日本にかつて存在した女性天皇。なぜ彼女らは女帝として立つにいたったのか? 女性天皇君臨の系譜の謎に迫る、集中連載。 「壬申の乱」の反省から 「皇太子」の地位が確立する 歴代の女帝の中でも第41代持統天皇の存在感は大きい。その理由の一つは、後世にいくつもの事績をのこしたことだ。だがそれに劣らず、皇位継承のルールの上で画期をなしたことに注目すべきだ。 持統天皇の夫だった第40代天武天皇は壬申の乱(672年)という古代史上、最大の内乱を勝ち抜いて即位した。この乱は先帝で天武天皇の兄だった第38代天智天皇の皇子、大友皇子を首班とする近江朝廷との激烈な戦いだ。結局、敗れた大友皇子は自死している。朝廷そのものが武力で倒されたのも歴史上、空前絶後のこと。こんな悲劇は二度とくり返したくないと、誰もが考えたはずだ。 だが、誤解してはならないことがある。当時、天智天皇がムリヤリ大友皇子を皇位につけようとして壬