ブックマーク / non117.com (133)

  • つるんでもひとり - しゅみは人間の分析です

    インターネットの人たち、いや世の中の人たち一般はいつも敵味方をよく識別しているな、と思った。また、日常的なコミュニケーションでも特に障壁がなければ仲間を増やそうとしてくる。例えば漫画を勧めて読ませるとか。何を観ても「共感」で判断するとか。 私はどこかの段階で仲間意識をなくしてしまった。これはそのうちブログに書くであろう、私がAphantasia(イメージ盲)だった話にも繋がる。ちょっと認知の形式が違うので波長が合わないのだ。まあ仕方がない。私にはこの認知形式しかないので。ともあれ、仲間仲間、敵だ敵だとやっている社会からちょっとだけ身を引いている気持ちがある。ちなみに氏も似たような考えである。いや、むしろ私よりも過激かも。われわれは仲間が云々という考えで行動していないのだ*1。 まあ私の話はどうでもいい。それよりも仲間意識で説明できる社会現象が多そうだからこちらを考えていきたい。たぶん理論

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    kumokaji
    kumokaji 2021/11/26
  • 「善き生」の問題 - しゅみは人間の分析です

    最近デカルトを読んでいて哲学には「いかにして真理に至るか」という問題と、「いかにして良き人生を送るか」という問題があることに気がついた。哲学にはギリシア時代からそういう問題意識があったようにみえる。 さて現代の人たちはこの問題にどう答えているのだろうか。真理の認識について今では科学哲学という形で議論が続いている。ある程度の結論は出ており、人間がどれくらい間違えやすいかとか統計学が強いとかそういう話が出てきている。一方でいかにして良く生きるかという問題は未解決にみえる。 一見するとお金持ちになって労働から解放され、好きなものを買えるようになると人生が良くなるようにみえる。実際にそう思っている人も多いだろう。これは極論すると消費社会において金持ちになったら人生がよくなるという解決策だ。 しかしこれも嘘であることがわかる。Twitterは便利なもので、社会的に成功したとされる人の言動もつぶさに観

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    kumokaji 2021/10/15
  • 生活は簡単に変わらない - しゅみは人間の分析です

    インターネットで生活術指南の記事を見ることは多い。しかし生活というものはそう簡単に変えられない。私も以前は「こういう工夫をしたら料理が楽になるよ」という記事を書いたことはある。だが今では少し考えが変わっている。 死の悲しさと生活が変わることのストレス 身の回りの人が死ぬということについて深く考えてみたことがある。知人や家族が死ぬとひどくショックを受けるものである。人じゃなくてもペットや植物でも良い。しかし、ほとんど喋ったことのないような遠い親戚が死んだ時は悲しくはならない。 この違いはどこから生じるのだろうと考えたとき、生活を共にするものに死なれたかどうかがポイントだと思った。生活の中に他者が組み込まれていて、その他者が死ぬと生活が変わる。この生活の変化によって人はストレスを受けるのだ。一般的には心に穴が空いたとか、その人がいないことに直面させられる、とか表現すると思う。死による他者の不在

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    kumokaji
    kumokaji 2021/09/23
  • 本はおもしろければよい - しゅみは人間の分析です

    おもしろいを探したい を読むのが好きだ。だが、なかなかおもしろいにはめぐり逢えない。九割くらいは「つまんないなー」となるで、残りの一割を探すために読んでいる。最初の数ページでダメだとわかることもあるし、半分読んだところで雲行きが怪しくなるもある。おもしろいは読んでいて夢中になり、続きが気になってしまう。読後感もよい。 長く読書趣味にしているが、探しには失敗し続けてきた。できればヒット率を三割くらいにしてみたい。そこで、おもしろいを探すにはどうしたらいいか、そもそもおもしろいはどういうなのかを考えてみた。 内容とサービスが充実したおもしろい 考えた結果、図のような仮説がでてきた。内容とサービスでだいたいのが評価できて、両方揃っているとおもしろいになる。以下ではそれぞれの評価軸について詳しく述べる。 内容とは読んで得られる知識のことだ。内容=新しい知識は多いほうが

    本はおもしろければよい - しゅみは人間の分析です
  • スマホとSNSに切り刻まれている - しゅみは人間の分析です

    先日、放送大学の人格心理学という科目の教科書を読んだ。人格とは何か、という問題を多面的に考える科目だ。題は人格全般を心理学することなのだが、この教科書の最後の章に興味深い指摘があった。 電子メディアによって私たちの日常生活は、二重の意味で分断される。ひとつは時間軸の方向に、もうひとつは空間内においてである。時間軸での分断とは、次のような事象である。たとえば、モバイル端末を通して、複数の友人から頻繁にメッセージがやってくる。私たちはそれに即座に反応し返信することが一般的となっている。異なる人々との関係は、異なる対人的状況である。そのたびに私たちは「自分」を切り替え、自分の置かれる文脈(コンテクスト)を切り替えざるをえない。 (中略) 私たち連続性のある一貫した状況の中ではなく、切れ切れになった状況の中を生き抜いていかねばならなくなっている。これは、私たち人間がこれまで体験したことのなかった

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  • ブログはインターネットの良心でありまだ価値があるという話 - しゅみは人間の分析です

    さいきん小林銅蟲の週報を読んでいるのだが、昔のブログらしさがあっておもしろい。ブログを書き続けている人はけっこう残っていて、これまで古代エジプト、妖怪、パン作りがテーマのおもしろブログを見つけてきた。 ブログはまとまった文章が書かれるので、コンテンツとして強度がある。ブログに書かれる内容に情報量があると最高だが、情報量はなくてもよい。究極的にはブログはエッセイ的なコンテンツなので、語り口が気に入れば無限に読めるものだ。 検索エンジンは優秀なもので、見知らぬ人のブログを見つけることができる。tumblrにもそういうところがある。ブログと検索エンジンの相性はよいので、短期的に数字がとれるかどうかはどうでもいい。必要があればそのうち誰かが検索で見つけてくれるのだ。 だから、ただ淡々と書けばいい。見知らぬ誰かがそのうち見つけてくれることを思い、誰にも見られないかのように素直に書く。語り口が大事だか

    ブログはインターネットの良心でありまだ価値があるという話 - しゅみは人間の分析です
    kumokaji
    kumokaji 2021/06/06
    良い
  • 人々の変身願望と現実社会の行き詰まり感について - しゅみは人間の分析です

    最近のインターネットでは変身願望を刺激するコンテンツが多い気がする。異世界転生を嚆矢として女体化ネタの漫画VR Chatで幼女アバターになりきるおじさんなど。変身願望はギリシア神話からあるアイデアだが、これほど広く望まれるものになったのは始めてではないだろうか。 なんで変身したいのだろう。たぶん現実社会がつらいのだと思う。SNSが普及しすぎた結果、「xxをしたらyyな失敗をする」とか「aaをしたらbbで大成功」など、選択肢を狭める情報が勝手に入るようになった。みんな失敗はしたくないもので、「そうかxxをしてはいけないのか」と思って消極的になる。その結果、選択肢は少なくなり、何をやっても無駄、という感覚になる。 SNSが悪いのか。そういうところはある。だが、SNSを断てたところで、何か行動をしようとしたらまずGoogleで検索をしてしまう。私もパンをうまく焼くにはどうすれば、と悩んで検索を

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  • 製麺2021 - しゅみは人間の分析です

    ついにキッチンエイドの製麺機アタッチメントを買ってしまいました。というわけで、スパゲティ?と中華麺を作ってみた話です。 キッチンエイドとはどういう道具か non117.hatenablog.com パンの記事でも触れたんですが、キッチンエイドという調理器具を持っています。スタンドミキサーというカテゴリーの製品です。 キッチンエイド もともとはパン生地を自動で捏ねるための道具なんですが、アタッチメントで機能拡張ができます。アタッチメントのラインナップは異常に充実しており、コーヒーミルやジューサー、ミンサー、製麺機などがあります。 キッチンエイドの正面。ここにアタッチメントが装着される なんでそんなことができるのか?ここに穴が空いていてモーターの動力を取り出せるからです。来の用途、パン生地を捏ねるためには、下部のミキサー部分を回すだけなのですが、どこかの天才が動力を別の用途に使える発明をしま

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    kumokaji 2021/05/31
  • ■ - しゅみは人間の分析です

    pha.hateblo.jp 穂村弘が引用していた中井英夫の言葉で「小説は天帝に捧げる果実。一行でも腐っていてはならない」というのが良かった。執筆の動機は、読者に何かを届けようとか伝えようと思って書くのではなく、天帝(みたいなもの)のために文章をひたすら研ぎ澄ませて完成度を上げてそれを捧げること、ということ。穂村弘もそうらしいし、僕もわりとそういうタイプだ。そうは言っても全く読んでくれる人がいないと寂しいのもあるんだけど。 私ももこのタイプだ。私は哲学?でやっていて、漫画でやっている。 なんか作ってる人にとっては、自分にとって最高のものを作るのが第一義であって、他人からの評価は副産物にすぎない。と、思うのだが、この姿勢を貫くと他人には理解できないものを生み出すかも。でも、全然それでよくない?金のためなら迎合しないといけないけど。 現実的には、まねごとから初めて審美眼を育て、他人の作品

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    kumokaji 2021/05/10
  • 低労力自炊を考える - しゅみは人間の分析です

    一汁一菜よりも手間のかからない自炊を考える。おそらく最大の問題は洗い物だ。食洗機があるかどうかで自炊の難易度は変わってくる。水栓やスペースの制約で食洗機を設置できない人もいる。ここでは食洗機なしで成立する楽な自炊を考えてみる。 洗い物の次に大事なのが主だ。せっかく自炊をしてもすぐ腹が減るようでは意味がない。小麦か米かという問題になるが、腹持ちするのは米だ。小麦は古代から腹持ちのしない糧だと知られている。 だが、米を炊くのは面倒だ。大量に炊いて冷蔵・冷凍の習慣を回せる人ならばいいが、うっかり備蓄を切らすこともある。なので、パックご飯を使うのがよい。米を炊ける人にもそうでない人にも役立つ。よほど面倒なら炊飯器を持たずにパックご飯だけで生活するのもありだと思う。 おかずの調理は炒め物が最適だ。鍋と違ってフライパンは洗い方が雑でも困らないからだ。使ったら水で流してたわしで数回撫でればよい。洗剤

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  • ■ - しゅみは人間の分析です

    我々ソフトウェアエンジニアも文章が書けると業務がスケールするのに気づいた。チームで一人だけ書けるのではダメだ。全員わかりやすい文章を書けるのが理想だ。業務上の複雑な問題を伝えるために文章を書くのだ。 これはコミュニケーションプロトコルの問題である。会議は同期的コミュニケーションで、チャットは非同期コミュニケーションだ。チャットは効率的だが、複雑な問題の相談になると議論が難しくなる。結論が出せても、チャットのログをあとから読むのは難しい。かといって会議や立ち話の相談にしても時間がとられてコードが書けなくなる。 だが、文章ならば複雑な問題も表現できる。理系研究室の発表資料や論文のテンプレートを思い出してほしい。背景、問題、解決策、結論、考察のあれ。論文は複雑な研究課題を文章で表現しているのだから、業務の問題も文章で表現できる。 こういった文章は書いているうちに自分で問題解決できることがよくある

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    kumokaji 2021/02/04
  • 包丁について - しゅみは人間の分析です

    先日新しい包丁を買った。21cmの牛刀である。鋼材は鋼。白紙二号鋼だったと思う。これを買うのに結構悩み、調べ物をしたので知見を残しておく。 今回買った牛刀 家庭用としては三徳、牛刀、ペティナイフ、菜切りが候補になる。無難に選ぶならば三徳包丁でよいのだが、どうせ買うなら持ってないタイプにしたいと思った。すると牛刀と菜切りが残った。この二つを比べて悩んだ。 貝印 KAI 菜切り包丁 関孫六 銀寿 鋼 西型 165mm 日製 AK5210 メディア: ホーム&キッチン 菜切り包丁はこんな形 グローバル 牛刀 刃渡り 20cm G-2 メディア: ホーム&キッチン 牛刀はこんな形 牛刀は見た目がかっこいい。また、万能包丁なので冷凍肉や骨以外はだいたい扱える。一方で菜切りも有力だ。家庭料理では野菜ばかり切るので、野菜特化の包丁があってもよさそうに思えた。何しろ菜切り包丁は三徳包丁が普及するまでは

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    kumokaji 2021/01/05
  • ■ - しゅみは人間の分析です

    タイムラインに流れないものは認知されない。それが今の情報流通である。多くの人々はタイムラインからのみ情報を仕入れている。バズったものが一瞬で消費し尽くされるのも、タイムラインの性質が原因だ。バズるとタイムラインはその話題で持ちきりになるが、そのうち別の話題で押し流されてゆく。 twitterで情報はフローとして流れる。ストックされない。ある人のツイート一覧を見に行っても当時の文脈がなくて解読できないものもある。twitter内の情報は流れ続けており、人々はそれをただ眺めている。彼らは流れを変えられない。群体として流れを作っており、その全体的な流れをコントロールできるものはいない。フォロワー数の多い人は流れを作りうるが、流れがどのように変化するかは彼の掌中にない。 SNSは暇つぶしに使われている。積んでいるゲーム映画などの消費をしたいが、なんとなくダルい。疲れている。そんなときに受動的

    ■ - しゅみは人間の分析です
  • 家庭料理はシンプルでいいのでは - しゅみは人間の分析です

    キャベツオムレツを作ってみた。 キャベツを焼き色がつくまで焼きます 溶き卵でとじます こんなふうにキャベツを焼いて卵でとじただけの料理だ。非常に簡単なのだが、なぜかとてもおいしい。素朴なものだが、ちゃんとおかずとして成立する。 なんでこんなものをつくって作ったのかというと、「土井善晴の素材のレシピ」というに似たような料理が載っていたからだ。このは不思議なところところがあって、定番レシピではなく独自のシンプルなレシピが多い。例えばエリンギのページはこうなる。 揚げ物以外は10分で作れると思う。道具はフライパンだけだ。土井善晴氏は家庭料理といってシンプルな料理を紹介する。「土井善晴の和」というアプリでもこんなレシピがよく出てくる。このも同じだ。 たぶん土井善晴氏にとっての家庭料理とはシンプルで手間がかからないのにおいしいものなのだ。もちろん昭和後期に普及したテンプレ的な洋もまだ家庭料

    家庭料理はシンプルでいいのでは - しゅみは人間の分析です
  • 分業は悪だがやめると食えなくなる問題 - しゅみは人間の分析です

    engineer-lab.findy-code.io こんな記事があって、「分業化するWeb開発の違和感」といういい言葉がでてきた。その通り、この世の不気味さ、不安さはぜんぶ分業のせいである。私は気でそう思っている。 分業はいいことだ。全体の効率があがる。特に個人が糧生産から解放されたことは大きい。ほんの少しの人たちが糧を作ってくれるおかげで他の人たちは別の仕事ができる。こんなすばらしいことはない。今や都市生活者は全世界人口の半数を超える。分業のおかげで職業を選び都市で暮らすという選択ができるのだ。 分業はわるいことだ。個人の経験が分断され、コミュニケーションが成立しなくなる。隣の島で働いている人たちが何をしているのかわからない。同じ社内でも職種が違うと話が通じないことがある。前提がどこから違うのかわからない。こんなにもわからないのに、なぜか会社は利益をあげて決算報告書を提出している

    分業は悪だがやめると食えなくなる問題 - しゅみは人間の分析です
  • 2020年ふりかえり - しゅみは人間の分析です

    例年どおり家にこもって仕事料理読書をしていた。コロナ禍とは関係なくインドアなままだ。去年と違うのは同人誌お手伝いがなくなったこと。イベントがなくて締切りが発生しないので仕方がない。 お仕事 ありがたいことにほぼ在宅勤務だった。日記によると四月は心身ともに調子が悪かったらしい。在宅勤務だやったー!と喜んでいたものの、身体は変化に耐えられなかったようだ。散歩の習慣でなんとか適応した覚えがある。また、八月にも体調が悪化していた。仕事が暇すぎたのだ。在宅勤務でやることがないと精神がめちゃくちゃになることがわかる。 転機は九月だった。チーム移動というかチーム増加(掛け持ち)が発生した。お仕事が降ってきただけでなく、コミュニケーションも増えた。新しいチームでは常時Zoom部屋が立っていて、いつでも喋れる環境がある。基的にはミュートで接続し一日中ミュートにしている日もあるが、同僚の存在感がある

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    kumokaji 2020/12/14
  • 2019年ふりかえり - しゅみは人間の分析です

    同人誌を生産する生活 同人誌制作が生活の中心だった。同人活動を始め、それに振り回された一年といえる。はもともと絵を描く人だったが、ある日突然漫画も描くようになった。配偶者とはいえ、ひとの趣味なので始めは放置していた。だが、どうも雲行きが怪しい。スケジュールが破綻していたのだ。新刊が落ちるかもしれない、そんな状況で2019年を迎えた。年末年始の休暇をすべて費やし、私はスケジュール管理とアシスタントをすることになった。は1日に4ページの作画をこなし、私がベタとトーンを塗る。正月も休むことなく作業をし、締切前日には当然のように徹夜をした。 同人誌を作るのは文化祭の準備と似ている。あらゆる手段を使って完成させ、イベントで頒布しないといけない。を用意できたら対面販売の喜びが得られる。インターネットで得られるただの数字とは違って、目の前の人がを買ってくれるのだ。狭いスペースに何時間もいるの

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    kumokaji 2019/12/07
  • であること、できること、すること - しゅみは人間の分析です

    であること、できること、すること 2019/07/31 「であること」は、過去のその人の特徴を他者から判断したものになる。例えば日人である、医者である、社長の息子である、東大生である。これらの特徴は生まれもった環境的特性や、人の行動によって獲得された社会的地位などの特性がある。 「できること」は、その人が今できることである。能力に近い特性。東大生であっても高校化学の内容を全く忘れていれば、東大生ではあるが、高校化学ができないことになる。「であること」を達成するのに必要な能力と、今できることは必ずしも一致しない。「できること」は、箸を持てる、浴衣を自分で着ることができる、微分方程式が解ける、というように「であること」と同様の様々な尺度が考えられる。 「すること」は、将来の自分に対して行動を起こすことである。漫画を読めば同じ漫画を読んだ人と会話ができる。英単語を日々覚えていくと、英語を素早

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    kumokaji 2019/08/01
  • 会話で情報が増えるとうれしい - しゅみは人間の分析です

    オープンクエスチョンで言われるような、よい質問は、(会話の場の?参与者たちの?)情報*1を増やしてゆく性質をもつ。会話は情報をやりとりするものであり、情報が増えると目的*2が達成される。会話、とくに雑談をするときにはいかに情報を増やすか考えながら発話すると良いのかもしれない。その一つの手段が自己開示や開かれた質問でもある。はい/いいえで答えられる質問はむしろ情報量が減っている。曖昧な状態から一つの状態に収束しているから。たしかに知識は増えているが、自己開示を促す質問よりは、情報量の増える会話ではない。 発話が多ければそれでよいのだろうか? 当然そんなことはない。長広舌は嫌われるし私も嫌いだ。やりがちだが。なぜ駄目なのか。長い発話を理解するのは認知的にたいへんだからだ。理解できなくなった時点で、それ以降の発話は聞き流される。つまり、伝わらない発話は相手の情報を増やさないために、会話の目的が損

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    kumokaji 2019/05/14
  • なぜソフトウェアエンジニアの私が哲学をやるのか - しゅみは人間の分析です

    なぜなのか。それは、哲学が役に立つから。ちょっとわけがわからないと思うので、順を追って説明します。 ソフトウェアエンジニアは何をしているのでしょうか。まずはこの問いからです。ソフトウェアエンジニアは、計算機科学、つまりソフトウェアの設計と実装そして運用の技術仕事をします。主な用途は自動化されスケールするシステムの構築です。ではこのシステム、ソフトウェアエンジニアがつくるシステムは何のためのものなのか。たいていは実社会の問題を解決するために作られます。会計システムであれば、会計の効率化、自動で計算や仕分けをしてくれたり、ですよね。ソフトウェアエンジニアは実社会の問題をソフトウェアによる自動化の力を借りて解決します。ここまでは簡単ですね。 それでは、彼らは何を作っているのかみていきましょう。実社会の問題を解決するシステムとは何なのか。これは具体化するときりがないものですが、いくつかの特徴があ

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    kumokaji 2019/04/04
    良い