ジャッジのとき、ときどき糸井から 「この意見はいくつかきてるけど、 本気じゃないから聞かなくていいよ」と 言われることがあるんです。 逆に1通だけの意見でも 「これはわかる。聞いといたほうがいいね」 ということがあります。 そういった、それぞれの声が 「実感のこもった意見かどうか」。 そこは、けっこう重要視してると思います。
ジャッジのとき、ときどき糸井から 「この意見はいくつかきてるけど、 本気じゃないから聞かなくていいよ」と 言われることがあるんです。 逆に1通だけの意見でも 「これはわかる。聞いといたほうがいいね」 ということがあります。 そういった、それぞれの声が 「実感のこもった意見かどうか」。 そこは、けっこう重要視してると思います。
ボーッと見えることは見えるんでね、 このくらい大きく描いて、それを縮小して、 渡してるんです。 今日の仕事も、石ノ森章太郎と手塚治虫の 追悼のために、両方の絵を描く、 という依頼だったんですけど、 デカく描いて、縮小させました。 ぼくは理事長とか、いろんな選考委員、 全部降りたんですよ。 そしてもう引退するって言ったときに、 東日本大震災が起きた。 その時に引退なんて甘いことは言ってられない。 あの人たちに比べれば、 自分のほうがよほどまだ元気だからっていうことで、 引退は撤回したんです。 撤回して、向こうへ、うちの声優たちを慰問にやったり、 向こうでコンサートをやったり、現物を寄付したり、 いろいろしてたんです。 だから、まだ、引退はしてないんですけどね、 現実はもうダメなの。
宮本さんは、コンピュータやプログラムについて 体系的には学んでいないはずなんですけど、 コンピュータが非常にシンプルだった時代から いろんなことを経験してきていて、 自分のやりたいことを実現させるために、 道具であるコンピュータのことは ちゃんと理解しているんですよ。
野球と、ガンダム。 そういうものがあることは知っている。 けれども、詳しくは知らない。 それで、なにも問題はないわけだから。 野球と、ガンダム。 知らない人と、知ってる人の差が激しく、 両者はふだん、向き合わずに生きている。 野球と、ガンダム。 知らない人と、知ってる人を、 向き合わせてみたら、どうなるだろう? そんなコンテンツをはじめてみます。 両方の立場で参加できます。 こんにちは。「ほぼ日」の永田です。 おかしなコンテンツをはじめます。 ある人にとってはすごくおもしろいと思いますが、 ひょっとしたら、ある人にとっては おもしろさが感じられないのではないかという企画です。 多少不安はありますが、勢いではじめてしまいます。 どうぞ、よろしくお願いします! さて、あなたは野球を知っていますか? どのくらい知っていますか。 だいたいのルールを把握していますか。 エンタイトルツーベースがわかり
そうですか(笑)。 しかし、それはまさに、 「いま思うといい経験」かもしれないけど、 けっこうキツかったんでしょうね。 そりゃもう、イヤでしたよ。 とくに新しい学校にはじめていく日っていうのは ほんとうにイヤでね。 それでも、初日はおふくろがいっしょに ついてきてくれてたから、 ここで自分がイヤな顔してると おふくろが悲しむだろうなぁ‥‥ なんてことを思いながらね。
枡野浩一さんと、なにかやりたいね、と練っていた。 「やりたくてしょうがないこと」をつくろう、と。 そして、この歴史的とも言える 出会いあるいは衝突あるいは心中コンテンツが生まれた! 番外編6● 最後になるかもしれない手紙 こんにちは、石川さん。 三十八歳のときにメールしたあと、 ずいぶんご無沙汰してしまっていました。 なんとなく、 よそよそしく、 「さん付け」にしてしまったけれど、 石川さんは相変わらず二十六歳ですね。 私は四十四になりました。 最近は年若い人と一緒に仕事をする機会が増えて、 年齢がいくら下でも、 「さん付け」したくなる人はいるものだなあと、 昔よりは少し謙虚になりました。 あのころ十七歳だった歌人の加藤千恵さんは 二十九歳の売れっ子作家になり、 最近はよく、 金欠のとき、ごはんをおごってもらいます。 去年は石川さん、 亡くなってちょうど百年でしたね。 私は去年、 『歌』
商店街の喫茶店が、 ずっと長らく近隣の商店のご主人たちを 主なお客様にしてきたように、 バーという場所は長らく「オトコ」の聖地であった。 今でも「バー」というと、女性にとっては ちょっとばかり敷居の高い場所ではないのかなぁ‥‥。 20年ほど前のコトです。 当時、ボクの会社で働いていてくれていた 女性スタッフたちから、 オーセンティックなバーって一体どんな場所なのか? そこで女性がたのしむとしたら、 どういうことに気をつけなくちゃいけないんでしょう、 って、相談されたことがある。 まぁ、「オトコの世界を覗いてみたい」っていう好奇心が、 その質問のほとんどだったのだろうけど、 ちょっと悩んで、母にそのコトを相談したのです。 いいわ。 わかった。 その子たちを連れて、バーで散財いたしましょう。 あなたもついていらっしゃい。 エスコートをしなさいとは言わないわ。 財布を持ってくればいいから。 いい
みなさん、こんにちは。 今日は、ほぼ日刊イトイ新聞の 日常的な一場面に起こった、 とある「マヌケな事件」のご報告です。 主人公は、ほぼ日にアルバイトとして 勤務している、じゅんぺい(通称JP)。 じゅんぺいと「まんじゅう」にまつわる ちょっとマヌケなエピソード、 どうぞお時間がございましたら、 おつき合いください。 レポート、およびイラストともに、 命じて本人に書かせました。 さ、じゅんぺい。 なにがあったか、きちんとお話ししなさい。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ こんにちは。アルバイトのじゅんぺいです。 今日は、ぼくにとっての 「忘れられない一日」について みなさんにお話ししたいと思います。 ほんとうに、忘れたくても 「忘れられない一日」になりました。 どうぞよろしくお願いします。 それは、2013年1月8日。 お正月休み明け2日目のことでした。 その日、大切なお客様が、 「
マンガはほんとにとっても気楽な商売で、素敵です。 失敗したときに周りにかかるご迷惑が、とっても少ない。 もちろん担当さんにはかかっちゃうんで 申し訳ないですけど、それでも 関わってくださった方がおおぜいいて それぞれの家族の生活がかかってるみたいな、 そういうふうに背負ってるものが ひじょうに少ないメディアだと思うので。 せいぜいフリーでやってる人間だと 次の仕事もらえないとかですよね。 でも自分に戻ってくるのは当然だと思うので。
新年あけましておめでとうございます。 新春企画・糸井重里によるあんこのお話は、 ほぼ日内にしつらえた特設会場、 「あんこの間」にて開催されました。 こちらが、「あんこの間」の演壇です。 会場の基調となるカラーは、白。 新年のまっさらな気持ちと、大福の皮をイメージしました。 写っている女性は、「ほぼ日刊イトイ新聞」の乗組員。 本日、糸井の介添人をつとめる者です。 彼女がこの役に選ばれた理由は、「着物を持っていたから」。 その介添人が、糸井を呼びにいきます。
昔、ボクの両親は飲食店を経営してた。 鰻割烹からスタートして、 まだファミリーレストランという言葉が無かった頃に 「家族連れで気軽に利用できる飲食店を作ろう」と、 和風のファミリーレストランのようなモノを営業していた。 田舎のコトで、だからテレビコマーシャルも頻繁に。 「パパは鰻で、ママは寿司、ボクは釜飯」 というのが当時のうちのキャッチフレーズで、 それまで「大人の男のモノ」であった外食を、 家族でたのしめる場所にしようと‥‥。 かなり進んだ考え方。 だから、かなりの人気を博し、 お店は拡大路線に向かって行ったのです。 ボクが中学生の頃には瀬戸内海を取り囲むエリアに 30店舗ほどありましたか。 父は「青年実業家」とかと呼ばれて毎日忙しく。 母は何百人もいた従業員のココロのケアをしながら、 上得意のお客様とのお付き合いに忙しく。 家族団らんの機会がかなり少なくて、 特に年末どきは飲食店のか
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