ミルをベンチマークとして市民的公共圏の理念について考えてみると、近代市民社会の経済的側面は私的所有と契約の自由を基盤とした自由な市場経済に、政治的側面は思想の自由・表現の自由とその基盤としてのパブリック・フォーラム(自由で安価な出版とジャーナリズム)を前提とした議会政治によって代表される。そしてそのどちらも自由で自立した個人としての市民の、自由で自発的な行動の結果作られる社会秩序として理解されている。 「公共性の構造転換」とは、「自由で自立した個人が形作る社会秩序」という理念がリアリティを失い、社会がそれこそハーバーマスの表現を借りれば「生活世界」とは区別されたものとしての「社会システム」として、すなわち自由な個人が作り上げるのではなく、個人に対して外在的によそよそしく超越して、その自由を拘束する仕組みとして人々に体験されるようになる、という過程である。それは経済的な側面ではマルクス主義の