「週刊新潮」の発売前日に速報が届く! メールマガジン登録 デイリー新潮とは? 広告掲載について お問い合わせ 著作権・リンクについて ご購入について 免責事項 プライバシーポリシー データポリシー 運営:株式会社新潮社 Copyright © SHINCHOSHA All Rights Reserved. すべての画像・データについて無断転用・無断転載を禁じます。
東北を拠点に活動している、みちのくプロレス(本社・岩手県滝沢市)が、旗揚げから25周年を迎えた。創設したザ・グレート・サスケ(48)と現社長の新崎人生(51)の二人三脚で、東北を中心に人気を博し続けてきた。“銀婚式”への思いや今後の夢など、2人の本音に迫った。各地で25周年興行を実施するほか、6月24日には「新崎人生25周年記念大会」(仙台市サンプラザホール)も開催される。【取材・構成=鎌田直秀】 創始者のサスケは、みちのくプロレスの歩みに満足していた。93年3月16日に岩手・矢巾町民体育館で旗揚げから25年。小規模運営でも成り立つプロスポーツ形態の、パイオニアになったことも自負する。 サスケ 今は日本全国のほぼ全都道府県にプロレス団体が存在する。我々をまねしてくれたと思っている。プロレスは上がり下がりがあるとか、今は新日本の独り勝ちと言われるが、成熟期を迎えている。東京中心の団体とローカ
ザ・グレートサスケの歩み 28年ものプロレス人生は波乱に満ち、決して順風満帆だったわけではない。その波乱に満ちた格闘家、”ザ・グレート・サスケ,,に迫ってみたい。 そのプロレス人生の始まりは、今から28年前、21才の時から始まるのだか、最初から躓いてしまう。当時、新日本プロレス学校で修業し、新日本のプロテストには残念ながら落ちてしまうのだ。 だか、不屈の精神と厳しいトレーニングを積みその後、ユニバーサル・プロレスリングに所属、後楽園ホールのモンキーマジック・ワキタ選手と対戦、プロレスデビューを果たす。リングネームは”MASAみちのく” デビュー当時は素顔で試合に出場していたが、メキシコへ渡り、覆面レスラーとして生まれ変わり、”ニンジャ・サスケ”のリングネームで活躍することになる。 その時着けた覆面とコスチュームのデザインは現在とほぼ変わっていない。 2度に渡るメキシコ遠征を経たのち、帰国を
覆面プロレスラー、ザ・グレート・サスケさんの現在の活動! 「ムーの太陽」? 今では知らない人はいない、ザ・グレート・サスケさん! 東北を拠点とする「みちのくプロレス」のご当地レスラーとして活躍していますが、そこから努力と実績を積み重ね、誰もが知る全国区の人気プロレスラーへとなりました。 ザ・グレート・サスケは地球の救世主なのか!? ザ・グレート・サスケさんは、メキシコ遠征を経たのち、帰国後すぐに「みちのくプロレス」を設立しました。 岩手県盛岡市出身であったサスケさんは、東北六県をプロレスで盛り上げ、活性化に繋げたいという思いから地域密着型の活動を長年行ってきました。 その後、新日本プロレス主催で行われた第1回「スーパーJカップ」に出場。まだまだ知名度は低く、その存在を知るのはコアなファンだけといった感じでしたが、新日本プロレス所属だったエル・サムライさんに勝利し、続く準決勝ではあの、獣神サ
週刊プロレス読者の皆様に謝らなくてはなりません。 現在発売中の週刊プロレス№1925の112ページ「コスチューム研究」でみちのくプロレスのザ・グレート・サスケ選手にご登場いただいたわけです。誌面をご覧いただければそれだけでも十分面白いページになったとは思うのです。 が! 女優・真木よう子さん語りも含めた東北の英雄のくだらな……いや、軽妙なトークの魅力は1ページでは収まりませんでした! そこでベースボール・マガジンWEBを利用して、ザ・グレート・サスケ・インタビューのディレクターズカット版「続・サスケと奈七永と真木よう子」を大公開! コスチューム語りの面白部分と、サスケが大ハマりしたドラマ「セシルのもくろみ」に主演した真木よう子さんに関するトーク、そして年末の恒例行事、宇宙大戦争の予告編ともいえるインタビューをお届けします! 本誌「コスチューム研究」、そして8月に公開した「サスケと奈七永と真
「宮崎駿のサスケ問題」に、まずまずの結論を得ることができたので書いておこう。 おさらいするとこの問題とは、1995年7月15日に公開された映画「耳をすませば」の学校のシーンでガヤの男子生徒が「おい昨夜のサスケ見たか、オレ感動した!」という場面があり、この台詞が1994年4月16日の両国国技館、新日本プロレス「SUPER J-CUP 1ST STAGE」におけるザ・グレート・サスケの奮闘を指してのものではないのか、という映画史的に極めて重要な疑惑のことであった。 なんのことはない、宮崎駿が切った絵コンテに答えはあった。 (ト書き) となりのA格闘技狂が何かはなしている (台詞) A オイ ゆうべのサスケみたか すげえんだ オレは感動した (台詞) B ガハハハ これでもう間違いあるまい。 「耳をすませば」は監督こそ近藤喜文ではあるものの、これはディレクションのみと考えてよかろう。宮崎駿はクレ
2016.12.15に行われたみちのくプロレス後楽園ホール大会「宇宙大戦争11~FAKE~誰にも言わないで下さい。 衝撃のメンイベント。好きな人と観に来てほしい。これは、ふたりの物語。」に関するツイートをまとめました
【試合結果】12・15 みちのく宇宙大戦争後楽園ホール大会 ザ・グレート・サスケ&バラモンシュウ&バラモンケイ&ウルトラマンロビン&モスラ(ミニマスター) vsキラー・クロックGAINA&ハーレイ・クイン2号&デッド・ショット1号&グンジ&シン・ミニラ 『2016年最後の東京大会~宇宙大戦争~』 日程:2016年12月15日(木) 会場:後楽園ホール 開始:18:30 観衆:1850人(超満員札止め) ▼シングルマッチ 15分1本勝負 ○気仙沼二郎 5分7秒 エルヌド ●後藤恵介(WAVE) ▼シングルマッチ 20分1本勝負 ●イーグルス・マスク 7分8秒 いつもの!→体固め ○農業ボーイ雷斗 ▼タッグマッチ 20分1本勝負 ○ヤッペーマン3号/里歩(我闘雲舞) 9分6秒 ジャーマンスープレックスホールド さくらえみ(我闘雲舞)/●「ことり」(我闘雲舞) ▼タッグマッチ30分1本勝負 ○新
ザ・グレート・サスケ オフィシャルブログ「THE GREAT SASUKE」Powered by Ameba 1990年3月1日、後楽園ホールにおけるユニバーサル・レスリング連盟旗揚戦でデビュー。 1993年3月、日本初のローカルプロレス法人、株式会社みちのくプロレスを起業。 プロレス界の枠を超えたスーパースターに。 株式会社 アルファ・ジャパンプロモーション所属 3月11日をいかに過ごすか? 決して風化させてはいけない。 遺族の方々の 心の復興は まだまだ遠い 先の話なのですから。 あの日から数ヶ月経った時、 「相撲とプロレスが観たい」 というお声を 頂戴した時には、 プロレスラーでも 社会貢献が出来るんだ って実感させていただきました。 例年ですと、 長瀬館長が 震災メモリアル大会を 開催して 私を呼んでくれていたのですが 今年は、 アップルスタープロレスさんが やってくれます!! 東
アップルスター1.14後楽園ホール大会 大仁田&サスケvs.葛西&MIKAMI/ダンプ松本vs.みなみ飛香 アップルスタープロレス セカンドインパクト!第二の衝撃! 日時:2016年1月14日(木) 開場:18:00 開始:19:00 会場:東京・後楽園ホール 観衆非公開 第1試合 10人タッグマッチ60分1本勝負 Hi69(フリー)/勇者アモン(東京多摩ルチャス)/●ハイビスカスみぃ(琉球ドラゴン)/イデア(NPW)/oKADo(信州) 12分31秒 ビルディングボム ○保坂秀樹(フリー)/奥田啓介(フリー)/雷電(BATTLE AID)/小橋太っ太(西口)/阿部史典(スポルティーバ) 第2試合 タッグマッチ60分1本勝負 ●千葉智紹(佐野魂)/佐瀬昌宏(フリー) 8分43秒 回転十字固め タダスケ(道頓堀)/○タケシマケンヂ(スポルティーバ) 第3試合 シングルマッチ60分1本勝負 ●
サスケ氏によれば、「9・11の同時多発テロで、2機目が貿易センタービルに突入する際、それを止めに入るかのようにUFOが現れていた」という これまで3度、UFOに遭遇したと告白するプロレスラーのザ・グレート・サスケは“ポスト矢追純一”の呼び声高いUFO研究家でもある。 サスケ氏によると、地球上にはすでに多くの異星人がいるという。彼らの目的とは!? (前編記事→「18歳の時、UFOを見て人生観が変わりました」) *** ―そもそもUFOは何をしに地球に来ているんですか? サスケ 私が最初に見たUFOは明らかにエイリアンクラフト、すなわち「地球人ではない、意思を持った者=“異星人”が乗っているもの」だと考えられます。ただし“異星人”といっても1種族ではなくて、たくさんの種族がいるんです。 01年にアメリカで会見が行なわれた「ディスクロージャー・プロジェクト」で、UFOに関して元NASA職員、元米
ザ・グレート・サスケ(The Great Sasuke、1969年7月18日 - )は、日本の覆面レスラー、元政治家、元岩手県議会議員(1期)。本名:村川 政徳(むらかわ まさのり)。岩手県盛岡市出身。血液型O型[1]。 ウルティモ・ドラゴン、スペル・デルフィンと並びジャパニーズ・ルチャの立役者の1人。 人物[編集] 歌舞伎の隈取りをモチーフとしたマスクを着用しており、普段は赤い隈取りだがヒール転向時は青い隈取りのマスクを着用しSASUKEと名乗る。自ら所属レスラーとして精力的にリングに上ると同時に、みちのくプロレス株式会社代表取締役社長を2003年まで務め、岩手県議選当選後に取締役会長に退いたが、2009年8月に社長へ復帰。本人の発言によれば、経営者としての職務中も(外出時もスーツにマスク姿である)、入浴など私生活においても一切覆面は外さない。 1990年代には難易度の高い空中技を次々に
クリスマスソングとプロレスで二度おいしい 異色のディナーショー (左から)スーパータイガー、深見東州、初代タイガーマスク、ザ・グレート・サスケ Photo By スポニチ 東京芸術財団主催の「X’mas チャリティ・プロレス・ディナーショー!」(スポーツニッポン後援)が9日、東京・文京区のホテル椿山荘東京で開催された。稀代のエンターテイナー、深見東州(63)と曙、ダンプ松本らプロレスラーがエイズ撲滅のためにタッグを組み、チャリティーとクリスマス、プロレスとディナーショーが合体した、まさにサンタの夢の贈り物に約520人が美食と陶酔と興奮の5時間を過ごした。 午後5時半の開場、開宴から1時間半。食事中の会場にはなぜか「蛍の光」と「軍艦マーチ」が流れていた。7時になると、照明が落ちて、赤いジャケットを着た深見がステージに登場。 「幕の外弁当はいかがでしたか?(実際は、はみ出した松花堂弁当)何
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く