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ブックマーク / diary.lylyco.com (11)

  • note は人気者のためのお布施サービスに落ち着くのか?|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    どこでだかは知らないけれど、いま話題の note 。 とにかく簡単に有料ページが作れる。これが、note のほぼ唯一にして、最大の強みだ。登録からものの数分で「続きを読む(有料)」なコンテンツが公開できる。手軽すぎて怖い。そこでは投稿されたコンテンツのことをノートと呼ぶのだけれど、ノートは無料で公開することもできる。が、課金がなければ、140字縛りのない Twitter みたいなものでしかない。 もちろん、縛りのない Twitter に意味なんてない。note を使うなら「売る」か「買う」かその両方か、だ。売るもののないぼくは、ウインドウショッピングのつもりでアカウントを作った。黎明期特有のぬるい空気の中、ぴょろぴょろと小銭が舞っている。note の外で見たことのあるアカウントを適当にフォローして、適当にノートを買ってみる。 最初に買ったのは岡田育というひとのノートだった。これはマイナビニ

  • プロブロガーとディストリビューターの共通点|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ● 主観的、形式的には独立した事業主である ディストリビューターは独立したビジネスパーソンである。某社と契約関係にはあるが決して社員ではない。およそセールスマンとしてえるレベルの技術はない。そのかわり、売り込むためなら嘘や誤謬をも恐れない。そんな前向きすぎるビジネス戦略によって、著しく信用を落としたり、哀れな目で見られたりすることもあるが、すべては自己責任である。某社にすればありがたい常連客である。 プロブロガーは独立したビジネスパーソンである。広告を扱ってはいるが広告会社の社員ではない。およそ文筆家としてえるレベルの文章は書けない。そのかわり、PV のためなら炎上をも恐れない。そんな前向きすぎるビジネス戦略によって、著しく信用を落としたり、哀れな目で見られたりすることもあるが、すべては自己責任である。プラットフォーマーにすればありがたい労働力である。 ● 搾取される不幸から自由だと信

    kousyou
    kousyou 2013/04/10
    レッツビギンやで!ポジティブや!!
  • 運と才能に恵まれて初めて「孤独」は許される|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    実のところ、他者というのは酷く面倒な存在だ。 できれば他人なんかとは関わらずに生きていきたい。もちろん不可能である。けれども、極力関わりを減らして生きることはできる。ただし、そのためには自身の市場価値を相当に高める必要がある。少なくとも今の時代に先進国で生きるためにはそれが不可欠だ。なにしろ、衣もも住も市場の中にしかない。人と極力関わらないということはつまり「極力自分の市場価値だけで市場から衣住を獲得する」ということだからだ。これは恐ろしく難易度が高い。至高というべきは「ただ生きているだけで市場価値がある」という状態だろう。そんなのは天皇くらいしか思い付かない。 だから、普通の人は他者との関わりの中で市場価値を補い合う。その典型が会社みたいな市場価値を生み出すための組織だろう。組織内での価値の大小はあれ、どんなに偉い重役でもその人個人の市場価値は大したものではない。別の組織の重役として

  • 「空気」を巡る一般人の予定調和とオタクの場外乱闘|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ・なんでオタクって空気読めないコメントするの? 「ついにiMAC買ったよ、明日届く予定。超愉しみ♪」 一般人は空気を読む。「すごーい、iMac買ったんだー(≧∇≦)」「おれも欲しいなー」「( *゜▽゜)/°・:*【祝iMac】*:・°\(゜▽゜* )」「うらやまっ!」「イイネ!わたしもボーナスで買っちゃうか!」「↑買っちゃえ買っちゃえっ」「マックかわいいよね(^▽^)V」「明日届くんだー愉しみだね(V^-°)イエイ!」「いいないいなーおれも欲しいよー誰か買ってくれー(爆)」「うちもiMacだよ!仲間♪仲間♪(ちょっと前のヤツだけど…)」「わお!ついに買ったんだ、オメデトウ!」「おめでとー!!!」「いやーー!わたしもホシイーーーo(><)O O(><)o バタバタ」 オタクは空気を読まない。「s/iMAC/iMac/」「漏れも買う予定だが、2.93GHzか3.06GHzで悩み中。グラボ性能は

  • たまたま同じバスに乗り合わせた不幸|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    若いサラリーマン風の男の隣に年配の男が腰を下ろす。 なんやニイちゃんそれオモロイんか、マンガとか読んで、え、おれにはよう解からんけどな、恥ずかしないんか、人前でそれ、マンガ、別にかめへんけどな、おれの感覚やったらアホちゃうかと思うわ、ほんま、アホちゃうか、そのマンガのどこがおもろいんや、いうてみいや、ん、ニイちゃんもええ歳してそれなりに給料ももろてるんやろ、いくらもろてるか知らんけど、人前でマンガ広げてるようなやつやて知ったら、おれ仕事相手やったらもうアホちゃうか思うけどな、だいたい、そんなもん読んで何の意味があるんや、ニイちゃん、どんな人生観持って生きとんねん、え? もっと勉強することあるやろ、意味あるもぎょうさんあるわ、おれがニイちゃんくらいんときはちゃんとした読んで勉強しとったで、マンガみたいなアホなもんは隠れてこっそり読むもんやろ、ほんまに不思議でしゃあないわ、アホちゃうかとし

  • 「ワーク・ライフ・バランス」に代わる指針|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    結論からいえば、生産と消費のバランスではないか、といまのところ思っている。 よりよく生きるための指針として、ワーク・ライフ・バランスということが一時期よくいわれた。けれども、ぼくにはどうもしっくりこなかった。そもそもワークとライフはそう単純な包含関係でも、対立概念でもない。日常生活に含まれるものは仕事以外にいくらでもある。確かに、多くの労働者にとって仕事人生の大半を占めるだろう。やりたくもない仕事に追われていると考える人は多いのかもしれない。およそ生きるためにやらざるを得ないことをやって人は生きている。が、だからといって仕事の時間を減らせばよりよく生きられるというのは、少し違うんじゃないかと思う。 そこで、人生におけるあらゆる行為を、仮に「生産行動」と「消費行動」に分けて考えてみる。決して「生産行動=ワーク」「消費行動=ライフ」ではない。いや、そう定義してもいいのだけれど、一般に誤解を生

  • はてブの人気エントリーに人気を取り戻すための素朴な改善案|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    はてなブックマークはもっと個人の評価を端的に反映すればいいんじゃないか。 はてなダイアリーやなんかで人気エントリーの不人気が囁かれることは少なくない。ぼく自身、最近はそれほど人気エントリーを注視しなくなった。もちろん、それは個人的な価値観による選択であって、人気エントリーが万人にとって無価値だなんていうつもりはない。ただ、多くの閲覧者がひと言物申さずにいられないような酷いエントリーが、その多くのネガティブな反応によって上位にランキングされるような状況は「人気エントリー」の冠を裏切っているのではないか。そんな風に思わなくもない。もの凄い不評も人気の内とはいえ、どうせなら好評なエントリーが読みたい。 そこで、ぼくとしては、はてなブックマークは評価システムとセットにして欲しい。はてなスターの仕様を少し変えて、それと連動する方法もあるかもしれない。ブックマークするときには評価も同時に付ける。たとえ

  • はてなブックマークはコミュニケーションではない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    リアクションとコミュニケーションを混同してはいけない。 ・一部のブックマーカーが理解できない 互いに理解を求め合う。それはコミュニケーションが担う役割だろう。つまり、リンク先の匿名氏はブックマーカーとコミュニケーションしているつもりだったのに果たせなかった。そういうことになる。これは当然だろう。ブックマークはコミュニケーションではない。そこが簡易コミュニケーションの場に見えるのは、おそらくそう思い込まされているからだ。はてなブックマークが提供しているのは、いわば「リアクションの可視化」サービスである。コミュニケーションを騙るのはマーケティング的に有効だからにすぎない。それは多くのWebサービスに共通した戦略でもある。 ブックマークが可視化したものは、テレビに向かって突っ込む視聴者の声みたいなものである。それを番組制作者や出演者とのコミュニケーションだといい張る人は少ないと思う。そうした声を

  • 安っぽい自己啓発が共感を呼ぶ本当の理由|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    こうした提言に人が飛びつく理由は簡単だ。 ・1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。 - Attribute=51 それは、「自分のことだけを考えて身勝手に生きてればいいんだよ」と教えてくれるからだ。普通、人は色々なシガラミの中で生きている。当の意味で自己中心的に生きられる人というのは少ない。その点、リンク先の提言には、徹頭徹尾「自分」しかいない。しかも、それが良いこととして肯定的に語られる。だから気持ちが好い。とにかく無理をせず、厭なものは極力排除し、日々心身のコンディション作りに邁進し、自分用に最適化した環境で気持好く過ごし、厭なことがあったら最適化が足りなかったと納得し、そうして、ありのままの自分を信じて生きればいいよ、と。 こうした自己啓発や自己暗示がいけないというつもりはない。人は所詮、自分の幸福で手一杯なのが自然だからだ。ただ、それが相当に多くのものを切り捨てていることは知っておい

  • ベジタリアンという食道楽|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ただの偏の話をこうして面白おかしく書けるのはさすが著名ブロガーだと思う。 ・きっこのブログ: ついウッカリのベジタリアン に善悪はあるか?ベジタリアンでもベジータリアンでも何でもいいけれど、こうした意図的な偏といわゆる好き嫌いによる偏との間に質的な差はない。理由が少し異なるだけで、ただの偏だ。宗教上の理由で牛をわないのも、ダイエット中で牛をわないのも、味が嫌いで牛をわないのも、臭いが嫌いで牛をわないのも、菜主義で牛をわないのも、やっていることはみんな同じである。性質が悪いのは、ただの偏の癖に、その偏を「正しい人間の姿」であるかのように主張し、偏でない人間を暗黙裡に非難するような「○主義」の類だろう。 自分でい物を獲ってわなきゃならない環境に置かれれば、人はい物を獲ってう。それが生きるということだろう。ただ、複雑になった人間はパンのみには生きられない。

  • 主観ノイズを減らせば世界が変わる|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    前エントリにも関わるノイズについて、もう少し思うところを書いておく。 ・304 Not Modified: インターネットで情報収集するときに必要なこと ノイズを許容しなさいというリンク先の主張は重要だと思う。ノイズのないウェルメイドな情報ばかりを求める。その手の受動性は、インターネット自体を諦めるという極端な結論を招きかねない。また、過剰なノイズリダクションは情報の多様性を圧殺してしまう。これではインターネットが齎す豊穣を十分に享受できなくなる。重要なのはノイズ判定の精度をあげることだ。ソフトウエア的なフィルタリング技術向上に期待せよという話ではない。自ら脳の判定精度を鍛えようという話である。情報の排除率を上げるためではなく、下げるための精度向上である。 強度のない脆弱な価値観はノイズ許容度を下げる。排他的になる。自分の価値観を守ろうとする力が大きく働きすぎるせいだろう。たとえば「○○死

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