1998年9月13日、21歳の日本人フットボーラーがカルチョの国を揺るがした。世界最高峰セリエAの王者ユベントス相手に2ゴール。懐疑的なイタリア人のみならず、日本人ですら予想できなかった結果を残し、自身の力を証明したのだった。あらゆる意味で常識を覆した開拓者・中田英寿とは何だったのか――。その核心に迫った『Sports Graphic Number』の記事を特別に再公開する。〈全2回の1回目/#2へ続く〉《初出:2018年9月27日発売号。肩書などはすべて当時》 かれこれ20年近い付き合いになる編集部のT君によれば、平成30年度現在のNumber編集部は、平成生まれが多数派になりつつあるのだという。 「だから、中田のペルージャでのデビューを知らない子が多いんですよ。そもそも、中田英寿って存在が当時の日本にとってどんな意味を持っていたのかも」 それはそうだろう。ベルマーレ平塚から電撃的にペル
![「僕には、ゴールが必要だった」中田英寿が“パスの美学”を捨てた理由と“異質な覚悟”《伝説の「ユベントス戦で2ゴール」から23年》(金子達仁)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/96317052feda503281ab41487cda16d75fe9b273/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnumber.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F2%2F6%2F-%2Fimg_26a3e0f788506a9cc1735fea1c8cc583165958.jpg)