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ブックマーク / sskkyy81.blog4.fc2.com (26)

  • 錆びついたマシンガンで・・ - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    人生に無駄な事などひとつも無いと言うが、どうも思春期の貴重な時間を、誤った方向に費やしていた気がする。 闘将!!拉麺男(1982年~1989年)で、毒草・毒薬・毒虫を配合して入れた瓶に長い年月をかけて手とうで突き、 毒手を完成させるという話があった。 魁!!男塾の「民明書房刊」を図書館に探しに行った前科のある私が、これを疑う理由などなかった。 毒手はさすがに無理だったが、ジャッキーの映画で砂をひたすら突いて鍛えるという場面があり、 この行為の裏づけが取れたという確信を持った。 それからというもの人知れず砂場を見つけると、手とう突きを繰り返し、 自分の手を鋭利に削る日々が、結構いい歳まで続いた。 努力の甲斐あって鋭さを持った手を完成させたのは良いが、よくよく考えると、 一般人の私に手とう突きは、どのような場面で使われるのだろうか? 男ならば一度ぐらいはコブシを強く握り締め、それを突き放つ機会

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    laiso 2007/03/04
  • 氣志團 元ネタを検証 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    氣志團の元ネタを探ると、そこにはステキな80年代が見えてくる 死無愚流 呼麗苦衝音 +3 → ジャケット元ネタ BOOWYのロゴ <その他BOOWYネタ> ・ライブをGIGと言う ・「ハイウェイに乗る前に」をツアーのサブタイトルに Boy's Color (CCCD) → ジャケット元ネタ:  Blondie -妖女ブロンディ Too Fast To Live Too Young To Die → ジャケット元ネタ:ユニコーン -服部 ・中村福太郎さん(83歳 一般人) 未だに鳶職にて現場監督をこなしてるそうです。 → ジャケット元ネタ: BUCK-TICK -悪の華 <その他BUCK-TICK元ネタ> ・愛・愛・ONE MORE KISS( デリケトにキスして )→ BUCK-TICKーJUST ONE MORE KISS ・6 for Japanese Babies(雷電)→ BUCK

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    laiso 2007/02/18
  • 「東京ラブストーリー」の東京とは? - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    田舎者にとって東京とは、いつの時代も憧れの響きである。 東京というその魅惑の響きは、幼い頃からアニメで餌付けされ続けてきた。 アキラで描かれた「ネオ東京」 機動警察パトレイバーで描かれた「コスモポリス東京」 エヴァンゲリオンに出てくる東京は「第3新東京市」 数知れず東京を素材としたものを観てきた訳だが、私の世代で一番の影響力といえばこれしかない。 「東京では誰もがラブストーリーの主人公になる」 そんな副題が付いていた、1991年放送ドラマ「東京ラブストーリー」である。 このドラマの詳細を、わざわざ説明をする必要もないだろう。 「東京ラブストーリー」の東京はどこからきているのか? 東京が舞台だからなのかと思っていましたが、原作であるマンガでの三上のあるセリフにその答えがあった。 リカは東京そのものだ 気まぐれでわがままで刺激的で… 魅力的だけど…疲れるだろ? ドラマのタイトルバックでは、東京

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    laiso 2007/02/18
  • 「黒夢」の背負った十字架 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    「1年で(オリコン)1位を取得出来るのはたった50曲ちょと。 その内B'z、ミスチル、キンキなど必ず1位を取得するアーティストがいる訳で、 1位を取るのは運的な要素もあるし、皆さんが思う以上に難しいんですよ」 こう発言をしたのは全盛期時代のあの小室哲哉である。 リリース数の少ないアルバムとは違い、シングル曲で1位を取得するというのはアーティストにとって大きなステータスであるのは間違いない。ただどのミュージシャンも興味の無いふりをする。 そんな中 オリコン1位を取ることを包み隠さず公言してきたバンドがいる。 黒夢である。 アルバムでは3枚目の『feminism』で簡単に1位を取得し、「次はシングルで1位を取るぞ!」と盛り上がってる様子が彼らのビデオにも収められていた。 清春自身がシングル曲は売れる為のJ-POPとして位置付けており、自身の音楽性を否定してるともいえる曲をリリースする傾向があっ

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    laiso 2007/02/11
  • 大豪院邪鬼という男 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    ホラー、サスペンス映画にて中途半端なとどめで、最後にもう一度だけ復活させて驚かせるのは一種の定石である。 私の主観になってしまうが恐怖物が人間であるサスペンスものだと、銃火器類で首より下を数発打たれるのは復活フラグ成立だ。 逆に頭を打ち抜かれるとそれで完全な死亡フラグとなる。 スプラッターものになると完全な死亡フラグを成立させるのはとても困難だが、基は首を切られる、燃やされる、爆発するなどの傾向がみられる。 こういったある程度の生死の基準があり、それをある程度把握しているから心構えも出来るのである。 マンガ界でもその死亡の基準が個々の作品ごとで異なりつつも、ある程度のマンガ界の暗黙のルールというのは存在すると思われる。 黄金期ジャンプでその暗黙のルールを破ったと真っ先に思い浮かぶのは、ドラゴンボールのフリーザである。 体を横に真っ二つにされた後に、ゴクウの攻撃で完全に溶けただろうという描

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    laiso 2007/02/11
  • 「ザ・スーパー忍」の版権問題 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    メガドライブの初期の傑作である 『ザ・スーパー忍』 (セガ 1989) を皆さん覚えているいるだろうか? 当時はまだファミコン、PCエンジンよりも機能に勝るメガドライブ所有者には何ともいえぬ優越感があった。 そのメガドライブの中でもシステム、アクション、グラフィック、サウンド、 あらゆる面において全メガドライブソフトの中でもトップレベルの完成度を誇っていたのがこのザ・スーパー忍であった。 と、世の仕組みを知らない当時ガキだった私は、このゲームの売りでもある 豪華な敵ボス達との戦いを純粋に楽しんでいた訳だが、 ふと大人になった今振り返った時に、この敵キャラ達に対し非常に気になる疑問がふつふつと沸いてきた。 著作財産権(キャラクタービジネス)は、一体どうなっていたんだろう? この頃のゲームは版権に対する意識がまだ弱かったせいか、映画などの著名なキャラに類似したものが多くみられた。 しかし、「ザ

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    laiso 2007/01/12
  • ファミマガの功罪 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    あの時代ゲーム雑誌の代表格といえばファミリーコンピュータマガジン 通称ファミマガ かつては「ニュースのファミ通、攻略のファミマガ」なんて呼ばれていたが、 ハードの多様化で任天堂ハードが劣勢となりファミマガは1998年に休刊となった。 当時人気コーナーだったのが、数々の裏技、バグ技を横綱、小結などに分けて紹介する読者投稿型のページであった。 そして忘れてならないのが毎号必ずウソ技がひとつ含まれていた事である。 もちろんこれはファミマガが事前に公言していた事であり、その遊び心を探し当てるのも読者の楽しみの一つであった。 しかし、遊び心ではすまされないファミコンのタブーに触れてしまうウソ技があった 『水晶の龍』で野球拳が出来る(1987年2月号) この当時でこれだけの合成を作れる事を素直に誉めたいところだが、 最後のボタンをはずした画像に「もう一回勝てば・・エヘヘヘ」は危険すぎた。 何故ならまず

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    laiso 2007/01/08
  • マンガ史上 最強のキャラは? ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    男にとって永遠のテーマでもある 「マンガ史上最強のキャラは?」 この難問にマンガオタクの芸人達が「やりすぎコージー」(2006/11/18) の放送にて議論を戦わせた。 興味深かったのでその一部を抜粋して紹介させてもらいます。 品川(品川庄司) 「当然 、孫 悟空(そん ごくう) でしょう」 「(最後の方は)もう惑星を壊しますからね 「もし誰かに技をかけられたとしても、(瞬間移動で)消えれますからね。絶対的に強いですよ。」 柳原(アメリカザリガニ) 「いや、孫 悟飯(そん ごはん) でしょう」 柳原「悟空が倒せなかったセルを倒してますからね この男はキレたらものすごく強いんで・・」 品川「全然違うな。依存しているんですよ! 悟飯には悟空がいないとダメという精神的な弱さがあるんですよ。 キレないと実力だせない奴がホントに強いと言えますか?!」 柳原「違う違う! いいか? 父親の悟空は吸収する

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    laiso 2006/11/25
  • 隠れ美形ミュージシャン - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    3大美形アーティストといえばこの3人だろう。 氷室京介       櫻井敦司       稲葉浩志 彼らのその神がかったルックスは、圧倒的な存在感を見るものに与える。 ボーカルはバンドの中でも自然と注目が集まるボジションで、その美貌はバンドの知名度に拍車をかける事となる。 しかし、GLAYのJIROの様にベースながらボーカルを超えるルックス・人気を保ち、 その事が逆に息の長いバンドへと繋がるケースもある。 そういった訳で、この時代の隠れ美形アーティストをピックアップしてみました。 ユニコーン  EBI この時代のバンドで隠れ美男子を語る時に、よく名が挙がるのがEBIである。 当時全盛のビジュアル系とは正反対の正統派ジャニ系顔である。 その美形が買われたのか「若者のすべて」(木村拓哉)で俳優デビューした事もある。 WANDS 柴崎浩 ビーイング系のバンドの宿命かボーカル以外にスポットがあ

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    laiso 2006/10/21
  • <お知らせ>BLOG@GIRLS - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    ブログを続けていると予想もしない事が起こるもので・・ 今週土曜日にBS-iの番組 BLOG@GIRLSにて当ブログを紹介して頂けるみたいです。 BLOG@GIRLS 司会 :辺見えみりさん 、夏川純さん ゲスト:アメリカザリガニさん 三ヶ月ほど前にプロフィール欄にメルアドを追加してみたのですが、 当然の如くメールが来る事なんて無かった訳ですが、 一ヶ月前に届いた最初のメールが、こちらの番組のスタッフの方からでした。 えぇーと、後にも先にもこの一通だけです(笑) 「一風変わったブログを探していて紹介させてもらって良いでしょうか?」という内容で、 ドリフの様にイスからずっこけるほど仰け反って驚きました。 その後、番組のスタッフの方と直接電話で話す事となったのですが、 これまたこういう経験が無いもので「もしもし ○○ブログの菊リンと言います」と 名乗るのが正しい礼儀なのかと気で迷いました(笑)

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    laiso 2006/10/13
  • 「非実力派宣言」にみる緻密な計算 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    以前東京ドーム公演を達成した日人アーティスト一覧(*1)を書いてその集客の難しさを述べたが、 その中でも異例とも言えたのが、「氣志團」ではないだろうか。 他のアーティーストと比べ唯一ミリオンヒットを持たずにドーム公演を行ったミュージシャンである。 何故、大ヒット曲のない彼らが東京ドームを満席に出来るほどの集客力を持つのか? そこには綾小路 翔の緻密な計算が隠されている。 通称KISSES(キッシーズ)と呼ばれる10代、20代の若い女の子を中心とした固定のファン層 これはバンドをやっていればある程度つく、固定のファンとも言える。 他と違うのはヤンキー文化を取り入れる事によって得る特定のファン層 そして80年代の音楽シーンをふんだんに詰め込みパロディにする事で得る30代以上のファン層(*2) 私もコンサートに行った事があるがファン層は見事にこの3つにきれいに分かれていた。 他のアーティストで

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    laiso 2006/10/03
  • 緊張と緩和の法則 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    「緊張と緩和」とはお笑いの法則でよく使われる言葉である。 例えば下の画像を見て欲しい (コミック第2巻 第8話 黒い熱風より) これがおもしろいと感じる人は、ゴルゴ13を読み込んでいる方じゃないでしょうか。ゴルゴの独特の世界観、緊張感を知っていればゴルゴ13が笑っているという違和感がなんともおもしろい。逆に作品を数話読んだだけでは、ゴルゴの世界観まではわからないので、このコマのおもしろさも伝わらないと思う。 1969年にこのコマで笑って以来、次に笑うのは25年も後の1994年で(第333話 「力は我々にあり」)それ以後は現在まで笑う姿は確認されていない。 <自ら笑いを取りにいくゴルゴ13> (第1話 「ビッグ・セイフ作戦」より) このセリフが逆ではないかと疑ってしまう幻のゴルゴのジョーク。 1話ゆえにまだキャラ設定があいまいだったのか・・・。 この法則を一番巧みに利用しているのが、やはり松

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    laiso 2006/09/26
  • 芸人の年齢考察 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    で芸人117人にアンケートをとった結果、平均年齢27.8歳、芸歴7年で、平均年収は279万599円となった。 700万円以上の芸人が17人いる半面、50万円未満が29人だという。 高額納税者で数多く名をつらねる反面、バイトをしながら芸人を続ける芸人も数知れなく、お笑い界の所得格差は大きい。 ■ お笑い世代 第1世代 萩欽一 西川きよし、桂三枝、ドリフ、他 第2世代 ビートたけし、明石家さんま、 タモリ、島田紳助、笑福亭鶴瓶、他 第3世代 ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャン、出川哲朗、 今田耕司、東野幸治、ダチョウ倶楽部、ホンジャマカ、さまぁ~ず、他 第4世代 ナインティナイン、くりぃむしちゅー、爆笑問題、ネプチューン、 雨上がり決死隊、極楽、よゐこ、ボキャ天メンバー他 第5世代 アンタッチャブル、品庄、おぎやはぎ、長井秀和、キングコング、青木さやか、今のお笑いブームの人他

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    laiso 2006/09/25
  • 映画のキャッチコピーの名言と迷言 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    映画のポスターや予告トレーラーなどで使われる映画のキャッチコピー。 2時間もの物語をたった一言で表現させ、なおかつ観客に興味を持たせなければいけません。 唸るものもあれば失笑するものもあったりして、そんな名言と迷言集です。 <名コピー> ↑ ↑(火垂るの墓) ↑ 4歳と14歳で、生きようと思った。 ↑ ↑ ↑ ↑(102) ↑犬絶賛 ↑ ↑ ↑(シザーハンズ) ↑ 抱きしめたいのに抱きしめられない・・・ ↑ ↑ ↑(ミスター・ビーン) ↑ 遂に日政府は、この男を入国させてしまった!! ↑ ↑(エイリアン) ↑ 宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない。 ↑ ↑ ↑ ↑(アナコンダ) ↓ 叫び声さえのみこまれる ↑ ↑ ↑ ↑(ブレア・ウイッチ・プロジェクト) ↑ 怖くて、目をつぶれない。 ↑ ↑ ↑ ↑(アウトブレイク) ↑ 人類絶滅の危機、それは一匹の猿から始まった――。 ↑ ↑(紅の

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    laiso 2006/09/22
  • with T.Kが離れる時 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    1996年4月15日付けのオリコンシングルチャート 1位 安室奈美恵 「Don't wanna cry」 2位 華原朋美 「I'm proud」 3位 globe 「FREEDOM」 4位 dos 「Baby baby baby」 5位 TRF 「Love&Peace Forever」 小室プロデュースが上位を独占し、小室旋風がピークに達した年であったといえる。 小室ファミリーと定義されるアーティストは100組以上在籍し、この時代の小室旋風は圧巻の一言でした。しかし数多い為か名目上は契約期間の終了ですが、事実上の解雇通告というものが存在しました。長期にわたったり、短期間で終わったりとそのプロデュース期間もさまざまで、裏にいろんな事情があった事が見え隠れします。 どの曲がTKプロデュースの最後の曲になったのか? そのアーティストのその後はどうなったのか? を検証してみたいと思います。 大きく

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    laiso 2006/09/16
  • 「お客様は神様です」という呪文 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

    に支店を持つ外資系企業では社員に最初に学ばせる言葉が ゲイシャ、ハラキリ、スシ、そして「お客様は神様です」だと言う。 日で客商売する上では、お客様は神様だという風潮がある。 私が都内のある企業街で物販販売の店舗の責任者をやっていた時の話です。 客の半分は名の知れた企業の社員の方で、日に数千人もやってくる多忙な仕事場だった。 その時の経験はお客様は神様など到底思えぬものだった。 <ケース1> ある大手化粧品会社の女性からクレームの電話があった。何のクレームかは言ってくれない。ともかくすぐに会社の○階まで来いという。慌てて徒歩5分ほどのその会社に行ったが、アポの無い私は当然入り口で止められた。受付で事情を説明したが、名前を聞く前に切られてしまっていて、状況を説明するしかなかった。結局受付で30分も待たされた。もちろん私の店は営業中であり、30分も抜けると大きく仕事に支障が出る。 やっとオ

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    laiso 2006/09/13
  • ブンブン丸が小林尊にはなれない理由 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    ある道を究めた者にキャラをつけて戦わすと一種のムーブメントが起こる事がある。 先日書いたクイズ王なんていうのもそのひとつだと思う。 1994年 アーケードゲームのバーチャファイター2の爆発的ヒットと共にあるムーブメントが生まれた。 「新宿ジャッキー」「ブンブン丸」「池袋サラ」などの個性的なキャラが各地で生まれ、 ASAYANなどで全国放送されるほどの人気となった。 しかし、このムーブメントが下火になるのにそれほど時間はかからなかった。 ゲームというジャンルがダメだったのか? いやいや・・高橋名人、毛利名人なども輩出した推定ユーザーも何千万人といる業界だ。 その点大いというジャンルは一般人からすれば全く興味の持てないジャンルながら、 フードファイターは何故あれほどの長期のムーブメントになったのだろう。 フードファイターとゲームファイターの違いは何だったのか? 業界を牽引する人気キャラの存在

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    laiso 2006/09/12
  • 若気の至りで観てしまった映画 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    現在、映画は何十年前の作品でも簡単に観る事ができる。 南極物語、里見八犬伝、セーラー服と機関銃・・・ 時代が経った今でも、もう一度観てみたい作品はたくさんある。 しかし当時若気の至りで観てしまい、もう2度と観ないであろう映画というものがある。 そういった作品は、当時のアイドル、ミュージシャンが主演の作品がほとんどだ。 私が思春期に観た2度と観る事のないであろう作品を思い出してみた。 ぼくらの七日間戦争(1988) ここで紹介している作品の中では一番のヒット作品ではないかと思います。校則が嫌になった中学生達が戦車を使って立て篭もるね・・・・あるある(笑)。注目すべき点は宮沢りえと同等の扱いだった菊池健一郎があの人は今?状態になっている事と、ぼくらの七日間戦争2が3年後に製作されたが誰も知らない点です。 ロックよ、静かに流れよ 1988年 男闘呼組 『淋しい時、楽しいとき、俺たちはダチ・Fri

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    laiso 2006/09/07
  • 尾崎豊が太陽の破片となった日 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    1988年 6月22日 この日尾崎は「夜のヒットスタジオ」で最初で最後のテレビ出演をした。 尾崎がテレビに出るというだけで事件だったが、この放送はさらに注目を集める理由があった。 1987年 12月22日、覚せい剤取締法違反で逮捕される。 1988年  2月22日、東京拘置所から釈放。 この四ヵ月後 フジテレビ「夜のヒットスタジオ」にテレビ出演。 この「太陽の破片」はドラッグに依存するまで追い詰められた状況、そして三ヶ月の拘置所生活の中でもがき続けながら生み出した曲である。これだけの条件が揃ってれば、当然私はテレビの前で尾崎の登場を待ち続けた。この曲どうこう以前に、尾崎が普通にしゃべっているのを見た事すらなかったからだ。 尾崎はリハーサルよりも質素な格好で番に臨んだ。 そして伏し目がちで言葉少なめにこう言った。 尾崎 「どうも、ご心配をおかけしました。 僕の素直な気持ちを曲にして、これか

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    laiso 2006/09/05
  • 加勢大周を失墜させた三つの矢 ■80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ

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    laiso 2006/09/02