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ブックマーク / eboli.exblog.jp (7)

  • 受け継がれるもの : 漂流生活的看護記録

    去年のアルゼンチン滞在中と同じく、ちょっと隣のウルグアイまで友人に会いに行ってきた。ブエノスアイレスのホルヘ・ニューベリー空港(アエロパルケ)から飛行機で...去年のアルゼンチン滞在中と同じく、ちょっと隣のウルグアイまで友人に会いに行ってきた。ブエノスアイレスのホルヘ・ニューベリー空港(アエロパルケ)から飛行機で40分、ダルセナ・ノルテ港からブケブスがフェリーを出していて、直行便なら高速艇で3時間、コロニア・デル・サクラメント経由なら1時間、そこからバスに乗り換え約3時間でウルグアイのモンテビデオに着く。 わたしが訪ねた友人はウルグアイ最大手の政府系銀行に勤務していて、わたしが南米での医療系NPO活動をする資金関係もあり、直接顔を合わせることはなかったものの5~6年前からメールでのやりとりを細々と続けているだけの仲だった。しかし一昨年の震災の直後、彼はすぐに「もし必要ならウエスタンユニオン

  • そして5月広場で : 漂流生活的看護記録

    ブエノスアイレスに来て1週間になる。70年代から80年代にかけて、南米はどの国も一通りクーデターの洗礼を受けており、アルゼンチンもその例に漏れず76年から...ブエノスアイレスに来て1週間になる。 70年代から80年代にかけて、南米はどの国も一通りクーデターの洗礼を受けており、アルゼンチンもその例に漏れず76年から83年まで、軍事政権下にあった。今回わたしが日を発つちょうど1週間前、アルゼンチン軍事政権時代のリーダーだったホルヘ・ビデラが獄死した。わたしはそのニュースをたまたまこちらのインターネットラジオを聞いて、リアルタイムで耳にしたのだが、その時思い出したのは7年前の暮れ、チリのピノチェト元大統領の死のニュースをエクアドルのテレビで見たときのことである。番組では当時のピノチェト派の行った過酷な弾圧、拉致や拷問について、そしてサンチァゴでかつての反ピノチェト派が集会を行っている映像が繰

  • 証明せよ : 漂流生活的看護記録

    中学の卒業式の思い出話はいいネタだったのだが、実は中学生活全般を通してみると、あまり楽しい時期でもなかったりするのである。わたしの髪はもともとかなり派手な...中学の卒業式の思い出話はいいネタだったのだが、実は中学生活全般を通してみると、あまり楽しい時期でもなかったりするのである。わたしの髪はもともとかなり派手な赤毛で、どこの学校に転校しても必ず一度は呼び出されてそれは染めているのか地毛なのかと尋問された。ある学校でもやはり職員室に呼ばれて尋問されたとき、赤毛がダメなら黒く染めれば問題ないですねと言うと毛染めは校則違反だからダメだという。だったらどうすればいいのかと聞くとそれが地毛で「染めていない」という診断書を医者にもらって提出しろと言われた。そういう証明なら医者よりむしろ理美容師の方が専門ではないか、なによりそんな診断書、何科の医者に診てもらえばいいのかと聞くと「赤ん坊の時からずっと診

    kubohashi
    kubohashi 2013/03/18
    カーチャンかっこいい!/私の天パがお咎め無しだったのは、見るからにみすぼらしかったからだろうなと思っている。見目が悪くなければ違う結果だったろう。ルールから外れた存在が堂々とすることに恐怖する社会。
  • こけのむすまで : 漂流生活的看護記録

    さてもう3月も半ばを過ぎ、卒業式のシーズンで。この時期になると歌わないとか不起立とかの話題が出てきたりするものなのだけれど、わたしが中学生だった30年近く...さてもう3月も半ばを過ぎ、卒業式のシーズンで。この時期になると歌わないとか不起立とかの話題が出てきたりするものなのだけれど、わたしが中学生だった30年近く前にはもうすでに「国歌を歌わない」教師はいた。起立しないのまでいたかは覚えていない。わたしは中学3年生のとき、母の実家のある田舎町に引っ越してそこで卒業を迎えた。数か月しか在籍していない学校で卒業式っていってもねー、欠席してもいいんじゃね?と考えていたぐらいでたいして思い入れもなかったのだが、その渋々行った卒業式も終わりかけたころ、右翼団体が「国歌を歌わない教師はいねがー!」と君が代を大音量で流しながら街宣車を学校の前まで乗り付けてきた、なまはげかよと思った。 すると卒業生のあるク

    kubohashi
    kubohashi 2013/03/17
    愛すべき面倒くささ
  • 決意はいつでも翻る : 漂流生活的看護記録

    今ではほとんどが蘇生後脳症の遷延性意識障害の患者ばかりになってしまったが、うちの病棟は来ALSや筋ジストロフィーなどの神経難病の進行で人工呼吸器管理が必...今ではほとんどが蘇生後脳症の遷延性意識障害の患者ばかりになってしまったが、うちの病棟は来ALSや筋ジストロフィーなどの神経難病の進行で人工呼吸器管理が必要になった人たちのための病棟である。あるとき在宅で介護を受けてきたのだが、肺炎で急激に呼吸状態が悪化し、救急搬送された先で挿管されて人工呼吸器をつけることになった神経難病の患者が転院してきた。身体症状の進行でもうすでに在宅での介護に限界を感じ始めていた家族も、介護の上にさらに人工呼吸器管理が加わるのはもう無理だということで、退院し在宅に戻るのではなく、うちへ転院してくることを選んだのだ。 ある夜、夜勤中に痰の吸引をしていると患者が何か言いたげなので、透明文字盤を使って聞いてみると「

    kubohashi
    kubohashi 2012/09/18
  • 値踏みする目線 : 漂流生活的看護記録

    考えるところあって、去年あたりからまた改めて看護学を勉強しなおすことになった。(それでこちらの方でまとまった文章をあまり書けなくなっていたのだが)その中で...考えるところあって、去年あたりからまた改めて看護学を勉強しなおすことになった。(それでこちらの方でまとまった文章をあまり書けなくなっていたのだが)その中で死生学を取ることになり、レポート作成のため必要になって今読んでいる資料に「ラモン・サンペドロの遺書(スペイン語)」というものがある。これは2004年のスペイン映画「Mar adentro」(邦題「海を飛ぶ夢」として日では2005年に公開)のモデルになった、スペインで最初に尊厳死を求めて訴えを起こした人物の遺言である。ラモンは25歳のとき海の事故で頸椎を損傷し、首から下が麻痺した状態で「29年4ヶ月と数日間」(遺書より)を生きた。わたしはその遺書を読みながら、あの話に似てるなあ、と

  • 漂流生活的看護記録 : 売名

    しぶしぶたたかうかんごふさん。今から20年ぐらい前、作業療法士の専門学校に行っていたことがあった。どうしても医療系の仕事につきたくて大学を中退し、受験しなおしたのだ。しかし両親は大反対していて、必死に説得したところ、学費だけは出してもらえるが生活費は自分で稼ぐという条件で入学することはできた。今思えばかなり無茶な条件だったと思う。入学時に教務から「アルバイトは不可です。いえ、不可能です」と言われたぐらいのきついカリキュラムで有名な学校ではあったのだが、それでも当時はどうにかなる、いやどうにかすると思いアルバイトしながら学校に通っていた。しかし2年目をむかえる頃、そろそろ限界が見えてきた。正直な話、成績を最低限ラインでキープしようとすると生活が最低水準ラインをキープできなくなるという状態で、ここはもう親に頭下げてでも援助してもらえばよかったのかもしれないが、その当時のわたしの意地がそれを許さ

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