育成選手での再契約を拒否し、トライアウトに挑戦した大立恭平育成選手制度の「いま」を考える(前編) 秋の風が心地よかった。 雲ひとつない青空が広がる宮崎で、フェニックスリーグの試合を眺めていたら、ふと、彼らの名前が浮かんできた。 ジャイアンツの伴宙太、八幡太郎平、さらにはタイガースの岩風五郎──こう並べば、四半世紀昔のマンガに詳しい野球好きなら、すぐにピンと来るだろう。伴は『巨人の星』で、八幡は『侍ジャイアンツ』、岩風は『男どアホウ甲子園』で、それぞれ星飛雄馬、番場蛮、藤村甲子園とバッテリーを組んでいたキャッチャー、つまりは主人公の女房役である。 彼らに共通しているのが"3ケタ"の背番号だった。 伴は119番、八幡は100番、岩風は222番。当時のジャイアンツには森昌彦、タイガースには田淵幸一という押しも押されもせぬレギュラーが君臨しており、伴や八幡、岩風は一軍のレギュラーには及ばなかった。