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2016年8月6日のブックマーク (4件)

  • #艦これ 食へのこだわりをタイプ分けしてみた。 - なぐものイラスト - pixiv

    例えば。美味しい店を探すのも味を確かめるのも、みんな連れてきたいというなら、1。色んな店行ったり試すのは、自分好みの味を見つけるためなら、2。生活費の為でなく合理的な事をしてるのが楽しいならば、3。好

    #艦これ 食へのこだわりをタイプ分けしてみた。 - なぐものイラスト - pixiv
    kousyou
    kousyou 2016/08/06
    川内型四番艦の44歳出撃します!(スーパーのお惣菜半額タイム海域
  • 近世身分制社会の成立 | Kousyoublog

    兵農分離~太閤検地と刀狩り 近世の身分制度は兵農分離を軸としている。その土台は豊臣秀吉による太閤検地と刀狩りによってつくられた。太閤検地によって統一基準で算定された石高に基づき、秀吉から大名へ、大名から家臣へと領地が石高で与えられ、その知行の大きさに見合う軍役奉仕が義務付けられる。また、太閤検地によって百姓の耕作権が公認されるのとひきかえに、領主に対する貢租の納入が義務付けられる。支配者としての武士と被支配者としての百姓という構造が確立されていく。 この兵農分離に基づく身分構造の制度化として実施されたのが「刀狩り」である。「刀狩り」も、農民の武装解除という通俗的な理解が根深いが、そうではない。刀狩りは刀・脇差の所持ではなく帯刀を禁じることでの帯刀の有無を表象とした身分統制、すなわち『武士に奉公する者と、奉公しない百姓、戦う奉公人(兵)と戦わない百姓(農)の差別化』(藤木正志 「刀狩り」20

    近世身分制社会の成立 | Kousyoublog
    kousyou
    kousyou 2016/08/06
    “江戸時代、将軍と大名によって構成された『公儀』のもとで、すべての人々が宗旨改帳という『戸籍制度』によって登録されていた近世的な身分制度とは、<武士―平人―賤民>という身分制度であった。”
  • 江戸の身分制度研究略史 | Kousyoublog

    【江戸時代の身分制度論】士農工商から身分的周縁へ 「士農工商」とは何だったのか 江戸の身分制度研究略史 近世身分制社会の成立 近世身分制社会の構造~武士、朝廷、寺社、町人、百姓 近世身分制社会の社会的権力と身分的中間層 賤民制と身分的周縁を構成する社会集団 柔らかい身分理解という日社会史の新視点 吉田勉「歴史/身分論から差別論・穢れ論・境界論・地域社会論へ―歴史学・民俗学・人類学・宗教学などの成果 前近代部落史研究の課題と展望」(2014)によれば戦後の賤民研究は次の四つの時期に分けられる。 (1)林屋辰三郎の散所論や、井上清・原田伴彦らがリードする近世政治起源説が主流だった時期(戦後~1970年代中頃) (2)卑賤観としての触穢論を軸として、林屋散所論に代わって、黒田俊雄・大山喬平・網野善彦らがリードする中世非人論が主流となり、また渡辺広・横井清らの問題提起を承けて、朝尾

    江戸の身分制度研究略史 | Kousyoublog
  • 「士農工商」とは何だったのか | Kousyoublog

    「士農工商」の由来と受容 「士農工商」という言葉と社会を構成する人々を四民に分ける分類は古代中国の古典に由来する。「春秋穀粱伝」に「古者有四民,有士民,有商民,有農民,有工民。」とあり、「漢書」には「士農工商,四民有業。學以居位曰士,闢土殖穀曰農,作巧成器曰工,通財鬻貨曰商。」、「管子」にも「士農工商四民者,國之石民也。」とある。いずれも士農工商に身分的序列の意味はなく、職能から社会を構成する人々を分類する意味でつかわれていた。 いつごろ士農工商の分類が日に伝わったかは定かではないが、「続日紀」の「霊亀元年(七一五)五月辛巳朔」に「四民之徒。各有其業」とあり、十四世紀に成立した「神皇正統記」にも「凡男夫は稼穡をつとめておのれもし、人にもあたへて、飢ざらしめ、女子は紡績をこととしてみづからもき、人をしてあたゝかにならしむ。賎に似たれども人倫の大也。天の時にしたがひ、地の利によれり。此

    「士農工商」とは何だったのか | Kousyoublog
    kousyou
    kousyou 2016/08/06
    “職能区分を示す「士農工商」が身分として捉えられるようになったのは十九世紀に入って、江戸時代後期から幕末のこと”