エドワード・カーペンティア(Édouard Carpentier、本名:Édouard Ignacz Weiczorkiewicz、1926年7月17日 - 2010年10月30日)は、フランス出身のプロレスラー。カナダのモントリオールに移住後、北米の主要テリトリーで活動した[5]。 もともとは体操競技の選手として鳴らし、プロレス転向後は、その下地を活かしたアクロバティックなレスリングで活躍[3][4]。ミル・マスカラスらが登場する以前の空中ファイターの草分けであり、北米では "The Flying Frenchman"[4]、日本では「マットの魔術師」の異名で呼ばれた[6]。 ロシア人の父親とポーランド人の母親のもと、フランスのローヌ=アルプ地域圏で生誕[2]。第二次世界大戦中は、ポーランドを侵略したアドルフ・ヒトラー支配下のナチス・ドイツに対するレジスタンス運動にも関わっていた[2]。