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ブックマーク / www.satonao.com (19)

  • www.さとなお.com(さなメモ): 広告業界が変化しにくい根本的な理由

    広告マン&ウーマンを相手に「これからの広告コミュニケーション」についての講演をしたとき、こんな質問が40歳くらいの男性から出た。 「おっしゃることを実行するとなると、とても効率が悪い上に手離れも悪くなると思うのですが、それについてはどうお考えですか?」 よくある質問なので、それについてのやり方(精神論も含むw)をご説明さしあげたが、それを聞いてその男性は「わかりました。その通りだと思いますけど、でも、いったい誰がやるんですかね。僕達がやるんですかね」と苦笑した。 その「苦笑」がずっと頭に残っていて、ときおりぼんやり考える。 広告をはじめとしたコミュニケーション領域は、マスメディアからマンメディアへの変化につれて、「生活者との地道なコミュニケーションを毎日じわじわ積み重ねる」という方向にどんどん移行していて、それはとても誠実で丁寧で真摯な手作業が増えていく非効率の世界だったりする。 ただ、大

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  • www.さとなお.com(さなメモ): 長崎市長の「長崎市平和宣言」が素晴らしいので、備忘録的に全文を

    昨日は長崎原爆の日。 田上富久長崎市長の「長崎市平和宣言」が素晴らしいので、備忘録的に全文を書いておく。ニュースサイトはすぐリンクが切れるので。 被爆者の平均年齢は78歳。 今の若い世代は、被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代だ。 そして、いまの50〜70代(若者たちの親世代)は、彼らと被爆者をつなげることができる最後の世代。 急がないといけない。 68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄(すさ)まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃虚となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。 このむごい兵器をつくったのは人間です

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  • www.さとなお.com(さなメモ): 「テレビCMでモノが売れた時代って本当にあったんですか?」

    広告宣伝関係者諸君。 いま、ボクは「さとなおオープンラボ」というのをやっていて、有志で集まっていろいろ研究しているのだけど、昨晩のラボ後、まだ社会に出て数年目の女性から質問があったですよ。 「あの、、、テレビCMが効いた時代ってホントにあったんですか?」 「ん?」 「さとなおさんは『情報洪水以前に比べてテレビCMが格段に伝わりにくくなった』っておっしゃいましたが、テレビCMが効いてモノが売れた時代って当にあったんですか? 私、想像つかなくて・・・CM見てモノを買うって当にあり得るんでしょうか?」 ・・・一瞬絶句。 当然のように「CMは元々とても効いていた」という前提で講義を進めてしまっていたけど、そうか、その前提自体が共有できてない世代がもう社会人か・・・ ここまで素直に疑義を呈されると「そういえば効いてた時代ってどんなだったっけ?」と遠い目になる。いまでもやり方と使い方を変えれば効か

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  • www.さとなお.com(さなメモ): プレゼンを褒められて気がついたこと

    今日は慶應SFC(湘南藤沢キャンパス)にゲスト講義で行き、プレゼンをした。 プレゼン後、呼んでいただいた先生に「いままでの人生で聴いたプレゼンの中で、掛け値なしに一番良かった」と言われた。生徒たちからもいくつか熱いメッセージを速攻でもらった。 意外だった。。。今日のが? なんで? さすがにこんなに褒められたのは記憶にない。 いったいいつもと何が違ったのだろう。。。 確かにいつものプレゼンとは作りを変えた。 みんなにわかるように、ではなく、「あるひとりのヒト」を思い浮かべながらスライドを作り、そのヒトにちゃんと伝わるように、わりとパーソナルに話をした。 なるほどそうか。。。 というか、学習院大学のプレゼン演習で生徒たちにそう教えたじゃんオレ。 「共感は一般論では起こらないよ」って。「とても個人的な話をすることでしか起こらないよ」って。「個人的であればあるほど、相手がわざわざ自分と似た部分を探

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    lEDfm4UE
    lEDfm4UE 2013/06/25
    「共感は一般論では起こらないよ」って。「とても個人的な話をすることでしか起こらないよ」って。「個人的であればあるほど、相手がわざわざ自分と似た部分を探しに来て共感してくれるんだよ」って。
  • www.さとなお.com(さなメモ): それでもやっぱり広告人は、企業の凋落をもっと「自分ごと」にした方がいいと思う

    前回のブログ「シャープやパナソニックやソニーの凋落を、広告人や広告会社はもっと恥じるべきじゃないかな」がやけに賛否両論の反響を呼んでいるようで、見たことのない「いいね!」数がつきました。意見を直接いただいた当人の感覚では、賛否が6/4くらいな印象です(はてブではずいぶんネガな反応をいただいたようですが)。ありがとうございます。反論も多かったので、ちょっと蛇足かなと思いつつ、書いてみます。 内容的に言うと前回のブログは「業界誌や業界人向けの講演ですべき話」なんだろうと思います。前提を共有した人たちに対して「無茶なのはわかってるけどあえて苦言する」みたいな内容なので。 だから業界人の方々にはある程度の理解はいただけたとは思うのだけど(苦言なので嫌われた可能性はあるがw)、それを一般に広く発信すると、特に業界人以外の方から、反発を含めた様々な感想をいただくのは当たり前かもしれません。狭い業界かつ

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  • www.さとなお.com(さなメモ): シャープやパナソニックやソニーの凋落を、広告人や広告会社はもっと恥じるべきじゃないかな

    最近、広告人と話すとき、「シャープやパナソニックやソニーの凋落をどう思うか」と話題を振ってみることがある。 そして少し絶望的な気分になる。 誰もそのことを恥じていないからだ。 少なくともボクが話した人たちはピンと来ていなかったし、積極的に恥を感じている人に会ったことはない。 「おかげで広告の売り上げが下がったよ」と嘆く人が多いし、客観的に(他人事みたいに)各社の戦略ミスや製品の開発姿勢などを批判する人すらいる。 まぁわかるんだけど。 でもさ、もっと恥じようよ。 広告人、もしくは広告会社は、シャープやパナソニックやソニーの凋落を恥じるべきだし、そのことをもっと反省してやり方を変え、違う姿勢でクライアントに向き合っていかないといけないとボクは思う。 シャープやパナソニックやソニーがこれまでどれだけ広告費を使ってくれたか。 そして我々広告人や広告会社は、商品広告のみならず、イメージ広告やブランド

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  • www.さとなお.com(さなメモ): 「効率」という言葉が格好悪くなる時代がちょいそこまで来ている気がする

    ここでご紹介するのを忘れていたが、去年、並河進くんにインタビューを受けた。 佐藤尚之(さとなお)さんに聞く「効率じゃないコミュニケーションへ」(前編) 佐藤尚之(さとなお)さんに聞く「効率じゃないコミュニケーションへ」(後編) インタビューというのはおもしろいもので、自分が一方的に話す講演とは違い、自分が潜在的に考えていることが人の意志とは無関係に染み出したりする。 もちろん聞き手がよくないと無理なのだけど、並河くんはその点とても優れた聞き手で、彼人の話をしながら話し手の反応を探っていく。つまり並河くんという触媒をボクに振りかける作業をきちんとするのである。 たいていのインタビュアーは聞き手に徹し、話し手が自由に振る舞えるように一歩引くが、実はそれでは「その聞き手がインタビューしている意味」がない。インタビュアーの個性こそが、そのインタビューを活かしもし、殺しもする。 そういう意味で、

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  • 選挙前に見ておきたいサイト7選 - www.さとなお.com(さなメモ)

    12年12月12日というゾロ目な今日、選挙まであと4日になりました。 今日は、選挙前に見ておきたいサイトを7つご紹介しておきます。 この順番に7つ見ていくとアタマがかなり整理されまっせ。 【自分の考えと一番近い政党はどこかがわかるサイト 3選】 ○日政治.comの「投票マッチング」 ○毎日新聞の「えらぼーと」 ○日版 ボートマッチ 3つとも20問程度の設問に答えていくと「あなたの考えに近い政策を掲げる政党」がわかります。 どうです? 意外な結果が出た方も多いかもしれません。 もちろん、いい政策を掲げても実行できなければ意味がないのだけど、何を主張しているか知らないと何も始まりません。「民主がダメだったから次は自民」とか、なんとなく投票するには “重要すぎる” 選挙です。まずは自分と近い政党を知るところから。 この3つのサイト、政策マッチングとしても秀逸だけど、「自分のアタマを整理する」

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  • www.さとなお.com(さなメモ): いわゆるひとつの企画のコツ

    前回の「ノマドって『企画の超重要な部分』が抜け落ちる」で、企画について少し触れたので、ついでにもうひとつ。 ボクは広告コミュニケーションを生業としていて、電通で26年、独立して1年半、クリエイティブ畑でCMやウェブやキャンペーンを企画してきた。 最近では「広告」という領域におさまらない仕事も多く、コミュニケーション領域全体を設計・構築する「コミュニケーション・デザイン」が仕事の中心になっている。だから肩書きはコミュニケーション・ディレクター。何をやっているかわからない怪しい肩書きだが、実は人も何をやっているかよくわかっていないのであるw とはいえ先端っぽい仕事ではある。 そう見えるせいか、学生とか若者とかからよく質問される。 「新しい企画や発想ってどうやったら浮かぶんですか?」 そういうとき、たいていの質問者は「アナタは才能があるからいいですね」という目をしてこちらを見ている。新しい企画

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  • www.さとなお.com(さなメモ): 生活者は企業と"対話"なんかしたくない

    先週末は関西で講演だった@Web広告研究会関西セミナー 高校(駒場東邦)の同期3人が同じような領域を扱っていることに大和ハウス工業の大島茂室長がたまたま気づいてくださり、博報堂関西の木藤正裕くんと、ループスの斉藤徹くん、そしてボクの3人での鼎談(正確にいうと、ワコールの大藪範子さんをモデレーターにした座談)の講演会があったのである。 高校時代には想像もつかなかった同期座談会。 卒業32年での思わぬ邂逅。人生、何がどうなるかわからないねぇ。 最初にまず木藤くんが「企業がソーシャルと対話できる組織設計」という表題で30分の単独講演をやり、そこに我々2人が加わって1時間強の座談という枠組み。140人くらいのお客さんが集まってくれた。同期のうだうだ話なんかに来ていただきありがとうございました。 木藤くんの講演テーマは「企業と生活者の対話」だったので、座談はその辺の話題から。 で、ボクはちょっと違う

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  • www.さとなお.com(さなメモ): 不寛容と闘わない寛容

    ひとつ前だかの週刊文春で、福岡伸一先生が、フランス文学者の渡辺一夫の著書「寛容について」から、こんな文章を紹介していた。 寛容が自らを守るために、不寛容を打倒すると称して、不寛容になった実例をしばしば見出すことができる。しかし、それだからと言って、寛容は、自らを守るために不寛容に対して不寛容になってよいという筈はない。 ただ一つ心配なことは、手っとり早く、容易であり、壮烈であり、男らしいように見える不寛容のほうが、忍苦を要し、困難で、卑怯にも見え、女々しく思われる寛容よりも、はるかに魅力があり、「詩的」でもあり、生甲斐をも感じさせる場合も多いということである。あたかも戦争のほうが、平和よりも楽であると同じように。 たまたまであるが、寛容と不寛容について、深く考える機会を得ている。 寛容であれ、フェアであれ、と、自分を成長させてきたつもりではあるが、寛容を守るために不寛容になる、フェアを守る

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  • 地震が起こったら、まずこれをしろ!

    震度7の真上にいた人間として、どうしても伝えたいことがあります。 それは「地震がおこったらどういった行動をとればいいか」ということ。 経験者にしか語れないことってあると思います。どんなに想像力豊かな人でもその場にならないとわからないことってあるのです。 いろいろありますが、箇条書きにしていきますね。「家自体は倒れなかった」「火事に巻き込まれなかった」ことを前提として話をすすめます。 震度7級の地震だったら、まったく動けません。 近くの家具につかまって身体を支えるのがやっと。183センチの大男でスポーツをわりかしやっていたボクですら、ベッドから一歩も動けなかった。 とにかく「一歩も動けない」と思っておいた方がいいです。 だから火なんか消せません。第一、四方から家具が倒れてきます。下敷きにならず怪我しないのが精一杯でしょう。んー、机の下に隠れるくらいはできるかな、どーかなぁ、というレベル。火事

  • www.さとなお.com(さなメモ): エビフライのしっぽ

    「あのさぁ、エビフライのしっぽってさぁ、無駄でしょ? べないし。でも、エビフライって、しっぽがないとおいしく思えないもんなんだよ。エビフライは『無駄な存在であるしっぽ』があるからおいしいんだよ。」 これはボクの尊敬する先輩が言ってくれた言葉である。 長い映像作品を作っていたとき、サジェスチョンしてくれた。 つまり、エビフライのしっぽのような無駄な場面を入れろよ、と。観てる人がホッと息が継げる、ちょっとだらけたシークエンスを持てよ、と。あまり内容を濃く詰め込むなよ、と。 それ以来、CMを作るにしても、文章を書くにしても、講演でしゃべるにしても、なるべく「エビフライのしっぽ」を入れるように心がけている。濃くしすぎない。隙を作る。ちょっとだけ筋と関係ない話をする。 で、人間もいっしょなんだよね。 無駄な部分や隙があった方が魅力的になる。 この前、ある人を前に「あぁオレはなんでこの人のことがこ

  • さとなお: ソーシャルメディアが大きく変えてしまうもの

    ソーシャルメディアが大きく変えてしまうことはいくつかあると思うが、コミュニケーションのあり方を大きく変えるものとして無視できないことに「情報の伝わり方の変化」があると思う。 マスメディア全盛の時代、情報は「お茶の間」という場を通じて男女「全」世代に伝播した。 家庭のお茶の間に老人から子供まで男女全世代が集い、そこがクチコミ源となったのである。 マスメディア、特にテレビと新聞は、お茶の間に情報を絨毯爆撃的に伝えた。男女全世代はそこで同じ情報に触れ、意見交換が行われた。そしてそれは、各世代の外での「つながり」(会社、学校、井戸端など)にリアル対面式でクチコミされ、拡散した。その結果、テレビや新聞は世論を形成することができた(世論形成において「全世代が同じ情報に触れる」というのが大切だった)。 ちなみに、雑誌・ラジオは男女別・世代別セグメントを行い、補完的に機能した。とはいえF1M1という大雑把

  • www.さとなお.com(さなメモ): 100万人にではなく100人に伝える

    マスマーケティングは大勢の人を相手にする。 なるべく多くの人に伝えて売ることが目標である。100万人、1000万人、5000万人、1億人に伝えるためにどうすればいいか。最小の予算で効率的にそれをおこなうにはどうすればいいか。それを考え、実行していく。大きな消費者の塊に向けてのマーケティングである。そのとき最も効率がいいのがマスメディアを使うこと。具体的に言うとテレビCMが一番効率がいい。放映料は高く感じるが、リーチできる人数を考えると実は安い。そして映像のチカラもあって圧倒的に「伝わる」。 マスマーケティングにおいては「大声で叫ぶこと」が大切だ。 つまり目立つこと。インパクト強い広告を作って、消費者の「アテンション」(注意)を惹かないと、たくさん出稿される広告の中に埋もれてしまう。まず「アテンション」ありき。100万人からの人々の注意を惹き、興味を持たせ、買いたくさせるという大切な役割を広

  • www.さとなお.com(さなメモ)

    今年(2019年)の1月から、noteに移行を始めています。 春くらいはちょぼちょぼと気が向いたときに書いてましたが、7月くらいからは毎日書き始め、11月の段階で150ほどの記事がnoteに溜まっています。 もちろん「新規の投稿」も多いのだけど、この「www.さとなお.com」に書きためた昔の文章を加筆修正した再投稿もわりとあります。

  • www.さとなお.com(さなメモ): AIDMA → AISAS の次は、「SIPS」かな

    この3連休、ソーシャルメディアのことをつらつら考えていた。 というか、ソーシャルメディアの浸透が引き起こす今後の広告コミュニケーションの変化について、か。 アメリカでの革命的変化に比べて、日ではまだまだ先の話ではあると思うけど、広告の現場でも確実に変化の潮流はある。 たとえば、社会貢献系キャンペーンが増えてきたのもソーシャルメディア浸透の流れの上に乗っている。「共感」を流通貨幣とするソーシャルメディアでは、生活者の間に「一緒に生きている社会をよくしようという連帯意識」がとても生まれやすい。そしてそれを企業にも求めるようになる。つまり社会貢献系キャンペーンは一時の流行ではなく、必然の流れだったりするわけだ。 要するにすべての行動のドライブ元が「共感」になりつつあるということ。 このように「共感」がいきなり主役に躍り出てきつつあることも必然の流れだったりするわけなのだが、ここは論文の場ではな

  • www.さとなお.com(さなメモ): 昨晩のNHK「激震マスメディア」を見ながらボンヤリ考えてたこと

    最近、「自分の老い方をどうするか」をよく考える。 どうやって60代70代を迎えるか、ということである。来年50歳になると実感してから急に気になるようになった。そろそろ準備をしないといけない。 もちろん「自分の人生的には60代70代はまだまだ上り坂。楽しい盛り」である。人生のピークを80歳と考えているので、それまではずっと上り坂(笑)。でもそれは「個人の人生」の場合。「社会での老い方」はまた別だと最近考えるようになってきた。 変化が激しいこの時代、今は変化についていけているが(変化を引っ張っているほうだとも思うが)、そのうち自分で気がつかぬうちに変化に遅れ始める(と思う)。そして少しずつ社会の障害になる。壮年時代にがんばって成功事例を作れば作るほどその可能性が高い。 昨晩22時からのNHK放送記念日特集「激震 マスメディア~テレビ・新聞の未来~」を見ていてもそう思った。 この番組、放送業界・

  • www.さとなお.com(さなメモ): 長生きはリスクである

    ここのところ、会った人となぜか立て続けに「長生きはリスクである」という話になった。 まぁ身近な友人たちがみな40代50代になってきて、「あの人は介護地獄で体を壊し」「あいつは親が癌で転院を繰り返し」「彼女は親が痴呆症で24時間面倒みなくちゃいけなくて」とか、もう身につまされるような身の上話が多くなってきていることが理由であろう。しかも給料は下がり続け、お金のやりくりも大変だ。いろいろみんな大変なのである。 そして、そうやって苦労している方々の多くが辿り着く結論は「長生き=シアワセとは限らない」ということなのである。長生きこそシアワセというのは日人の中で長く受け継がれてきた命題だ。でも、その、頭にこびりついた昭和時代的な考え方を、どこかで転換しないといけないのかもしれない。 ある人(70代)は「緩やかな自殺」を始めている。 つまり、いままで節制したり健康法を実行してきたりしていたが、「健康

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