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  • ダーリン・イン・ザ・フランキス最終話について-プラスティック・メモリーズとの比較

    ダーリン・イン・ザ・フランキスを見終えた。 作は出会っては引き裂かれ、繋がりたいと思えばまた引き裂かれ、 それでも繋がりを繰り返し求め、その絆は愛に昇華した二人の物語だったと思う。 そしてプラスティック・メモリーズの最終話を見返した。 なぜプラメモを見返したのかといえば、 プラメモの脚(全話)とダリフラのシリーズ構成・脚が林直孝さん、 両作がアニプレックスの鳥羽洋典プロデューサーが関わるから。 (アニプレックス製作のオリジナルアニメという点も同じ) ダリフラの物語を読み解くヒントがプラメモにあることを期待して見返したくなった。 プラメモ最終話のあらすじ↓ ヒロインのギフティア(アンドロイド)であるアイラの耐用期間が近づいていた。 主人公の①ツカサはアイラと遊園地で穏やかで幸せな最後の時間を過ごす。 そして観覧車内で②ツカサは「大切な人と、いつかまた巡り逢えますように」と語り 二人は③

    ダーリン・イン・ザ・フランキス最終話について-プラスティック・メモリーズとの比較
  • ダーリン・イン・ザ・フランキス 19話の演出を語る-オマージュかパクリか。ガイナのエヴァ、トリガーのダリフラ。そして神戸守。

    作の世界がいかにしてこうなったかという経緯を説明した回。 博士、APE、マグマ燃料、オトナとコドモ、叫竜、そしてゼロツーの誕生。 今までわからなかった世界設定が明らかにされた。 さて今回は各所で新世紀エヴァンゲリオン21話「ネルフ誕生」を思い出す内容だった。 世界の変動、組織の成り立ち、キャラクター。 今回を見て博士はエヴァのゲンドウと冬月を足したような存在に思えたし、 碇ユイと同じようなポジション(博士の相手、研究者、ロボットの実験中に死亡)の カリナ・ミルザも登場した。 オマージュ?パクリ?リスペクト?インスパイア? 受け取り方によって言い方は様々あるだろう。 今までにもエヴァとの類似の指摘はあったが、今回は特に多かったと思う。 そして作の制作にはエヴァのガイナックスのスタッフが母体のトリガーが参加。 エヴァに関わったスタッフも多数参加している。 (4話絵コンテの摩砂雪さん、今石洋

    ダーリン・イン・ザ・フランキス 19話の演出を語る-オマージュかパクリか。ガイナのエヴァ、トリガーのダリフラ。そして神戸守。
  • ダーリン・イン・ザ・フランキス 11話の演出-叫竜とフランクス達の位置関係とルール作り

    パラサイトのコンビが変わってしまう事が今回描かれた。 フトシとココロ、ミツルとイクノのコンビが入れ替わる形で。 特にミツルのヒロに対する思いと、ココロの思いを受けて 自身の心境の変化を描いた。 こうした舞台の変化もナナの言葉から察するに、 博士の思惑通りなのかもしれない。 13部隊は今までの部隊とは違う運用がなされていること。 思春期の集団による不安定な関係こそ、力を生み出している。 集団・コンビの変化が、個人を集団を活性化させる。 バラバラな思いが、最終的にはひとつになってパワーになるのだろう。 (参考:11話までの恋愛関係図) さて演出について。 今回気づいたことだが、ダリフラの戦闘シーンの舞台は荒野が多い。 木や草、川や湖といった自然物がなく、荒野と空のみで舞台が構成されている。 背景に何もない状態なので、フランクスを動かす上で背景的な縛りがない。 むしろダリフラという作品はフランク

    ダーリン・イン・ザ・フランキス 11話の演出-叫竜とフランクス達の位置関係とルール作り
  • 富野由悠季とは何者なのか

    はじめに 富野由悠季はアニメ演出家・監督、原作者・作詞家・小説家である。 国産TVアニメの幕開けの「鉄腕アトム」(1963年)からアニメ制作に携わり 「ガンダム Gのレコンギスタ(Gレコ)」(2014年)までに今に至る。 現在はGレコの劇場版を準備中。 老舗虫プロからサンライズに至る、 日テレビアニメの歴史の一つの流れを形成。 作家の福井晴敏は富野を「ガンダムを創った方」と評する。 富野由悠季が何者かと言われれば、 ガンダムの原作者というのが一番通りが良いのではないか。 でもそれだけでまとめるのは、惜しいと思う。 富野演出とは~映像の繋がりを意識した演出 富野由悠季監督作品の演出とは何か。 ベースはエイゼンシュテインのモンタージュ理論。 カットの組み合わせによって最大限の映像効果を求める演出である。 富野の著書「映像の原則」ではこの理論をベースに映像演出法を書いている。 では富野作品か

    富野由悠季とは何者なのか
  • 10年代の究極のアニメ「けものフレンズ」になぜヒトは幸せを見出すのか

    なぜ「けものフレンズ」を見て、幸せを感じるのか。 答えはヒトが「すごーい」と評価され、認められるからである。 誰に認められるのか。動物(フレンズ)達にである。 けものフレンズはヒトがフレンズに「すごーい」と認められる物語。 今回の5話では、ビーバーとプレーリードックが住処を作るのに困っていた。 そこでかばんちゃんが心配性だがプランは抜群のビーバーと 計画性はないが命令されると完璧にこなすプレーリードックの それぞれの良さを引き出そうと、二人で組んでやることを提案。 見事二人の理想の住まいが出来上がる。 そしてかばんとサーバルの旅立ち。送る時に二人はかばんに感謝の言葉をおくる。 プレーリードック「かばん殿の一声あってこそであります。」 かばん「いやーぼく、力はないしあんまりお手伝いできなくて」 ビーバー「そういう動物なんじゃないんすか。考えるのが得意だとか。」 プレーリードック「そうでありま

    10年代の究極のアニメ「けものフレンズ」になぜヒトは幸せを見出すのか
  • 「Gのレコンギスタ」の総括【劇場版を終えて】

    劇場版5部作を終えた「ガンダム Gのレコンギスタ」の総括を述べたい。 「Gレコ」は富野由悠季の研究論文 「Gのレコンギスタ(以下Gレコ)」は、富野由悠季のによる「宇宙エレベーターやフォトンバッテリー等を通して現代の社会経済と科学技術に対して異議申し立てをする研究論文」である。 Gレコの企画が具体化する2000年代後半。富野監督は取材やインタビューを通し、「ハンナ・アーレントの『全体主義』の考えをアニメで表現したい」と語る。この試みに期待を高めていた。 2015年の講演会では参考資料として池内了「科学・技術と現代社会」とE・H.カー「危機の二十年」を紹介。2016年の講演会ではガンダムエースの対談企画「教えてください。富野です。」での対談。特に宇宙エレベーター実験の参加と青木義男教授達との出会いが大きかったと語る。以上の経緯を踏まえると、Gレコは富野監督の出会い・取材・経験を通したインプット

    「Gのレコンギスタ」の総括【劇場版を終えて】
  • 高坂麗奈の圧倒的存在感「響け! ユーフォニアム」8話

    「響け!ユーフォニアム」8話は、 高坂麗奈の圧倒的存在感が際立った。 まず久美子と一緒に山に登る時の、高坂さんが髪を縛るシーン。 シュシュを、口を使って作る描写、 髪を縛る時の腋の動きが素晴らしい。 特に右脇の影の部分もきちんと描かれていて、 見ているだけで高坂さんのエロスが伝わってくる。 また久美子の顔を指でなぞる時の上唇あたりのプルルン感。 このプルルン感は久美子によるものだが、 人の顔に指を当てる行為をする、高坂さんの方がキレキレである。 自分は他の人間とは違う、 「特別」になりたいと久美子に告白した時の 高坂さんの髪の色トレス(線画の部分に色をつける)の美しさ。 この色トレスの処理を施す事で、 高坂さんが特別な存在のように見えるのは私だけか。 最後にワンピースのひるがえり。 服の生地の柔らかさを感じずにはいられない。 アニメーションの快楽性が凝縮された瞬間だ。 これらの描写によって

    高坂麗奈の圧倒的存在感「響け! ユーフォニアム」8話
  • 「Gレコ」のユニバーサルスタンダードとは全体主義の現れである。

    はじめに 「Gレコ」が始まる前、富野由悠季監督は 政治学者ハンナ・アーレントの著述や彼女の「全体主義」についての思想を アニメに盛り込んで新作を作りたい発言をしていた。 35周年に向けて、次はハンナ・アーレントの言葉を背負った上で『新ガンダム』を作る気にもなってます。 出典:ニュータイプ2009年5月号「ファーストの見た30年間」 この「Gレコ」における「全体主義」はどこに描かれているのか。 まず富野監督がハンナ・アーレントを引き合いに出して発言していた 「独自に判断できる人は少ない」という点にあると思っていた。 状況に流されるベルリ。教えられた事を信じていたアイーダ。 そんなキャラクター達の姿にハンナ・アーレントの人間観を踏まえて 独自に考えることができないキャラクター達を 富野監督は描くのを狙っていたと私は考えていた。 ユニバーサルスタンダード=全体主義 -異なる考えのキャラクター、同

    「Gレコ」のユニバーサルスタンダードとは全体主義の現れである。
  • 「Gのレコンギスタ」はグランドホテル方式のロードムービーである事について

    前に書いた記事と重複する部分もあるが 「Gのレコンギスタ」はロードムービー、もしくは旅番組のような作品なのかもしれない。 ベルリとアイーダが中心となりメガファウナに乗って地球と宇宙の様々な所に赴く。 ベルリはアメリア、トワサンガ、そしてビーナス・グロゥブといった各場所へ訪れ そこで人々と出合いながら、自分が知っていた世界が狭く、 育ての母親から教えられた事やスコード教だけではない世界があることを知る。 アイーダもまた、カシーバミコシに行けばトワサンガ、 トワサンガに行けば金星へ行くと言い、アイーダは一つ何かを知っては また新しい真実を知るために新しい場所へ向かおうとする。 その旅行先では国家があるものの、複数の派閥に分かれている。 そうした状況下でベルリ達は各勢力とロボットプロレスを行い、 戦いを通して人々の考えや人となりを知っていく。 宇宙旅行を通して、世界や自分の境遇の真実を発見してい

    「Gのレコンギスタ」はグランドホテル方式のロードムービーである事について
  • 「Gのレコンギスタ」は考える事そのものを考えるアニメである。

    「Gのレコンギスタ」19話を視聴。 今回注目したいのは「考える」ということ。 クレッセントシップ内でベルリ達がエネルギー問題について話すシーンの一幕。 アイーダが強くアメリア側の主張を通そうとするが、 周りのみんなに「教わったこと」「感じていない」と指摘される。 以下、各キャラのセリフと照らし合わせて再現してみる。 アイーダが考えていたのは「刷り込み」でしかないこと ムベッキ「人類は大量消費と戦争で地球を住めないようにしたのです。 そんな人類にはアグテックのタブーは必要でした。 その代わり財団はフォトンバッテリーは無条件で提供してきました。」 アイーダ「エネルギーの配給権をキャピタルタワーに独占させたために他の大陸の人々は…」 ノレド「アメリア人だけの感覚だけで喋るな」 アイーダ「人の自由を侵害されています」 ベルリ「人は自然界のリズムに従うものでしょ」 アイーダ「でも、アメリアでは」 ム

    「Gのレコンギスタ」は考える事そのものを考えるアニメである。
  • アニメ視聴において、体力・集中力の低下との付き合い方

    お正月なので「伝説巨神イデオン」を視聴していた。 そして見続けていると、疲れてしまうのだ。 目も疲れるのだが、体もちょっとづつだるくなっていく。 昔であれば、2クールぐらい(26話)の量であれば 途中トイレを挟みながらも、続けて視ることができた。 「Gガンダム」や「ガンダムW」を始めて見た時は、 1日かけて全話を連続して視ることができた。、 しかし、今は4・5話分を視ると、集中力が途切れてしまい休んでしまう。 「伝説巨神イデオン」は39話あるので、 ペース良く見ていきたいのだが、どうしても途中休憩がほしくなってしまう。 また、休憩を挟みながら視ても、見続けていると疲れてきてしまう。 イデオンは 1/2は、1話~10話まで 1/3は、11話から14話まで 1/4は、15話から28話まで まで視聴したのだが、1日に10話程度視ると、どうしてもしんどくなってしまう。 「伝説巨神イデオン」はSF

    アニメ視聴において、体力・集中力の低下との付き合い方
  • アニメキャラ半勃起論について

    アニメと半勃起 年頃の男の子に半勃起は欠かせない。半勃起してしまうのだ。 それはアニメに登場する若者キャラクターも例外ではないと思う。 そんな私はアニメを見ながら、 このシーンのこのキャラは半勃起しているのではないかと想像するのが好きだ。 今回は様々な作品を取り上げて、紹介してみたい。 思春期には半勃起には欠かせない まず今回のFate/stay night 6話。 士郎がセイバーに強化の魔術の鍛錬を見せているシーン。 士郎はセイバーが可愛くて集中力を欠いて、強化の魔術は失敗に終わるのだが それはセイバーが可愛すぎて半勃起状態になったからだと、私は勝手に思ってしまう。 またここで士郎は石を使って強化の魔術を行うのだが 士郎は「石は固く」云々言っていることを見ても、 石が固く=ちんちんが固くと言っているのと同義であると、私は勝手に思ってしまう。 続いて今回のソードアートオンラインⅡ19話。

    アニメキャラ半勃起論について
  • 「Gのレコンギスタ」11話は混沌化する世界が戦争突入するメカニズムを描く

    「Gのレコンギスタ」11話を視聴。 今回、キャピタル・アメリアといった各勢力がある中で 各勢力の内々では個々の思惑が働くことで、 どの勢力も一枚岩ではないことが描かれていた。 ではこの各勢力が一枚岩で描かれない意味とは何か。 この事を戦争がなぜ起こるのかという視点も含めながら考えてみたい。 首脳陣の考えが違うアメリア まず、アメリアの首脳陣の考えの相違についてみてみる。 今回は、クリムの父ズッキーニ大統領が主催する出陣式に パラシュートで降りてやってくるアイーダの父スルガン総監が 大統領のやり方に因縁をつける。 息子のクリムに戦艦サラマンドラを出陣させ キャピタル勢力と戦う事を宣言するズッキーニ大統領。 対して法皇を人質に取り、早期収束を図ろうとするスルガン総監。 スルガン総監はこの事を聞いていないために、統帥権の侵害だと感じている。 以下の会話を見てみよう。 ズッキーニ「キャピタルタワー

    「Gのレコンギスタ」11話は混沌化する世界が戦争突入するメカニズムを描く
  • 失われた何か 「Gのレコンギスタ」8話と宗教-ものを考えなくて済む側面としてのスコード教

    はじめに 「Gのレコンギスタ」8話を視聴。 今回、特に強く印象に残ったのは、宇宙船で脱出したウィルミット・ゼナムが、 天体観測によって月に驚異が迫っていることを知るも 自身が信じているスコード教の教えを唱えつつ、 まるで思考停止のようなヒステリックな態度を取ってしまうシーン。 今回はヒステリックなウィルミット・ゼナムから 「Gのレコンギスタ」は何を描こうとしているのかを考えてみたい。 Gのレコンギスタと宗教 まず「Gのレコンギスタ」は、スコード教という宗教が重要な役割を果たしている。 それは1話のアバンが終わり、サブタイトルのコール後のカットは スコード教の大聖堂内で法皇がスコード教の教えを話しているシーンに移り変わり、 次に大聖堂の外に画面は移り変わり、続いてキャピタル・宇宙エレベーターを見せる という順番で世界を説明している点でわかる。 ※1話の大聖堂及びキャピタルの描写 つまり、まず

    失われた何か 「Gのレコンギスタ」8話と宗教-ものを考えなくて済む側面としてのスコード教
  • 「Gのレコンギスタ」と全体主義-状況に流される人達の物語

    はじめに 「Gのレコンギスタ」7話を視聴。 「Gのレコンギスタ」で気になっていたのは、 富野由悠季監督がここ数年語っていた「全体主義」について、 Gレコでどうこの事が反映されているのかどうか。 今回は「Gのレコンギスタ」と「全体主義」及び「独自で判断できる人」について考える。 ※全体主義とは、個人の全ては全体に従属すべきとする思想・政治体制の一つ。この体制の国家は、通常一人の個人や一つの党派や階級によって支配される。その権威には制限が無く、公私を問わず国民生活の全ての側面に対して可能な限り規制を加えるシステム。全体主義の例としてドイツのナチズムが挙げられる。 富野由悠季監督とハンナ・アーレントと全体主義 富野由悠季監督は政治学者:ハンナ・アーレント及び彼女の「全体主義」を インタビュー等で何度も言及してきた。 富野「2008年に知ったということは今も勉強中で、ハンナ・アーレントの『全体主義

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  • 「Gのレコンギスタ」4話の繋がらない富野流会話劇の意味

    「Gのレコンギスタ」4話。 アイーダに連れられて、ベルリ・ノレド・ラライアが宇宙海賊の元へ。 一方キャピタル・アーミィはデレンセン大尉のカットシー部隊を使い、 宇宙海賊を叩く魂胆だが、ベルリはカーヒル大尉の件で アイーダに貸しがあると感じ、戦いを止めようとGセルフに乗る展開。 カットシー乱舞というタイトル通り、 カットシーとGセルフの戦いが小気味よく描かれていた。 さて今回はGレコの会話劇について、4話を例に語ってみたい。 まず富野監督の作品は、Gレコもキャラ同士の会話が噛み合わないと指摘されている。 しかし他にも動作にしてもキャラクターがどこかに飛び移ろうとして失敗しそうになる、 もしくはストーリーの進行上を見ても、何かを行おうとしても進まないなど、 富野作品は世界観・キャラの会話や動作も含め「うまくいかない」価値観で通底される。 これが前提としてある。「ディスコミュニケーション」的であ

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  • 「Gのレコンギスタ 3話」の排泄描写の意味-日常と非日常の接続

    ガンダム Gのレコンギスタ」3話を視聴。 クリム・ニックが襲撃した混乱に乗じ、Gセルフに乗ったアイーダに連れられて、 海賊の元へ行くことになったベルリとノレド。 世界の中心たるキャピタルの外に出たことで、 ベルリが今後世界の真実を知ることになる予兆を感じさせた展開。 3話は海賊部隊の才気あふれる若きパイロットである クリム・ニックの3枚目的な立ち振る舞いが面白かった。 また幾度となく描写される動物の描写は、 りギルドセンチュリーは自然が回復している世界という予感と 動物達のコミカルな仕草は、手塚治虫・虫プロ的な系譜を感じさせた。 日常と非日常をつなげるモビルスーツ内での排泄描写 さてGレコ3話では、クリム・ニックにも関わる見逃せない描写がある。 それはモビルスーツ内で起こる排泄描写である。 モビルスーツの操縦席が、そのままトイレにもなっている。 初めてガンダムのモビルスーツの操縦席にトイ

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  • アニメ監督の制作現場の作り方-富野由悠季・宮崎駿・押井守

    はじめに アニメの監督の仕事とは何か。 まず視聴者なりに、アニメ監督の仕事内容をざっと挙げてみるとしてみると 読み(脚の打ち合わせ)、各話のコンテチェック、各話演出担当との打ち合わせ アフレコ立会、編集などなど、仕事の内容は多岐にわたるのはなんとなくイメージできる。 こうした具体的な業務以外にも、監督の仕事はあるのではないか。 それは「制作現場の環境作り」である。 この事を気づかせてくれたのは、「栄光の80年代ロボットアニメ」にある 河原よしえさんが書かれた「80年代ロボットアニメ監督たちの素顔」という記事だった。 ※栄光の80年代ロボットアニメ (タツミムック) 河原よしえさんは1975年にサンライズに入社し、製作現場の各作業補佐及び広報素材整理、 その後は設定や広報、脚などを手がけたキャリアを持ち、 1980年代のサンライズの現場を間近で見てきた方だ。 この記事で河原さんは、富野

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  • コミュニティの崩壊と結成から見る「俺の妹がこんなに可愛いわけがない。」3話

    俺妹3話は、沙織・バジーナの話。 むしろ槇島沙織の話といった方がよいのかもしれない。 そしてオタクサークル的コミュニティの描写と崩壊の描かれ方が秀逸だった。 12歳頃の沙織は体が弱く、そんな沙織を姉の香織は連れ回していたようだ。 ただ今回、香織が沙織を連れまわす場所は今までと違っていた。 香織は親の資産であるマンションの一室を オタクサークルの集まりの場として使い、沙織をそこに紹介する。 マンション先で出会ったのは、香織のサークル仲間達。 そこで沙織は人と話すにも顔を隠しながら自己紹介する。 この顔を隠す描写でもわかるように、沙織は顔を隠す性質があるようだ。 グルグルメガネを付けるのもその一環。 そんな香織達の仲間の中でも、沙織の今後の方向性を決定づけたのが彼方だ。 それはこのメガネを見れば一発でわかる形。 彼方は沙織と親しくしてくれたようで、他の香織の仲間達が、 沙織を香織の妹という形で

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  • 手堅い物語構成術が光る「俺の妹がこんなに可愛いわけがない。」1話

    はじめに 俺の妹がこんなに可愛いわけがない。が帰ってきました。 ざっと1期から1年半近くが経ったのでしょうか。時間が経つのは早い。 そんな2期の1話を見て、手堅い。実に手堅いと思いながら見ていました。 きちんと全キャラに見せ場を持たせる構成 なぜ手堅いのかといえば、全キャラに見せ場を与えていた展開だったからです。 おそらく分割2期ものの宿命ではあるのでしょうが、 2期ものの1話は1期の復習も兼ねて、 もう一度キャラクターの有り様ををおさらいしないといけない。 それがこの1話では上手く出来ていたのではないかと思うのです。 まず桐乃と京介の幼少時代のエピソードが描かれました。 ここで京介と桐乃の因縁というか、二人の遠からず近からずの関係が始まったのかも。 物語の起点は京介と桐乃である事を再確認できるエピソードを最初に持ってきました。 そんな妹との距離感に悩む京介は幼馴染の田村麻奈実さんに相談

    手堅い物語構成術が光る「俺の妹がこんなに可愛いわけがない。」1話