ブックマーク / note.com/neetbuddhist (12)

  • 宥しと受容が生ずる経路|ニー仏

    昨日の記事では「憎い相手に自分が似てしまう」ということについて、それはそもそも最初に相手を憎悪した時点で、自分の中にある嫌な部分(影)を、その他者の姿に見てしまっていた可能性もあるのではないか、という話をした。 その上で、だからといって「他者を責めるな」という主張をしたいわけではない、という留保も付しておいたのだが、これにはエントリの中で述べた「健全な批判は必要だから」ということ以外にも、もう一つの別の理由がある。すなわち、「他罰はよくないからといってやめた人が次にすることは、たいていは自罰だから」ということだ。 先回りして書いておくが、もちろん私はこのように言うことで、「自身の欠点を直視して、それを改善しようと努めること」を否定しようとしているわけではない。そうではなくて、私は「自身の欠点を直視し改善すること」と、「憎む相手を他者から自分に変えて罰すること」は、基的には区別したいと考え

    宥しと受容が生ずる経路|ニー仏
    lcwin
    lcwin 2020/01/27
  • そろそろ「風説」は終わりにしよう|ニー仏

    ジェンダーにまつわる現状の不公正を指摘し、既得権を手放さないまま他者にのみ負担を押しつけようとする人たちを厳しく批判する言説について、「正しいけど、こういうことを言っていたらモテない」と評している人を見かけて、ちょっと笑ってしまった。

    そろそろ「風説」は終わりにしよう|ニー仏
    lcwin
    lcwin 2020/01/05
    手厳しい
  • 「人間」の力では及ばないこと|ニー仏

    先日の沼田牧師との個人的な談話で印象に残っているのは、(これは他でも同様のことを公に語られているので書いてよいと思うが)牧師が、 「自分は様々な重い悩みを抱えた相談者を教会に受け入れているけれども、そうした人々の悩みを『自分がなんとかできる/しなければならない』とは思っていない。もちろん、自分にできることはするけれども、自身の能力を超えたことに関する最終的な結果については、神様にお任せしているから」という趣旨のことを語られていたことで、「ああこれが宗教の力というものだなあ」と感銘を受けてしまった。

    「人間」の力では及ばないこと|ニー仏
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    lcwin 2019/12/11
  • 「いい人」だから助けられない|ニー仏

    順調にアニメ版「美味しんぼ」を消化しているのだが、今日は「中松警部が惚れた女のアイスがまずい」という話で、それはいいのだが、中松警部が惚れた女(うたこ)の声の演技があまりにも棒すぎて笑ってしまった。動画の気の抜けっぷりもアイキャッチ画像のとおりで、昔のアニメっぽくてとてもよい。

    「いい人」だから助けられない|ニー仏
    lcwin
    lcwin 2019/10/22
  • 「恥ずかしいタイプの知識人」のこと|ニー仏

    雁屋哲さん原作の『野望の王国』が Kindle Unlimitedに入っていたので、『美味しんぼ』つながりで寝る前にちょこちょこ読んでいたのだが、最初のほうは勢いに任せた昭和のドタバタ劇画という感じだったのが、中盤以降は尻上がりに面白くなってきているので、どうも睡眠導入剤としては役に立たなくなってきている今日このごろである。

    「恥ずかしいタイプの知識人」のこと|ニー仏
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    lcwin 2019/10/22
  • その「現実」は悲鳴のようで|ニー仏

    「より汚く極端に、そしてより露悪的に表現すればするほど『リアル』に近づく」と考える人たちもいるようですが、私にはこうした言説はむしろ実情の曖昧さについて丁寧に見る労力は節約しつつ、刺激の強い言葉でなんとなく「向き合ってる感」だけは確保するという、自己慰撫的な現実逃避に見えますね。 — ニー仏 (@neetbuddhist) July 20, 2019 「私は誰よりも露悪的に語ったから、誰よりも現実を直視したはずだ」というのはもちろん中二病的な考え方なんたけど、それを必死に言わないといけない背景を考えると、しばしばその言葉は悲鳴みたいに聞こえますね。 — ニー仏 (@neetbuddhist) July 20, 2019 「刺激の強い言葉を使うことで、なんとなく『現実』を直視しているような雰囲気が出る」問題について少し考えてみた。上掲のツイートにあるように、その種の人たちが「より汚く極端に、

    その「現実」は悲鳴のようで|ニー仏
    lcwin
    lcwin 2019/09/13
    RPGだと「属性」と「状態」って割合比較的明確に分かれているのですが、リアル世界のある事象の貧困や孤立その他もろもろみたいな話だと同じものを「属性」と捉える人と「状態」と捉える人がいる。どくどくゾンビ。
  • それを言うなら、あなただって「暴力的」だ|ニー仏

    「行動するということは、他人に迷惑や損害をかける可能性があることなのだから、つまりアクティブであるということは、それ自体が他人への危害を消極的に肯定する『弱い暴力性』なのである」という趣旨の意見を目にして、ちょっと複雑なお気持ちになってしまった。

    それを言うなら、あなただって「暴力的」だ|ニー仏
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    lcwin 2019/08/25
    ハラスメントの構造みたいなことを語りたくなる文章。私的にはワーディング振り回されて、人の原罪意識の押し付けに押しつぶされて支配されたくないなとは思います。「議論」というコミュニケーションでないもの苦手
  • 塩水と呪い|ニー仏

    先日の対談キャスでもそんな話をしたけれども、「根源的な問題は自身が成長過程において抱えた心の傷なのだが、そのことを自覚/直視して癒そうとするのではなく、いま自分の耳目に触れた他人の事案で、自身の心の傷を刺激するものをとにかく攻撃することで、対症療法的にモヤモヤを晴らそうとする(ただし、人にその認識はない)」という種類の人たちというのは、なかなかしんどいものだなあと思う。

    塩水と呪い|ニー仏
    lcwin
    lcwin 2019/08/08
    古典的なカウンセリングについて書かれる文章みたいな文章
  • 無益を超えて有害なこと|ニー仏

    「一人で死ね」みたいな話が端的に駄目なのは、それが「死なばもろとも」系の人も、「もともと一人で死ぬ」系の人も、その行為を止めるためには全く役に立たず、むしろただ背中を押すだけの効果しかもたないということに尽きますよね。当に、言っている人が気持ちよくなるためだけの言説に過ぎない。 — ニー仏 (@neetbuddhist) July 27, 2019

    無益を超えて有害なこと|ニー仏
    lcwin
    lcwin 2019/07/28
  • 自覚のない権力者たち|ニー仏

    現代日で猖獗を極めている、いわゆる「お気持ち」問題については、「人間がやたらと公の場でお気持ちを訴えるのがよくない」という筋で批判を行う人もいるようだけれども、私はこれには賛成しない。別に誰だって、そうすることで他人に実害を及ぼさないかぎり、たとえば公開のツイッターアカウントで自分の気持ちを訴える自由はある。それは、存分にやっていただいたらいいと思う。

    自覚のない権力者たち|ニー仏
    lcwin
    lcwin 2019/03/04
  • 無自覚な魔女|ニー仏

    『姉ageha』という雑誌の、「おばさんになってるヒマはない」だとか、「もうoo歳だから、という言葉に心が殺されてきた」だとか、そういう内容のコピーを褒め称えつつ、とにかく悪いのは「おじさん」であると主張するツイートが(いつもどおりの)大好評を博しているのを目にしてしまい、これまたいつもどおりの嘆息をしてしまった。そのように、とにかく殴りやすそうな他者を呼び出して呪詛することとセットにしないと、自身の自由についてすら語れないというのが、まさに現代日人にとっての「呪い」なのではないか。

    無自覚な魔女|ニー仏
    lcwin
    lcwin 2019/02/17
  • 無自覚の有意味|ニー仏

    なんだかんだで、ほぼ毎日フルーツをべる機会があるのだが、「日の果物は美味しい」というのは、たしかに当だと思う。もちろん、マンゴーやパパイヤなどの南国のフルーツはミャンマーのほうが美味いのだが、それ以外の果物になると、総じて日のほうがクオリティが高い。東南アジアではなくて、欧米などに滞在した人でも同様の感想をもつことはあるらしいから、やはり技術的な卓越性があるのだろうか。 ツイッターTLの議論に触発されて、いわゆる「政治的な正しさ」について、つらつらと考える。私自身は、もっと若い頃には「事実を抑圧して維持される『政治的な正しさ』なんて全てクソだ!」とナイーヴに考えていたのだが、例えばミャンマーのように多種多様な民族が住み、多種多様な人々が、多種多様な言語を喋って多種多様な宗教を信仰している国に住んでみると、「事実」や「音」を抑圧して社会的に維持される「政治的な正しさ」にも、一定の合

    無自覚の有意味|ニー仏
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    lcwin 2015/03/22
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