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ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (12)

  • Daron Acemoglu & James A. Robinson, Why Nations Fail (Crown Business) - shinichiroinaba's blog

    Why Nations Fail: The Origins of Power, Prosperity, and Poverty 作者: Daron Acemoglu,James Robinson出版社/メーカー: Currency発売日: 2012/03/20メディア: ハードカバー購入: 13人 クリック: 175回この商品を含むブログ (12件) を見る とりあえず読み終わったので、現在書いているメモから抜粋。 ============ Daron Acemogluらの研究グループによる「成長の政治経済学Political Economy of Growth」の研究プロジェクトにおける一つの論点は、包括的inclusiveな政治制度≒民主政と、包括的な経済制度≒自由な(開放的で公平な)市場経済との相互依存(好循環)、それと裏腹の略奪的extactiveな政治制度――権威主義的独裁等――

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  • 『オタクの遺伝子』続編のための覚書 - shinichiroinaba's blog

    方法論的メモ オタク系サブカルチャーの研究をポストモダン社会論として行うことにはそれなりの危険がある。近年のマンガ研究において浮上した「反映論」と「表現論」との対立という偽の構図に照らしていえば、もちろん「表現論」が正しい――というかその次元を踏まえずにはマンガとか映画とか文学を社会学の素材として用いることに意味はない。「反映論」はそれなりに根拠はあるにしても、必ずしも自明ではない前提――芸術作品だのエンターテインメントだのにおいて表現される物語その他の内容が、現実社会において生起している現象、問題を、デフォルメしつつ有意味な形で表現している――に乗っかっている。しかしもちろん、こういう「素朴リアリズムへの信頼」は必ずしも自明ではない。たとえば文学やマンガの中で多重人格が好んで素材として取り上げられているからといって、それが現実における多重人格現象を適切に反映しているとは限らない。 という

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  • トークイベント「SFは僕たちの社会の見方にどう影響しただろうか?」感想 - shinichiroinaba's blog

    既に読まれた方には言うまでもないことだが、伊藤計劃の第二長編『ハーモニー』は第一長編『虐殺器官』の後日談として読むことができる。後者の末尾で暗示されていた大災厄を踏まえて、前者における超福祉管理社会が到来しているのである。 『虐殺器官』の結末において、主人公クラヴィス・シェパード大尉は人々を相互殺戮へと駆り立てる「虐殺の文法」の英語ヴァージョンをアメリカ合衆国において解き放ち、結果アメリカは阿鼻叫喚の無政府状態、内戦へと突入してしまう――と暗示されている。ここで当然ながら「「虐殺の文法」のヴィークルが英語であったならば、その影響範囲はアメリカを超えて英語圏全般、どころかほぼグローバルとなり統制不能となるはずだ」という推測が成り立つ。この可能性についてクラヴィス自身がどの程度自覚していたかどうかは、小説の記述自体からはわからない。主人公の一人称による叙述を真正直に信じるならば、彼はそのことに

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  • トークイベント「SFは僕たちの社会の見方にどう影響しただろうか?」用メモ - shinichiroinaba's blog

    昨日24日の「現代経済思想研究会・特別セミナー 稲葉振一郎・田中秀臣・山形浩生・トークイベント「SFは僕たちの社会の見方にどう影響しただろうか?」」は盛会のうちに無事終了いたしました。お越しくださった皆様、ありがとうございました。 当日のレポはtwitterをもとに前田敦司さんがこちらにおまとめになっていらっしゃいます。また田中さんの感想兼問題提起はこちらです。 いかにペーストするのはぼくが事前に自分用に作った覚え書きです。私的メモですからいい加減です。読み上げ原稿ではありません。実際の会ではここでの論点の半分くらいしか出せていません。 ===================================== 山形浩生の芸術論を少し敷衍してみよう。 山形によれば、芸術の主たる機能は、人間の認知能力の「別の使い方」を開示・例示してみせるところにある(「アート・カウンターパンチ」)。 ここで

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  • 社会学を志望しようかなと思っている大学受験生のために(2011年度版) - shinichiroinaba's blog

    今年も模擬講義の季節がやってまいりました。 とりあえず埼玉県立越谷北高校の皆さん、お約束のバージョンアップ版です。 再来週は都立三田高校に参ります。 ========================== 社会学は経済学政治学と並んで「社会科学」の仲間とされていますが、日の大学では大体社会学科は(もちろん、社会学部のないところでは、ですが国公立大学にはほとんど社会学部はありません)文学部に配置されています。なぜこうなっているのかといえば、社会学部は他の社会科学と比べて「主観」、人間の主観的な意識、心をその焦点とするからです。 経済学をはじめとして他の社会科学は「客観」的現実に照準を合わせますが、社会学はこれを無視するわけではないにせよ、人間がそうした「客観」的現実をどう「主観」的に経験し、その経験から「客観」的現実にはたらきかけていくか、を主題とします。その意味で人間の「主観」に照準する

  • シノドス・セミナー「社会学の居場所」 - shinichiroinaba's blog

    こちらでご報告した、2009年12月13日に行われたシノドス・セミナーの記録です。『アルファ・シノドス ―“α-synodos”』vol.46(2010/02/15)、vol.47(2010/3/1)から転載。 ================ 「社会学の居場所」稲葉振一郎 今日お話ししようと思っていたことが何点かあります。『社会学入門』(NHK出版)を読んでくださった方の多くは、このには穴があることに気づいておられて、その穴が今後どのように埋められるかと思ってらっしゃると思います。日はちょっとそれを意識しながらやっていこうと思っています。一つには、ある程度書き込んだけれども、入門書にはふさわしくないのではないかと、削った話題が一つあります。第12講で、科学的アプローチと工学的アプローチという対比を行いましたが、来はあそこで、より具体的に説明するために力学系モデルの話をしていたんです

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  • 2011年1月17日付学科主任挨拶「入試の意義」 - shinichiroinaba's blog

    http://soc.meijigakuin.ac.jp/gakka/?cat=36 はいずれ消えますから。 ================ お久しぶりです。 来であれば今日は、年度の初頭にアップしたご挨拶でお約束していたお話の続きをするべきなのですが、期間も空きすぎましたし、ちょうど入試シーズンに格的に突入いたしましたので、受験生の皆様に「そもそもなぜ大学は入学試験をするのか」についてお話ししておきたいと思います。 「大学全入時代」に入ったといわれて久しく、受験生の皆さんもたとえば「Fランク大学」、つまり志願者の数が入学定員を下回ってしまって、入学を希望しさえすれば確実に入学できる大学も世の中にはあることはご存じのことと思います。つまり、当たり前の話ですが、大学その他の学校において、入学試験が行われるのは、入学定員を志願者の数が大きく上回ってしまって、入学希望者全員を受け入れること

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  • 都立青山高校模擬授業「社会学入門の入門」 - shinichiroinaba's blog

    またしても用意したレジュメと全然関係ないことをしゃべったよ。即興でしゃべったことを基にここに書いておくよ。 ========== 社会学は経済学政治学と並んで「社会科学」の仲間とされますが、日の大学では大体社会学科は(もちろん、社会学部のないところでは、ですが国公立大学にはほとんど社会学部はありません)文学部に配置されています。なぜこうなっているのかといえば、社会学部は他の社会科学と比べて「主観」、人間の主観的な意識、心をその焦点とするからです。 経済学をはじめとして他の社会科学は「客観」的現実に照準を合わせますが、社会学はこれを無視するわけではないにせよ、人間がそうした「客観」的現実をどう「主観」的に経験し、その経験から「客観」的現実にはたらきかけていくか、を主題とします。その意味で人間の「主観」に照準する文学や人文学と共通するところが大きいのです。 文学部では文学、歴史学、哲学、心

  • 東京法哲学研究会1月例会(というより安藤馨『統治と功利』合評会)@成城大学 - shinichiroinaba's blog

    統治と功利 作者: 安藤馨出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2007/05/30メディア: 単行購入: 2人 クリック: 55回この商品を含むブログ (80件) を見る 一昨日12日のことですが今日書きます。 といっても細部を覚えていませんが。 結論的にいえば大変意義深い会だったと思います。「思います」というのは私が論点の大半を消化できなかったからです。コメントと応答は第一部のどちらかというとメタ倫理的な話(といっても一昔前の言語分析とか認識論ではなく形而上学中心で大変エキサイティング)に集中し、第二部、第三部の規範倫理・政治哲学の話は出てこなかったので、正直ついていけない話が多すぎでした。しかし正月休み返上で書かれたという江口聡・井上彰両氏のコメントも、前日か前々日だかに丸一日費やして書かれたという安藤氏のリプライも、いずれも大変力のこもった、少し手を入れれば立派な論文になる力作で

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  • 終了してない(4) - shinichiroinaba's blog

    新学期が始まり報告の日程も決まり〆切も設定されて英作文に戻ったから当方もヲチ態勢に移行……というのは無責任にすぎるか。 ミクロがご専門のtazuma氏の感想; もしもすでに経済がフロンティアの上にあって、成長と平等がトレードオフの関係になっていれば、前者により近い価値観を持つ人と、後者により近い価値観を持つ人は、複数の政策(一方は成長を重視、一方は平等を重視)を比較する際に絶対に合意することがない。あとは政治的闘争。 ただしそうでないならば、win-winの政策が存在する可能性がある。この場合は異なる価値観を持った者の間の政策的論議が可能になる。典型的な議論の形式は「お前の価値観に従ったとしても、俺の政策の方がおまえの提案する政策よりよい。」という形をとる。例えば成長したほうが結果的には貧困層にもよい(トリックル・ダウン)とか、成長したほうが政治的な制約がきつくならないので再分配政策がとり

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  • 田中ユタカ『愛しのかな』(竹書房) - shinichiroinaba's blog

    愛しのかな 1 (バンブー・コミックス DOKI SELECT) 作者: 田中ユタカ出版社/メーカー: 竹書房発売日: 2006/07/27メディア: コミック クリック: 32回この商品を含むブログ (18件) を見る愛しのかな(2) (バンブー・コミックス DOKI SELECT) 作者: 田中ユタカ出版社/メーカー: 竹書房発売日: 2008/03/17メディア: コミック クリック: 26回この商品を含むブログ (17件) を見る愛しのかな 3 (バンブー・コミックス DOKI SELECT) 作者: 田中ユタカ出版社/メーカー: 竹書房発売日: 2009/10/27メディア: コミック購入: 1人 クリック: 14回この商品を含むブログ (8件) を見る 某古屋でざっと立ち読みしたのだけれど……『愛人』に勝るとも劣らぬ良作にして怪作(しかしこれって成年コミックではないのね)。も

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  • 政治poliltics・統治government・行政administration - shinichiroinaba's blog

    もう採点は終わってしまったのだけど、東大教育学部での講義のまとめのために、メモ。 今日の日語では「政治」という包括的な上位概念のもとに、理論政治学(システム論)・政治過程論風の言い回しを用いれば「入力input」にあたる狭義の「政治」=公共的意思決定と、「出力output」にあたる「行政」とが包摂される、という風になっている。さらにこのような「政治」の大枠は「憲法constitution」という形で与えられ、「政治」は「行政」はもちろんのこと狭義の「政治」においても、主としてそれが「立法」という形で手続きを踏んでなされねばならない、という形で、「法の支配rule of law」に服している。とはいえ「憲法」自体も不変ではなく、狭義の「政治」にはその変更可能性までもが射程に入れられている。 あるいはこの「政治」の制度的な枠組みのことを「統治government」とも呼ぶ。日を含めた多くの

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