クリミア領有のきっかけ作った公爵 クリミアが15世紀にモンゴル帝国に征服され、その後モンゴル系のクリミア・ハン国の領土となったウクライナを、ロシアが領有するようになるきっかけを作ったのが、実はグレゴリー・ポチョムキンなのです。 さらに、今回「AI脆弱性」の指標として整理された概念の大本も、ロシアの「クリミア併合」がきっかけを作ったのです。 実質的には、オスマン帝国の保護のもとで15世紀に成立したクリミア・ハン国でしたが、露土戦争(1768-74)でオスマン・トルコが敗れ、多くの権益をロシアに奪われていきました。 最後のハーン、シャヒン・ギレイは親露派でした。露土戦争終結後も内乱の鎮圧に苦しんだシャヒンはロシアに援助を要請。 ここで思い切って「クリミア併合」(1783)を進言したのが「ポチョムキン公爵」だったのです。 これをもって、中世以来チンギス・ハーンの後裔が治めてきたクリミアの地が、元
