- 中村が、一高でペツォルトと出会ったのは、一九三〇年のことだから、ペツォルトが仏教の個人授業を受け始めて十三年経ったころである。ペツォルトの授業は、小学校の教科書をドイツ語に翻訳するという内容だった。その授業の中で、ペツォルトはよく仏教についてドイツ語で語った。 日本では漢訳の仏教用語がそのまま用いられて、意味がすぐには読み取りにくい。ところが、ペツォルトがドイツ語で語る仏教用語は、言葉の解釈が施され、意味を理解した上で翻訳されていて分かりやすくなっていた。それによって、中村は、分かりやすい言葉で仏教を語ることの必要性を痛感したといえよう。そして、仏教用語を分かりやすい言葉で説明した『佛教語大辞典』の編纂へとも発展していった。また、仏教を思想としてとらえることも、ペツォルトとのやりとりの中で培われたものといえよう。 日本は仏教国といわれるが、公教育の場で仏教について触れることはなく、大学