今回は紹介方法がマズかっただけな気も。ただ今はネット販売もあるし、その土地で楽しむ風情みたいなものが薄れている感がある
【読売新聞】 宮城県気仙沼市大島の「亀山」(標高235メートル)に2025年度の開業を目指して、「モノレール」の整備が今春から始まる。かつてあったリフトが東日本大震災で被災したものの国の復興事業に認められず、地方創生として事業化にこ
東日本大震災からまもなく6年、津波の被害から町と人の命を守る巨大防潮堤を「選んだ町」と「拒んだ町」。防潮堤がそれぞれの復興に及ぼしている影響とはー。 死者・1214人、行方不明者・219人(2017年時点)を出した宮城県・気仙沼市は、巨大防潮堤の建設を選んだ。 建設は気市内沿岸部65カ所で行われ、全長約40km、最大高さは14.7mに及ぶ。遠目にはそれほど高く見えないが、近づいてみるとその存在感に圧倒される。陸から海を見るには、取り付けられたアクリル板を覗くしかない。
東日本大震災の直後に開局し、NHKのテレビドラマにもなった宮城県女川町の臨時災害放送局「女川さいがいFM」が、来年3月末で閉局することが分かった。16日にもラジオ放送を通じて公表する。 女川町は津波被害で防災無線などの情報伝達手段を失った。この対策としてボランティアグループがFMラジオの活用を提案。免許を受けた町がこのグループに運営を委託し、2011年4月に開局した。地元の若者も番組に参加し、震災2年後には、そのうちの女子高生1人を主役にNHKがテレビドラマ「ラジオ」を放送して反響を呼んだ。FM局を見に町を訪れる人も少なくない。 ただ、運営費は苦しい状態が続いた。統括役の放送作家、大嶋智博さん(42)は「全国からの寄付がうれしかったが、人も予算も少ない中で頑張るのは限界がある。臨時局として5年が区切り」と話す。JR女川駅が再開し、防災無線などの整備が進んだことも勘案したという。 常設のコミ
宮城県内各地から仙台へ、住まいを失うなどした生活困窮者の流入が続いている。仙台を除く県内12市が、生活困窮者自立支援法に基づく「一時生活支援事業」に着手していないためだ。緊急避難施設(シェルター)を運営し、困窮者を受け入れている福祉団体は「行政の怠慢と言わざるを得ない」と憤る。(報道部・斎藤雄一) 町村の支援事業を肩代わりする県はNPO法人「ワンファミリー仙台」、仙台市は社会福祉法人「青葉福祉会」とそれぞれ委託契約を結び、仙台市内で困窮者向けのシェルターを運営している。 両施設の利用者は本年度、既に178人(10月末現在)に達した。このうち判明分だけで19人が12市から受け入れた困窮者だ。ほかにも自主的に12市から仙台へ移動してきた困窮者が相当数いるとみられる。
100年続く会社を作ること。100年続く老舗をめざすこと。100年続く事業を育てること。本書には100年という言葉が何回も出てくる。学ぶべき先輩企業は創業180年目を迎えようとしているエルメスや、室町時代からつづく和菓子の虎屋だという。この気宇壮大な目標を持つ会社の名前こそ、本書のタイトルにもなっている「気仙沼ニッティング」である。 ニッティングの広義は編み物一般だが、狭義はおもに2本の長い棒を使う棒針編みのことだ。両手に棒を持ち、人差し指を器用に動かして、マフラーやセーターを作る手芸だ。アマゾンの本売り場で「編み物」を検索すると5786点もの書籍や雑誌がヒットする。日本ヴォーグが発行する季刊誌「毛糸だま」の発行部数は56,000部だ。多くの人々にとっては家庭内での実益を兼ねた趣味だ。しかし、気仙沼ニッティングはそれを生業にする会社として2013年6月6日に誕生した。 古来6歳6月6日は習
1万8千人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災で大きな被害が出た42自治体のうち、仙台市と周辺部以外の人口流出が止まらない。住民票の異動や不動産の取得状況をもとに朝日新聞が調べた。人口減が進む日本全体と比べても、その度合いが被災地で強まっている実態が浮き彫りになった。 岩手、宮城、福島3県の沿岸部と東京電力福島第一原発事故の避難指示区域が設けられた計42市町村の住民票に基づく人口を調べた。震災前の2011年3月1日(または2月末)と今年2月1日(同1月末)を比べると、39市町村で計約9万2千人(6・7%)が減っていた。減少数は震災による死者も含む。 総務省によると、日本全体の人口はこの間、概算値で0・8%減少。47都道府県によると、人口が減った40道府県の平均は概算値でマイナス1・7%だった。 特に津波で中心市街地が壊滅した岩手県陸前高田市、大槌町、宮城県南三陸町など6市町は10%
宮城県が復興庁に申請していた「水産業復興特区(水産特区)」について、所管の水産庁は、 1)地元漁民のみでは養殖業の再開が困難である 2)地元漁民の生業の維持 3)他の漁業との協調に支障を及ぼさない という要件を満たすと判断し、昨年4月にゴーサインをだした。これをうけて、復興庁は昨年4月23日付で、宮城県が申請していた水産特区を認定した。そして、今年の9月の漁業権の一斉更新によって、水産特区に申請をしていた有限責任会社「桃浦かき生産者合同会社(桃浦LLC)」が漁業権を得ることになった。漁業震災から、2年半が経過して、ようやくの船出である。一方で、未だに宮城県漁協は、特区に対して反対の姿勢を崩していない。 特区に関して、多くのメディアは批判的な報道を繰り返してきた。たとえば、これを読んでほしい。 視点・論点 「漁業再生」 これに対して、漁民らは漁場利用の秩序が乱れると猛反発しました。 水産特区
東日本大震災で一部区間が不通となっているJR山田、大船渡両線について、国土交通省東北運輸局は14日、JR東日本や地元自治体による復興調整会議を、それぞれ21日と24日に開くことを決めた。JR側はバス高速輸送システム(BRT)での仮復旧を検討しているが、同会議は鉄道復旧に絞り、代替交通については別の協議会を設けて議論することになりそうだ。 復興調整会議は、国交省が設置する県、沿線自治体、JRによる被災鉄道に関する意見交換・調整会議。山田、大船渡両線については昨年6月の初会合から月1回程度開く予定だったが、昨年11月の第2回以降、BRTなどが浮上したため調整が難航し開かれていない。 第3回は山田線が21日に宮古市、大船渡線が24日に一関市で開催。「鉄路復旧と代替交通の議論を分けて議論すべきだ」(地元関係者)との意見を受け、鉄路復旧に絞り議論する見通しだ。
3月11日、東日本大震災に見舞われた南三陸町にある南三陸ホテル観洋。固い岩盤の上にあり、1階と2階は津波に襲われたが、5階にあるロビーのシャンデリアは一つとて落ちることがなかった。そして、そのときから宿泊客、地域住民、ボランティア、復旧作業員が寄り添い、復興に取り組む物語が始まった。 4月から5月にかけて、私は日経ビジネスの瀬戸久美子記者とともに現地を取材、5月31日、日経ビジネスオンラインに、地震直後からの阿部憲子女将の孤軍奮闘ぶりを報告した。 ここにきても遅々として進まない復興への動きも重なり、現地の状況を確かめるべく、8月後半、私と瀬戸記者はそれぞれホテル観洋を再訪した。その後も、電話やメールで現地との情報交換を続けるなか、我々はある事実を発見した。 まだ避難者がいるなか、社員の雇用を守るために、ホテル観洋は7月24日に一般の宿泊客の受け入れを開始していた。地震前から人気の高い旅館だ
◇莫大な費用、誰が負担? 東日本大震災の津波で破壊され、今も運休が続くJR在来線の復旧を巡る話し合いが、自治体とJR東日本の間で始まった。今後は津波の被害を受けないよう、内陸部へのルート変更も検討されているが、莫大(ばくだい)な費用が必要なことや、路線や駅ごとに被災状況が異なることなどから、再建への道筋は定まっていない。【川上晃弘】 運休中のJR線は、青森、岩手、宮城、福島県の太平洋沿岸を走る常磐線や石巻線など7路線。延べ60キロの線路が流失し、女川駅(石巻線)など23の駅舎が流された。沿線自治体とJR東は5月から、路線ごとに意見交換する「復興調整会議」を順次スタートさせている。 最大の課題は、資金を誰が負担するかだ。 JR東の清野智社長は4月の定例会見で、「責任を持って復旧させる」と明言。同社は国土交通省に復旧に向けた公的支援を要請。国や自治体の協力のもと、鉄道の再建を進める方針を固めて
延々と続く瓦礫の山。地震の前には、壊されたすべてのモノに持ち主がいて、温かい生活の一部を支えていただろう。それが今や、無機質なゴミと化し、その多くは持ち主と再会することなく処分されていく。 全国でも有数の良港として知られる宮城県の気仙沼。港には多くの船が水揚げのために停泊し、近隣は市場や加工場がひしめき合って建っていた。それがすべて、津波に押し流されて消えた。 出航を告げる船の汽笛、魚市場に響き渡る威勢のいい競りの声、缶詰工場の機械が刻む小気味良いリズム音――。多くの人々の喧噪に包まれていたその場所は、今、無音の空間が広がっている。 覚悟はしていた。だが、テレビの映像からは伝わってこなかった凄惨さが、目の前に広がる。何かが違う。現地に赴いて呆然と立ち尽くしながら感じた違和感は、静寂さだった。テレビでは、リポーターが現場を伝える声が流れている。だが、実際の被災の現場は、ここまで無音だったのか
神奈川県横浜市在住の仙波公輝さんの本業は、通信システムの開発だ。だが、暇な時間をみつけては海沿いドライブに出かけ、車載カメラで撮影した車窓映像を動画共有サイト「ユーチューブ」に投稿している。投稿された動画は既に400以上にも上る。 震災で東北沿岸部の相当部分が壊滅的被害を受けた今、数千人に及ぶ仙波さんのサイトの閲覧者にとっては、これら動画は何が失われたかを知るための貴重な資料となっている。 例えば、最も甚大な被害に見舞われた南三陸地域の動画には、小さな倉庫や店舗、漁船や入り江を通り過ぎながら、緑が深く生い茂った細い道路を当てもなくドライブする様子が仙波さんの視線で映し出されている。 この南三陸地域の動画は、仙波さんが2010年4月30日に撮影したものだ。 仙波さんは電子メールで、これまで各90分の車窓動画を1500~2000種類作成したと述べた。ただし、高解像度のものはそのうちわずか10%
当方で収集した田代島 / 網地島の被災状況の情報が多数たまりましたので、わかりやすいように情報を整理しました。 カテゴリ:東北関東大震災 2011年6月18日更新 ※長いので記事を折りたたんであります。下の「more ...」をクリックしてください http://syggnya.blog26.fc2.com/blog-category-19.html 当情報はあくまで私しぐが、各方面より個人的に収集した情報です。 不確定情報も含まれておりますので、各々情報を精査のうえ、吟味して把握ください。 [現状の概略] ここでは、現在得られている情報を島ごとにとりまとめ、概略として記述します。 ※田代島/網地島への生活・復興支援に関する情報はこちらをご参照ください。 →田代島 / 網地島への生活・復興支援について ※不定期更新。その時その時の状況を、内容に応じて書き換え・付け足し記述してゆきます。 ■
三陸の旅を終えて以来、虚脱状態が続いている。 山形が停電から復旧し、テレビやネットで情報を追い続けていたが、この世のものとは思えない津波の映像に震え、ぶらぶら歩いていた釜石の商店街が波に呑みこまれ、あとはもうひたすら恐ろしかった。 地震当日の午前中は、宮城県松島のカフェで原稿を書いていた。午後に山形で用があり、久々に帰郷したところで地震に遭った。その用事がなければ、「いいところだな」と、太平洋岸の町をうろついていたと思う。 最近は、ずっと旅をしていた。 三陸をうろつく前の週は、福島の郡山やいわき市に。海を見ていると、原稿執筆のモチベーションが維持できるという理由で、今年の冬は沖縄や福島、仙台、三陸をぶらつきながら、わりとストイックに原稿に向かっていた。旅をしながら、同時にカンヅメでもあったのだ。 プライベートな空間では原稿がまったく書けないので(個室に入るとロクなことをしない)、家には帰ら
2011年3月6日NPO法人ネットワークオレンジの街おこしセミナーで訪ねた気仙沼。素晴らしい海と漁港、昭和の街並みと路地裏の喫茶店、おいしい魚とお寿司、やさしい人たち。朝の路上観察ツアーは発見の連続でした。その5日後に起きた3月11日の東日本大地震。笑顔で迎えてくれた市民のみなさんや市長の安否は?美しい街並みの1/3が水没し、大島地区など4つの集落が壊滅とのニュース。どうなってしまったか心配でなりません。http://bit.ly/hyBlYF <その後、ネットワークオレンジのみなさまとも連絡が取れてご無事とわかりほっとしております。講演でお約束した気仙沼でのTシャツアートイベントも必ず実現させたいと思います!
2009年の夏に完成したHARD OFF ECOスタジアム新潟。最新の人工芝を採用し、観客収容人員は3万人。内野席にある3層の客席が特徴的です 最近の成功例のひとつ、楽天イーグルスがフランチャイズを置く宮城県仙台市の人口は約103万人。ちなみに、宮城県は約234万人だ。 それに対し新潟市は約81万人。県全体にスケールを広げると238万人となる。仙台市、宮城県と比較しても、ほぼ遜色はないといえるのではないだろうか。 さらに、新潟県を含む北陸地方は、楽天創設以前の東北地方と同じく「プロ野球団空白地帯」である。 根強い高校野球人気がプロ野球進出のベンチマークに。 好条件は、まだある。新潟県は、高校野球が非常に盛んな地域だ。 全国高校野球選手権、つまり夏の甲子園への参加校数も宮城県の78校をはるかに上回る96校。これは全49地域の中でも15番目に多い。また、ベースボール・マガジン社の創業者が新潟出
津波一過 悲嘆の浜 養殖業「もう駄目」 三陸沿岸 2010年3月2日(火)09:00 (河北新報) 「壊滅だ」「あきらめるしかないのか」―。チリ大地震津波から一夜明けた1日、カキやワカメ、コンブといった三陸沿岸の養殖漁業の現場では、次々と被害が明らかになった。落胆する漁業者。被害額も甚大に上る見通しだ。これから三陸の養殖はどうなるのか。先行きへの不安が、浜に広がった。 「コンブ漁は今月から5月まで。最近は400万円ほどの水揚げがあったが、もう見込めない」 岩手県宮古市高浜の漁業佐々木俊幸さん(47)は作業小屋の片付けをしながら、途方に暮れた。高浜地区では約300基のコンブ養殖施設が流された。 宮城県七ケ浜町でノリを養殖する石森喜一さん(51)も朝から壊れた施設の回収に追われた。「収穫がまだ一カ月も残っていた。もう駄目だ。30年やってこんな被害は初めて」と肩を落とした。 岩手県は大船
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