【天龍引退興行】両国国技館の入り口正面にはプロレス界、芸能界、角界などから贈られた花輪が50基以上も並んだ。リングス代表の前田日明氏、アニマル浜口氏、高田延彦、佐々木健介、三遊亭円楽師匠、徳光和夫アナウンサーら、天龍とゆかりの深い名前が会場を彩った。
“ミスタープロレス”天龍源一郎引退興行「〜天龍源一郎 引退〜 革命終焉 Revolution FINAL」が15日、東京・両国国技館で開催され、超満員札止めとなる1万522人を動員した。 天龍はメインイベントで、自ら対戦相手に指名した新日本プロレスのオカダ・カズチカと最初で最後の一騎打ち。オカダのレインメーカーに散るも、最後まで勝負にこだわり、昭和を代表するプロレスラーとしての生き様を刻み付けた。 天龍は福井県勝山市出身の65歳。1963年に大相撲の二所ノ関部屋に入門し、西前頭筆頭まで上り詰めるが、76年秋に廃業し、同年10月に全日本プロレスへ入団。以後、SWS、WARなど様々な団体に参加し、三冠ヘビー級王座、IWGPヘビー級王座などを獲得。ジャイアント馬場、アントニオ猪木の両名からピンフォール勝ちした唯一の日本人レスラーでもある。さらに、電流爆破デスマッチや女子プロレスラーとの対戦、マス
【プロフィール】常見陽平(つねみようへい) 身長175センチ 体重85キロ 千葉商科大学国際教養学部准教授/いしかわUIターン応援団長/働き方評論家/社会格闘家 北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業、同大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。リクルート、バンダイ、ベンチャー企業、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師(現:准教授)。専攻は労働社会学。大学生の就職活動、労使関係、労働問題、キャリア論、若者論を中心に、執筆・講演など幅広く活動中。平成29年参議院国民生活・経済に関する調査会参考人、平成30年参議院経済産業委員会参考人、厚生労働省「多様な選考・採用機会の拡大に向けた検討会」参考人、「今後の若年者雇用に関する研究会」委員、第56回関西財界セミナー問題提起者などを務め、政策に関する提言も行っている。 執筆・講演のご依頼、お問い合わせなどはy
「ミスタープロレス」と呼ばれた天龍源一郎(65)が15日、リングを去った。大相撲で前頭筆頭まで進んだ後、プロレスに転身して39年。東京・両国国技館での引退試合を支えたのは、一人娘の嶋田紋奈(あやな)さん(32)だった。 午後7時15分すぎ、国技館に試合終了のゴングが鳴った。今のプロレス界を引っ張るオカダ・カズチカ(28)との試合。倒れ込んだ天龍はゆっくりと起き上がり、「負けたー」と叫んだ。所属団体の代表として試合の運営を担ってきた紋奈さんはリングに立ち、観客に「最高の舞台を与えて下さったことに、心から感謝します」と涙ながらにあいさつした。 紋奈さんが生まれた1983年、父は人気レスラーだった。逆水平チョップ、パワーボムといった必殺技を繰り出し、ジャンボ鶴田(故人)、藤波辰爾(たつみ、61)、長州力(63)らとプロレス人気を牽引(けんいん)した。 紋奈さんは中学生の時から、リング設営や音響を
天龍源一郎 最終興行 〜天龍源一郎 引退〜 革命終焉 Revolution FINAL 日時:2015年11月15日(日) 開場:13:00 開始:15:00 会場:東京・両国国技館 観衆:10,522人(超満員札止め) ▼第1試合 タッグマッチ 30分1本勝負 ○リッキー・フジ/高木三四郎 8分41秒 9999→片エビ固め ●菊タロー/ジ・ウインガー ▼第2試合 タッグマッチ 30分1本勝負 里村明衣子/●カサンドラ宮城 9分29秒 フロッグスプラッシュ→体固め DASH・チサコ/○仙台幸子 ▼第3試合 10人タッグマッチ 30分1本勝負 獣神サンダー・ライガー/筑前りょう太/グルクンマスク/シマ重野/●ドラゴンJOKER 11分16秒 SAYONARA→体固め 怨霊/空牙/TARU/○FUJITA/ヤス久保田 ▼第4試合 6人タッグマッチ 30分1本勝負 ザ・グレート・カブキ/○KAI
天龍源一郎選手が引退した。「お腹いっぱいのプロレス人生」を走り切り、現在進行形の最先端を突っ走るオカダ・カズチカに何度も吹っ飛ばされ、歯を食いしばって立ち上がり、そしてボロボロになりながらも最後は自分の足でリングを降りた。本当に、カッコ良かった。 志半ばでこのリングから去り、そしてありがとうもさようならも言えなかったレスラーが幾人もいた中で、2年前に小橋建太選手が引退試合をやり、10カウントゴングを鳴らし、笑顔でリングを降りられたことに私たちは心から感謝した。小橋建太にありがとうと、さようならが言えて良かったと心から思った。 今日改めて天龍さんの引退試合を見届けることが出来て思う。そのキャリアが長かろうが短かろうが、レスラーがどうか自分の意志でリングを去る決断が出来ますように。そして自分の足で笑顔でリングを降りることが出来ますようにと。 同時に思う。レスラーを応援する私たちは、彼らが初々し
大相撲の冬の風物詩、九州場所を力士は心待ちにしているらしいです。 冬の博多は美味しいものが多く、タニマチと一緒に日頃から贅沢なものを食べ慣れている相撲取りですら、楽しみなんだそうで。 寒風の時期、身が締まって甘味を増したアラ(クエ)鍋が最高だし、フク(ふぐ)も牡蠣もウニも、九州で揚がった地物が旬を迎えます。 「食は九州にあり」を実感するはず。 九州場所と相撲取りの組み合わせで、思い出したこと。 20~30年昔「週刊プロレス」の囲み記事だったと思うのだが、天龍源一郎に、九州場所の思い出について聞いた際の答えを記憶で再現すると、 九州場所は、美味いものが多いから楽しみだね。 中でも九州はうどんが美味いんだよ。巡業でバスに乗ったりすると、うどん屋さんを見つける度に停めてもらうんだけど、どこで食べても、九州のうどんは素敵にうまいね。 そのとおりだ天龍! さすが「漢(おとこ)」天龍源一郎、分かってる
天龍源一郎(65)が6日、引退表明後初めて自身の主宰する「天龍プロジェクト」に出陣し、愛妻・まき代夫人(58)の目前で激勝した。11月のラストマッチに向けたカウントダウンが進むなか、夫人が“ミスタープロレス最終章”について緊急提言。今後のプロレス界発展を願い、切なる思いを語った。 引退ロード第1章を大観衆が見守った。愛娘の嶋田紋奈天龍プロジェクト代表(31)によると「新木場では史上最多のお客さん」。その中に、夫人の姿もあった。 まき代夫人は4年前に乳がんを発症。昨年には心不全で緊急入院した。病状は徐々に回復しているが、現在も通院生活を送っており、天龍は「今度は自分が支える番になった」と引退理由の一つに挙げた。愛妻の約1年ぶりの来場に天龍は「来なくていいって言ったけど(引退発表後)初の天プロなので『やっぱり来ます』と…」と苦笑しつつもうれしそうだった。 かたや、まき代夫人は「引退は本人の意思
“ミスター・プロレス”天龍源一郎がことしの11月13日に39年間の現役選手生活に終止符を打ち、プロレスを“廃業”する。 引退ではなくあえて“廃業”という単語を使っているのは、指導者としてこのままプロレス界に残るわけではなく、またテレビ中継の解説者や評論家になるつもりもないためだという。「引退ではなく廃業です」という感覚は、プロレスラーのそれではなくて、どちらかといえば天龍のなかにいまも生きつづける相撲社会の通念なのだろう。 1950年(昭和25年)2月2日、福井県勝山市生まれ。本名・嶋田源一郎。1963年(昭和38年)、大相撲・二所ノ関部屋に入門し、1964年(昭和39年)1月、天龍のしこ名で初土俵。相撲時代の最高位は幕内・前頭筆頭だった。 1976年(昭和51年)10月、大相撲を廃業し、全日本プロレス入団。マゲを結ったままアメリカ武者修行に出発し、同年11月13日、テキサス州ヘレフォード
天龍、引退ロード第1弾 夫人も観戦 3枚 11月での引退を発表した天龍源一郎(65)が6日、東京・新木場1stRINGで行われた「Revolution FINAL TOUR」に出場し、タッグ戦で那須晃太郎を下した。 「オレが支える番」と引退理由に挙げた、一時体調を崩していたまき代夫人も約1年ぶりに会場に姿を見せ、さらに天龍プロジェクトの新木場大会としては過去最多となる279人が来場。正式な引退ロード第1弾から天龍は燃えに燃えた。 大コールの中、逆水平チョップ、グーパンチはもちろん、かつて阿修羅原との“龍原砲”で見せたサンドイッチラリアートを嵐との連係で披露。その後もラリアートを連発し、那須を沈めた。試合後は超満員のファンに「11月まで全力疾走で突っ走って行きます。その生きざまをとくと見届けてください」とあいさつし、大歓声を浴びた。 控室では「たくさん来てくれたお客さんに感謝」と笑みを浮かべ
格闘技生活にピリオド 天龍源一郎は、2015年11月に引退を発表しました。大相撲で初土俵を踏んだのは13歳(中学2年生)の時の1964年1月。最高位・前頭筆頭まで昇進しながら、1976年10月に26歳でプロレスに転向。39年のプロレス生活、51年11カ月の格闘技生活にピリオドを打つことを決意したのです。 あらゆるジャンルの大物を撃破して得た称号 天龍は、昭和が生んだ二大巨頭のジャイアント馬場、アントニオ猪木をフォールした唯一の日本人レスラーとして、「ミスター・プロレス」と呼ばれています。師匠である馬場には1989年11月29日、札幌中嶋体育館の「世界最強タッグ決定リーグ戦」公式戦のタッグマッチで、パワーボムを炸裂させて勝利。それは、馬場がトップレスラーになってから、日本人に初めてフォール負けした歴史的瞬間でした。 その師匠・馬場のライバルだった猪木とは、1994年1月4日の東京ドームで闘い
9日に引退を発表したミスタープロレス・天龍源一郎(65)。米国スーパースター勢と豊富な対戦歴を誇る天龍には、日本人として2人目のWWE殿堂入りも急浮上している。 WWEと深い関係を築いてきた天龍の引退表明は米国マット界にも衝撃を与えたが、その功績をたたえる動きも急浮上している。 「ハルク・ホーガンやリック・フレアーとも戦って、レッスルマニア(91年3月)にも出場している。レジェンドとして米国での認知度や人気もかなり高い。実績は文句なしじゃないですか。殿堂入りの可能性は十分あると思います」(WWEジャパン関係者) 世界最大のプロレス団体WWEは、年間最大の祭典「レッスルマニア」前日に殿堂(ホール・オブ・フェーム)入り式典を行う。過去、日本人ではアントニオ猪木しか果たしていない(2010年)。そんな栄誉が天龍にも与えられる可能性が出てきた。 天龍は本紙の取材に対し「大きな転機となったのはランデ
盛岡競馬場にて2014年10月13日に行われた 第27回 マイルチャンピオンシップ南部杯(JpnI)を、 ”プロレスラー天龍源一郎さん”が実況しました。 ■勝ち馬チョイス 2014年11月3日の地方競馬最大の祭典!「JBC 2014」の勝ち馬(=1着馬)を 無料で予想するだけで、最大10万円が当たるチャンス! 2014年10月31日(金)~11月3日(祝月)までお楽しみいただけます! http://oj.oddspark.com/lp/keiba008 ■オッズパーク http://www.oddspark.com/
【プロレスのつぼ】何かを形容するときの表現には、その人の個性がとてもよく出る。子供のころ、「笑点」で司会の三波伸介が座布団運びの松崎真を毎回、何かに形容しつつ紹介するのが好きだった。交通安全標語でおなじみの松崎だったが、その風貌は映画「燃えよドラゴン」にスモウレスラー役で出演したほどイカつい。そんな松崎に対して三波は「玄界灘のオニヒトデだ」「陸に上がったトドの死体」「夜店の雷魚」なんて、毎週いろんなバリエーションで紹介したのだった。最近、そんな形容でつぼに入っているのがブードゥー・マーダーズ(VM)と抗争中の天龍源一郎のコメントだ。VM軍に対して怒り心頭の天龍は毎回、いろんな形容でVMを徹底批判している。 「あいつらへ…いやへ以下だよ」「チョンマゲつけてかっぽう着着てサンダル履きで歩いているみたいだ」(4・2新木場)、「合羽橋の模造品」「シーラカンスもどきのナマズ」「隅田川に浮かんだドブネ
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