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2014年2月10日のブックマーク (6件)

  • ベンヤミンめも (「近代化に対して」「政治/美学」「アウラ」「アレゴリー」あたり): muse-A-muse 2nd

    ベンヤミンちょっとやってみようかなあと思ったのはソンタグで触れてあったからか。 スーザン・ソンタグ、1977(1979)、「写真論」: muse-A-muse 2nd http://muse-a-muse.seesaa.net/article/385423814.html それで写真のテクニック的なことではなくて写真というメディアを通じて(あるいはそれに代表される)リアリティの変化を改めて考えてみたいと思ったのだった。そもそもアートとしての写真がピンと来ないので、自分的に。 なので、この系列で行くとバルトの「明るい部屋」とかベンヤミンの「写真小史」を読み進めるべきなんだろうけど、まあその前段階として。てか、「明るい部屋」はなぜかそれの解説(あるいはそれを踏まえたタイトル)は図書館にあったけどバルトのそれはなかったのだった(´・ω・`)。 ついでに「複製技術時代の芸術」もなんかよくわからん

    kousyou
    kousyou 2014/02/10
    "当時の民衆の精神史的な生活感""エートスとイデオロギー"リンクしてもらっている記事の参考書籍に挙げている上二つをオススメしておきます。あと詳しくはwikipediaにも項目あるが「世紀末ウィーン」で調べるとよろし。
  • 江戸時代農村の遊び日・休日

    最近、江戸時代農村の祭礼や休日について興味があって、色々調べているときに図書館で「増補 村の遊び日―自治の源流を探る (人間選書)」というをみかけ読んでみると面白かったので紹介。元々は1986年に発表された論考で、91年の補論とあわせて2003年に発行されたもので著者は長野県史の編纂主任という方のよう。 江戸時代の農村の休日についてのまとまった論考って、民衆史・社会史・民俗学関連の書籍で概論が説明されているぐらいで、(江戸時代農村の生活史は民俗学はもちろん、歴史学でも有名どころだと渡辺尚志先生や藤木久志先生が色々類書出しておられますが)専門書はともかく手頃な価格帯の書籍ではなかなか見つからなくて、郷土史関連の書籍を追いかけていく以外なかなか難しいので、長野県の事例が中心とはいえかなり貴重だし、三十年前の論考なのでここから大分研究は進んでいるのだろうという前提だが、色々発見があって面白かっ

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……

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  • 鎌倉市図書館の、おうちでのんびりしている方のために、何か鎌倉と雪に関する話題を #鎌倉 #図書館

    tenki.jp @tenkijp 関東でも大雪 雪と風のピークは http://t.co/QMZ0uYULFq 九州から東海にかけては8日にかけて、関東や東北は8日から9日にかけて広い範囲で雪が降り、太平洋側の平地でも大雪になるでしょう。また、風が強く、東海や関東、東北で... 2014-02-07 23:20:05

    鎌倉市図書館の、おうちでのんびりしている方のために、何か鎌倉と雪に関する話題を #鎌倉 #図書館
  • 職業別の生涯未婚率

    生涯未婚率という指標をご存知でしょうか。読んで字のごとく,生涯,未婚の状態にとどまる者がどれほどいるかです。 これは,全人口の人生を死ぬまで追跡して出すような,込みいったものではありません。生涯未婚率としては,50歳時点の未婚率が用いられます。この年齢以降は,結婚する者はほとんどいないであろう,という仮定に立つわけです。 なお,多くの官庁資料の年齢統計は5歳刻みのものですが,5歳刻みの統計から生涯未婚率を出す場合,40代後半と50代前半の未婚率を平均するという便法がとられます。 私は,この方式に依拠して,男女の生涯未婚率を職業別に計算してみました。こういうデータは見かけないので,興味を持った次第です。正規・非正規の影響を除くため,正規職員男女の率を出すこととします。資料は,2012年の総務省『就業構造基調査』です。 http://www.stat.go.jp/data/shugyou/2

    職業別の生涯未婚率
  • 人口動態からみた古代ローマ帝国の社会

    古代ローマ帝国を人口から眺めてみよう。あくまで数少ない文献史料と様々な考古学的調査に基づいての暫定的な推定値ではあるが、当時の人口動態とその人口動態を背景とした社会の様子が「古代ローマを知る事典」に概説されている。 まず首都ローマの人口は、イタリア全土を支配下においた紀元前270年頃の時点で約九万人だったが、以後カルタゴを滅ぼし、マケドニアに侵攻し、シリアを制し、ギリシアのアカイア連邦を撃破して地中海の覇権を確立した前130年頃には約三七万五千人に膨れ上がり、血で血を洗う権力闘争の果てにオクタヴィアヌス(アウグストゥス)が即位、アウグストゥスが崩御した西暦14年の時点で約八〇万人の超巨大都市に成長、最盛期となった五賢帝最後のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝時代の西暦164年にはついに100万人となった。西暦164年のローマ帝国総人口は6130万人で、当時の地球総人口三億人の約二〇%が

    人口動態からみた古代ローマ帝国の社会