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ブックマーク / fumikura.net (8)

  • デジタル環境下における国文学

    人文学にデジタル技術を活用する「デジタル・ヒューマニティーズ」(以下DH)と呼ばれている学問分野が確立している。国内では立命館大学が昨年度よりグローバルCOEを獲得し「日文化DH拠点」形成へ向けて精力的な活動を行っている。 もとより国文学(日文学)のみならず人文学と情報工学との協調を目指したもので、国内のみ成らず世界各地に散在する一次資料の画像データや芸能の動画等を蒐集してアーカイヴ化し、そのメタデータ(書誌情報)のデータベース化を目指している。ただし、デジタルカメラで撮影した画像データに書誌情報を付加して公開するといっても、撮影現場での経験蓄積が不可欠である。我々素人が撮った画像とは比較にならない程の品位で撮影するためのノウハウと、撮ってきたデジタルデータのホワイトバランス調整などの画像処理技術を一朝一夕で修得することは不可能である。それらのノウハウの伝承を、大学院生などに対する教育

    kuzan
    kuzan 2009/08/15
  • 「笠つくし褒め詞」について

    江戸読が歌舞伎や浄瑠璃の原作としての題材を提供したことは知られているが、歌舞伎の場合、文化期に上方での上演が盛んになった。その契機となったのは、感和亭鬼武作『自来也説話』(文化3)で、文化4年(1807)9月に大阪角座で『柵自来也談』として上演された。これに続いて曲亭馬琴の読が次々と歌舞伎化されることになるのであるが、その最初が『三七全傳南柯夢』(文化5年、木蘭堂板)である。馬琴自身の言説ではあるが『近世物之作者部類』(木村三四吾編、1988年、八木書店))に記すところに拠れば、文化4年に著述した読を列挙した後に次のようにある。 南柯夢ハ榎平吉板也。明年〔戊辰〕の春三月下旬に至て製發販せしに時に後れたれハや發販の日僅に二百部賣れたり。板元榎平吉色を失て駭嘆せしにこの書の世評漸々に聞えて看官請求めさるものなかりしかハ貸屋等これなくてハあるへからすとて皆買とりて貸す程に初秋に至

  • 魯文の売文業

    要 旨 仮名垣魯文に関する研究は『安愚楽鍋』や『西洋道中膝栗毛』など著名なテキストを除いて著しく遅れていた。この数年間、国文研で組織された魯文研究会に参加した方々の努力に拠って、魯文の著編述活動の全貌が明らかにされつつある。ところが、他作の雑著に提供した序跋や錦絵の填詞、端唄、引き札などについてはインデックスが整備されていないこともあり、その全体像は必ずしも見えていない。稿では管見に入った資料に拠り、作家としての出発をした鈍亭時代から晩年に至るまでの魯文の文筆活動、すなわち売文業の諸相を垣間見ることにしたい。 一 緒言 魯文の人生の軌跡やその業績を辿る時、所謂〈雑書〉の序跋類にも多くの筆の跡を見出すことに気付く。近代的な職業作家像からは遠く隔たっているかもしれないが、近世期の戯作者像から考えれば、岡山鳥や高井蘭山等を引合いに出す迄もなく、何の違和感も感じられない。小説家というよりは〈物

  • 書評『印刷史/タイポグラフィの視軸』

    高 木  元 /div> 府川氏畢生の超大著『聚珍録-圖説-近世・近代日〈文字-印刷〉文化史』(2005年2月、三省堂)が刊行されて8ヶ月も経たぬうちに、今度は「府川充男電子聚珍版」として『印刷史/タイポグラフィの視軸』なるが上梓された。副題として「故きを温ねて新しきを知るための資料と図版」と添えられている如く、相変わらず豊富な資料図像を惜しみなく掲載する「絵」(自序)でもある。以下、所収された5篇の論文に一瞥を加えてみよう。 巻頭の「近代活字史の基礎智識」は2003 年に印刷博物館で行われた講演に基づく。博覧強記である府川氏の口吻を彷彿とさせる「ですます体」の文章は新鮮で且つ臨場感に富み、当日は銀幕に表示されただけであった多くの資料の画像が掲載されている。余譚ではあるが、講演会などで最近流行の電子式表示は、場内が暗くて手許の資料が見難いことと相俟って、遠近共に見難くなっている中年に

  • 書評『組版/タイポグラフィの廻廊』

    府川充男氏畢生の超大著『聚珍録 圖説=近世・近代日〈文字-印刷〉文化史』(2005年2月、三省堂)の刊行から3年、来はその販促を意図して編まれたという『組版原論 タイポグラフィと活字・写植・DTP』(1996年4月、太田出版)から12年もの歳月が過ぎようとしている。この間に和文組版の現場には、写植からフル・デジタル化されるという書物作りに関する革命的な環境変化がもたらされた。このような状況の下、前著『印刷史/タイポグラフィの視軸』(2005年10月、実践社)が入門書を装った論文集であったとすれば、書は広義のタイポグラフィ=組版(図書の構造設計全般)の現場を担う人々に対して、とりわけ写植における組版の手捌きを知らない世代に対して、改めて啓蒙的な問題提起を意図して編まれたものである。 巻頭「タイポグラフィーの視線」は、若干の図版を差替え省略し、一部字体の変更を伴っているものの、内容的には

  • 江戸読本に於ける文字と絵画

    江戸読よみほんとは十九世紀に木版印刷に拠って出板された絵入小説のことである。江戸時代の小説諸ジャンルの中でもとりわけ格調が高かったもので、その多くは中国小説に影響を受けた歴史小説と概括することが出来る。しかし、来〈読〉というジャンル名は、読むためのという意味で、絵画の鑑賞を主とする〈絵〉に対する謂いであった。 さて、絵を中心として鑑賞すべき文芸ジャンルである絵や草双紙などは、専ら文字を読むための書物に比べて比較的低俗なものと見做されてきた。しかし、江戸読に関するかぎり、読むためのであるにもかかわらず、口絵や挿絵は単なる彩り程度の添え物ではなかった。作者が自ら画稿(下絵)を描き、それを浮世絵師が清書していたという分業が成立していた時期でもあり、馬琴なども稿(原稿)にラフスケッチを描いて画工に細かい指示を朱筆で認めている。とりわけ、江戸読の代表作『南総里見八犬伝』では「文外

    kuzan
    kuzan 2007/05/01
    ふみくら
  • 江戸読本の出板をめぐって

    はじめに 現代は〈出版文化の時代〉とでも呼ぶべきであろうか、街の屋の棚は、人目を惹く意匠で飾られた沢山のや雑誌で溢れている。毎日100点を越えるや雑誌が次々と刊行されるというから、新刊屋の棚に置かれている時間もそう長くはないのであろう。特に売行きの良くないは、まず取次ぎに返品されて店先から消え、次に版元へと戻され、最後には裁断処分されてしまうのである。この事態は、出版物が紛れもなく一箇の商品であることを示している。つまり、どんなに優れた書物であっても、売れなければ市場から姿を消して行かざるを得ないのである。だから出版社は売れる企画の準備に腐心し、その結果、雑誌や文庫に力を注ぐことになる。出板が営利事業である以上、至極当然の成行きである。斯様な問題は、実は出版という営みが始まった時点から、既に起きていたのであった。 近世以前の文学作品は、筆写という手段に拠って一部の読者とだけ関

    kuzan
    kuzan 2007/05/01
    ふみくら
  • 研究者にとってのセルフアーカイビング

    研究者にとってのセルフアーカイビング Self-Archiving: a Researcher's Perspective 概略 人文科学系基礎学の研究業績は、多くの場合経済的な見返りが期待できない。のみならず、短期間に個人で完璧な成果を挙げることの困難な課題が多い。したがって活字媒体での公表のみならず、インターネット上に webサイトを確保して、そこにアーカイブし公開することの意義は大変に大きい。著者自らが日々新たな知見や情報によって自らの記述の更新が可能だからである。しかし、一般に個人サイトの維持は有限である。千葉大学で始まった学術成果リボジトリは、書誌情報を添加して固定的なurlで持続的に保存されるという点で劃期的であるが、機械可読テキストの最大の長所である適時の更新、ないしは更新履歴の保存に対応していない点などの課題も残している。 キーワード 人文基礎学/研究成果公開/学術成果リボ

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