ "再上場でもしてくれたら、また取材意欲がわくと思います" - 大鹿靖明さん --「ライブドア」という名前を知ったのは、いつ、何がきっかけですか? 大鹿靖明氏(以下、大鹿) もともと、朝日新聞の記者として青森、静岡支局などを経て、東京本社の経済部に配属されました。そこで、2年半ほど東芝、ソニー、パイオニアからアスキー、ソフトバンクといった企業まで幅広く取材する電機と呼ばれる部門を担当し、その後1年数ヶ月ほど兜町担当をしました。 ちょうど兜町の担当だった2000年4月ごろ、マザーズ市場にオン・ザ・エッヂが株式公開をして、その頃にオン・ザ・エッヂという社名は認識していました。ただ、ライブドアという名前に関しては、エッジがライブドアを買って、社名を変えたときが最初です。 その後、堀江さんを取材したのが、2002年頃、AERAに移ったあ
今もっとも話題のカメラといえば、リコー「GXR」が筆頭にあがる。コンパクトデジカメでありながらレンズ交換に対応。いや、レンズだけでなく撮像素子と画像処理エンジンも一緒にユニット交換できる、斬新なアイデアのカメラである。 システムの第1弾として、2つのユニットがボディと同時に発売になる。ひとつは、50ミリ相当の単焦点レンズにAPS-Cサイズのセンサーを組み合わせたユニット「GR LENS A12 50mm F2.5 MACRO」。もうひとつは、3倍ズームレンズに1/1.7型センサーを組み合わせたユニット「RICOH LENS S10 24-72mm F2.5-4.4 VC」だ。いっぽうボディ側には、液晶モニタやSDカードスロット、バッテリなどを装備する。このボディと1つのユニットを合体させることで、1台のカメラとして成立する。 それにしても、どうしてレンズ交換式ではなくユニット交換式なのか。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く