コンゴとザイールで、高野さんはフランス語とリンガラ語を混ぜて話すことも。今回は、民族語、リンガラ語、フランス語を話している現地の人々の言語事情をわかりやすく解説。 この連載を読んでいる方は、私がさぞやリンガラ語に堪能だったように思われるかもしれないが、残念ながらそうではない。最初は片言程度だったし、その後何度もコンゴへ通ううちにある程度上達したが、それでもリンガラ語だけの会話は難しく、フランス語とチャンポンになっていることが多かった。 でも、言い訳をさせてもらうなら、そもそもフランス語なしでリンガラ語を話すことは容易ではない。自動車、学校、故障などフランスから輸入されたモノや概念はみなフランス語のままだし、特に町に住む人は、リンガラ語で話していても、「セ・ヴレ・サ(それ本当だよ)」とか「セッタンクワイヤーブル(信じらんない)」、「ヴアラ(はい、どうぞ)」など、随所にフランス語を織り込むの
第4回 ウケる! リンガラ語学習 私と向井は結局、ザイールとコンゴに2カ月ほど滞在した。コンゴ政府と交渉したり、ムベンベが棲むと言われる湖の周辺の村々を調査して歩きながら、リンガラ語をせっせと覚えていった。帰国してから、私は他のコンゴ隊メンバーのために、リンガラ語の入門テキストを作成した。 「突撃リンガラ語入門」 「突撃リンガラ語入門」と題したそれを、最近部屋を片付けているとき偶然発見した。 ワープロ打ちの原稿をコピーしてホチキスで閉じた、全部で14ページの簡易なものだが、なかなか気が利いている。 表紙には「ソキ・オザリ・ナ・ミノ、リヤ・マサンゴ(歯があるときにトウモロコシを食べなさい)」というコンゴの諺(ことわざ)が記されている。「できるときにやれ」という意味だが、特に子どもや若者に「若いうちに勉強しろ」と尻を叩くときに使う諺らしい。年取って歯がなくなってからではトウモロコシはかじれない
フランス語とリンガラ語を携え、初めてアフリカの地へ。そこで高野さんを迎えたのは強烈なリンガラ音楽と、人々の悲鳴! そして高野さんに起きたこととは──。 初めてアフリカの地に降り立った日のことは忘れられない。 私はムベンベ探索の偵察という名目で、向井という後輩と2人、パリ経由でザイールの首都キンシャサを訪れた。1987年のことだ。 本来の目的地であるコンゴの方は前にも述べたように日本に大使館がなかったので、まずは日本に大使館のあるザイールのビザを取り、そちらに行ったわけだ。コンゴの首都ブラザヴィルはコンゴ川をはさんでキンシャサの対岸にあった。2つの首都の間はフェリーのような船が行き来していた。キンシャサのコンゴ大使館でビザを取れば、簡単にコンゴへ渡ることができる。 コンゴの首都ブラザヴィルとザイールの首都キンシャサ ふたつの首都はコンゴ川を挟んで向かい合っている。船が定期的に運航されており
コンゴでの怪獣さがしのためフランス語だけでなく、リンガラ語を習おうと決意した高野さん。きっかっけは突然出現したテレビ番組制作会社の存在でした……。 私の言語人生(なんてものがあればだが)を振り返ると、初期の段階で、節目節目に不思議な力が働いていたと思わざるをえない。コンゴへ行くためにはフランス語ができれば十分だったのに、途中から並行してリンガラ語を学習することになってしまったのだ。 理由は、RPG的にいえば、「新たな敵の出現」だった。 ゴジラ現る 私が探検部の仲間と一緒に、コンゴに棲むといわれる謎の怪獣モケーレ・ムベンベ探索の計画を立て、部内で「コンゴ隊」と呼ばれるようになっていた頃、全く偶然ながらテレビ番組制作のプランナーを名乗る人が独自にムベンベ探索の番組化をもくろんでいることを知った。その人の名は長井健司という。後年彼は紛争地帯を歩く映像ジャーナリストになり、2007年、ミャンマーで
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