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日本文学(現代)に関するkotobukuのブックマーク (12)

  • ひきこもりとセカイ系 - 熊田一雄の日記

    JMM [Japan Mail Media] No.595 Monday Edition より引用 ■ 三ツ谷誠  :金融機関勤務 「自室という子宮 〜母胎回帰としての引き篭もり」 (例えば、このような「引き篭もり」の若者(30代、40代も含まれるとは思いますがまあ広義で)を対象に、農業、漁業、林業の体験プログラムを企画する法人に、法人税の免除、政府系金融機関を通じた長期優遇ローンの設定(低金利かつ当初10年間返済なし等)、民間金融機関の類似ローン商品の政府保証設定などを与えるという政策が考えられると思います。 民間資ではなく、過疎に晒された地方自治体が企画者となっても、何らかの形でその企画を保護する政策はありうるでしょう。 ここでは「体験プログラム」としていますが、基的にはそれは「開拓・開墾」という要素を含むので、可能な限りその農業法人になるべく多くの「引き篭もり」層を就職させ、事業

    ひきこもりとセカイ系 - 熊田一雄の日記
    kotobuku
    kotobuku 2010/08/14
    20世紀後半から現在まで続く村上春樹の異常な人気の背骨にも、「引き篭もり」的な孤独を村上春樹の主人公たちが抱えていることが指摘できるように感じます。
  • 『1Q84』または準<ひきこもり>の書いた<セカイ系>の物語 - 熊田一雄の日記

    オウム真理教の暴力性の根源は、根教義にある「他者との共感共苦を断って心を安定させよ」という「聖無頓着」の教え、原始仏教の名を借りたニヒリズム思想にあります。村上春樹さんはそのことがまるで分かっていないのだと思います。この小説を一言で言えば、孤独に生きている普通の男性主人公とヒロインとが、<セカイ>を代表して、オウム真理教をモデルにしたとおぼしき「さきがけ」というカルト教団を操っている悪の根源、「リトル・ピープル」という名のラヴクラフト的な「邪神」たちと戦う、というものです。準「ひきこもり」的な作家が書いた<セカイ系>の物語と言ってもいいでしょう。この物語に決定的に欠落しているのは、<孤独>と<セカイ>との間の具体的な<人と人とのつながり>です。このが大ベストセラーになったということは、そうした準「ひきこもり」的な生活をしている読者が、現代日にそれだけたくさんいるということでしょう。現

    『1Q84』または準<ひきこもり>の書いた<セカイ系>の物語 - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    オウム真理教の暴力性の根源は、根本教義にある「他者との共感共苦を断って心を安定させよ」という「聖無頓着」の教え、原始仏教の名を借りたニヒリズムの教え
  • 村上春樹さんの女性嫌悪(小括) - 熊田一雄の日記

    現在放映中のヘアカラー(ダリヤ社)のテレビCMにおけるキャッチフレーズは、「パパである前に男であれ!」です。しかし、現代日では「ママである前に女であれ!」とはまだおおっぴらには言えないと思います。 もはや社会現象と化した村上春樹さんの大ベストセラー『1Q84』では、男性主人公「天吾」の母親は、夫がいながら赤ん坊の天吾を連れて別の男と駆け落ちして、眠っている天吾の傍らでその男とセックスしていたが、その男に絞め殺されてしまったと設定されています。「母である前に女であろうとした」女性を簡単に殺してしまうところに、「フェミニズムに理解がある」つもりでいる村上春樹さんの「無意識の女性嫌悪」を見ることができると思います。 『ノルウェーの森』における作者の無意識の女性嫌悪については、上野・富岡・小倉『男流文学論』(筑摩書房、初出1992年)にも指摘があります。渡辺みえこ『語り得ぬもの:村上春樹の女性表

    村上春樹さんの女性嫌悪(小括) - 熊田一雄の日記
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    kotobuku 2010/08/14
    村上春樹さんの女性観。「若い女性の肉体に、中年女性の気配りを兼ね備えている女性がいいなあ。レズビアン?俺が男の味を教えてやるぜ。それでもわからなければ、排除してやる。」ということではないでしょうか。
  • 村上春樹さんと教団宗教 - 熊田一雄の日記

    村上春樹さんの父親は、高校教師を辞めた後、浄土宗の僧侶をしていたそうです。少なくとも村上春樹さんの作品中では、男性主人公は父親との関係に葛藤を抱えていることが多いです。村上春樹さんの教団宗教に対する、全否定はできないというアンビバレンスは、おそらく父親に対するアンビバレンスと関係しているのでしょう。 (河合)天才的な人は最初からこんな馬鹿なことはしないです。たとえば親鸞なんか「弟子はとらない」と言っています。しかし言っているにもかかわらず、あとになってあれだけすごい教団ができてしまった。だからもう、これからは宗教性の追求というのは個人でやるより仕方ないんじゃないかと僕は思てますけれどね。 (村上)異議を唱えるようですが、個人でそれができるほど強い精神を持っている人は、多くの場合宗教なんかにいかないんじゃないでしょうか。宗教を求める世間の大多数の人は、個人でやっていくことはむずかしいだろうと

    村上春樹さんと教団宗教 - 熊田一雄の日記
    kotobuku
    kotobuku 2010/08/14
    宗教を求める世間の大多数の人は、個人でやっていくことはむずかしいだろうと僕は思う
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    kotobuku
    kotobuku 2010/07/28
    共有されるべき“教養”の崩壊と俵万智の登場,そしてフラット化する短歌の世界…。口語を駆使する能力という点で,プロとアマの間に決定的な差異はなくなりました。
  • 森田草平伝 - jun-jun1965の日記

    新藤兼人脚映画「村八分」はDVDになっているのだが、北星というところに直接申し込むと入手できるらしい。 - 比較文学会とか東大比較文学とかが衰退するとしてもそれは私の立場から言えば仕方のないことである。しかしそれらの構成員で自分のウェブサイトを持っているのって私とヨコタ村上くらいしか思いつかないってもうそのこと自体がダメな証拠ではないかと思う。 - 内田百輭「実説艸平記」が、ちくま文庫『間抜けの実在に関する文献』に入っていたので読んだ。1950年9月『小説新潮』に発表、51年新潮社から単行であるが実に面白い。既に没した森田草平の奇行の数々が描かれている。草平は漱石門下の古株で百輭は和辻哲郎と同年の後輩弟子である。のち草平はやはり漱石門下の野上豊一郎のひきで法政大学に勤めて百輭も招かれたが、のち野上派と森田派の抗争が起きていったん野上派をクビにして百輭もクビになるが、結局戻ってきて草平

    森田草平伝 - jun-jun1965の日記
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    kotobuku 2010/06/09
    内田百閒「実説艸平記」が、ちくま文庫『間抜けの実在に関する文献』に入っていたので読んだ。百閒が「大人のおもちゃ」の広告を見て草平と一緒に買いに行ったり、何ともいい。
  • 武田泰淳「快楽」 - 散る文学

    宝屋の若夫人の肉の魅力とその妹・久美子の思いつめた姿が、女への執着を棄てることが出来ない青年僧・柳の頭にあった。善を知るためにはまず悪を知らなければならないと若夫人は言い寄るが、柳は「いやだいやだいやだ」と首をふるばかりだった。悪僧・穴山に嫌らしさを感じつつも、嫉妬し、すごいやつだと思う。しかし、それはなんとなく感じるだけであり、そもそも柳は物事を難しく考えることがない。 快楽〈第1巻〉―けらく (1972年) 作者: 武田泰淳出版社/メーカー: 新潮社発売日: 1972メディア: ? クリック: 2回この商品を含むブログ (1件) を見る 4年45回の連載後中断し、作者死去により未完に終わった、情熱の作家・武田泰淳の自伝的大作。後書きには「主人公柳は、若き仏教僧侶として絶えず恥ずかしさ、強がり、自己弁明にとらわれながら行動するが、同時にきわめて無反省、無意識的な状態にとどまっている」とあ

    武田泰淳「快楽」 - 散る文学
    kotobuku
    kotobuku 2010/06/05
    「主人公柳は、若き仏教僧侶として絶えず恥ずかしさ、強がり、自己弁明にとらわれながら行動するが、同時にきわめて無反省、無意識的な状態にとどまっている」とありますが、これは一般的な青年像です。
  • 夏目鏡子述・松岡譲筆録 『漱石の思い出』 - 蟹亭奇譚

    大正5年12月9日、漱石最期の日は土曜日だった。いよいよ危ないということで、学校へ行った子供たちは早退して、父親に会いに行く。 ……そこでその子(引用者註:次女恒子)と近所の小学校へ行ってる四番目の娘とがまず会いに行きました。するとあんまり面変わりがしているので悲しくなったものでしょう。愛子というその四番めの娘がたまらなくなって泣き出しました。で私がこんなところで泣くんじゃないとなだめますと、それがきこえたとみえて、目をつぶったまま、 「いいよいいよ、泣いてもいいよ」 と申しました。 夏目鏡子述・松岡譲筆録 『漱石の思い出』 六一 臨終 『漱石の思い出』 は、昭和3年に雑誌 『改造』 に連載され、のちに大幅に加筆の上、漱石十三回忌を記念して出版された。書は、夏目漱石の、鏡子夫人の語りを、作家松岡譲(漱石の長女筆子の夫)がまとめた回想録という体裁をとっている。口述筆記のような書き方になっ

    夏目鏡子述・松岡譲筆録 『漱石の思い出』 - 蟹亭奇譚
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    kotobuku 2010/05/31
    夫人の目に映じた人間漱石の姿が、やさしい真実の魅力のうちに、生々と物語られ伝えられているのであります。
  • 猫を償うに猫をもってせよ

    kotobuku
    kotobuku 2010/05/30
    太宰には、女性独白体と言われる作品がいくつかある。
  • 吉備路文学館

    公益財団法人 吉備路文学館 〒700-0807 岡山市北区南方3-5-35 Tel:(086)-223-7411  Fax:(086)-223-7418

  • 「第16回 天真爛漫なナオンスキー、近松秋江の巻」 日刊!ニュースな本棚|Excite エキサイト : ブックス(文学・書評・本のニュース)

    非モテ界随一のヒーローといえば、何と言ってもフーテンの寅さん。非モテニートのナオンスキー(女好き)は時としてむやみに愛されるものです。三十過ぎてから女遊びに目覚めた明治時代の無職男が元嫁に送った手紙という形で発表された「別れたるに送る手紙」もまた、ニートなナオンスキーの物語です。 手紙の書き手である雪岡と元嫁・お雪との暮らしぶりはというと、 私がそんな書籍を買っている間、お前はお勝手口で、三十日に借金取の断りばかりしていた。私もまさかそんな書籍を買って来て、書箱の中に並べ立てゝ、それを静(じっ)と眺めてさえいれば、それでお前が、私に言って責めるように、「今に良くなるだろう。」と安心しているほどの分らず屋ではなかったが、けれども唯お前と差向ってばかりいたのでは何を目的(あて)に生きているのか、というような気がして、心が寂しい。けれどもそうして書箱に、そんな種々(いろいろ)な書籍があって

  • 武田泰淳の日記 : 塾長日記

    January 14, 2006 武田泰淳の日記 1月12日朝日新聞夕刊で文芸評論家・川西政明の書いた「武田泰淳の日記を読む・苦しみの根源あらわに」のコラムを読んだ。 昨年、武田泰淳の娘の花さんから近代文学館に「武田泰淳資料」が寄贈された。その資料の中に昭和12年前後に書かれた「従軍手帳」「上海時代の日記」があり、川西はそこに「恐るべき記述」があるのを発見した。 戦後文学を代表するこの高名な作家の作品に「審判」という題名の小説がある。戦後数年の後に発表された作品である。泰淳は1947から1952年ごろにかけて、「蝮のすゑ」「風媒花」など世評高い数々の問題作品を発表する。「審判」は戦場での殺人を告白した「私」小説の形式で書かれた作品で、その「私」が作者自身であるのか、たぶんそうとしか読めない文体で書かれている。 「私」たち兵隊は分隊長の命令で二人の中国人を射殺する。また「私」はある農村の集落

    武田泰淳の日記 : 塾長日記
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