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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (36)

  • 中国軍事パレードで気になったこと: 極東ブログ

    昨日、北京では6年ぶりに行われた大規模軍事パレードで、西欧諸国を除く各国から多くの首脳が参加したが、なかでも注目されたのは、国際刑事裁判所(ICC)から、人道に対する罪および戦争犯罪の容疑で逮捕状の出ているスーダンのオマール・アル・バシル大統領が参加したことだった(参照)。以下、バシル容疑者と記す。 バシル容疑者が中国共産党政府からどのような扱いになるのかは気になることでもあったので、NHKの7時のニュースで記念写真を取る様子を見たところ、小柄ながら中央に目立つ韓国の朴槿恵大統領からずいぶん離れ、正面から見て右の端のほうにオマール・アル・バシル容疑者が映っていた。 バシル容疑者への人道に対する罪および戦争犯罪の容疑は、20万人とも30万人以上が殺害され、数千人がレイプされ、数百万人が避難民となった2003年以降のダルフール紛争についてである。具体的には次のようにまとめられている。2009年

  • [書評]中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて(島田裕巳): 極東ブログ

    大変な労作だと思うし、この一作をもって私は島田裕巳への評価を変えることした。粗方は想定していたことでもあり、驚きは少なかったとも言えるが、いくつかかねて疑問に思っていたことやミッシング・ピースをつなげる指摘もあり、貴重な読書体験でもあった。 ただ、読後自分なりの結論を言えば、あの時代島田裕巳を批判していた人々と同じ地平に島田裕巳が立ってしまっているのではないか、そうすることで暗黙の大衆的な免罪の位置に立とうしているのではないかとも思えた。もっとも、彼の意識の表出としてはこれ以上はないというくらいきちんとした反省の思索の跡が見られるので、それは批判ということではない。 書がどのようなであるかについては帯書きがわかりやすいと言えばわかりやすい。 初期著作でオウムに影響を与え、麻原彰晃を高く評価し、サリン事件以後もテロを容認する発言をやめない中沢新一。グル思想、政治性、霊的革命、殺人の恍惚な

  • 極東ブログ: 仏教の考え方の難しいところ

    「仏教と大量殺人」というタイトルにしようかと思ったが、不用意に刺激的なのでいい加減なタイトルに変えた。たぶん普通の日人は仏教は不殺生の宗教なので、大量殺人を教義的に許容することなどありえないと考えるのではないか。実際夏安居などはジャイナ教かと思えるほどだ。あるいは多少日史を知っている人なら僧兵や願寺戦なども連想するかもしれないが、それでも仏教の教理において殺生を是とする考えがあるとは思わないだろう。しかし、子細に仏教を検討していくとそうとばかりもいえない。 歴史的に興味深いのは北魏における大乗の乱だろう。なぜかウィキペディアに項目がある(参照)。 大乗の乱(だいじょうのらん)とは、中国北魏の宗教反乱であるが、人を殺せば殺す程、教団内での位が上がるという教説に従った殺人集団であり、その背景には弥勒下生信仰があるとされる。 515年(延昌4年)6月、沙門の法慶が冀州(山東省)で反乱を起こ

  • 若者はお金がないから恋愛できないのだろうか?: 極東ブログ

    若者はお金がないから恋愛できないのだろうか? 私にはわからない。ある程度社会学的に考察したとき、なんらかの答えが出るのかもしれないが、知らない。 青春が1970年代後半の私からすると、私の若い時代も若者にお金はなかった。それで恋愛ができなかったかというと、そうでもなかった。それ以前に、お金がないゆえに恋愛ができないという問い自体が、どうもそもそも象を結ばない。あの時代の私に十分にお金があったとして恋愛でどう使うのか? コンサートに行く? 旅行? ちなみに映画は安かった。500円で三見れた。 問いかけはたぶん、バブル期と比較してみると、現在の若者はお金がないから恋愛できないという枠組みなのだろう。 だが、これもその時代を見てきた自分としては、やはりぴんとこない。あの時代、自分も含めてまだ若い部類の人たちは、けっこう大きなお金をくだらないものに突っ込んではいた。自分の場合はMacintosh

    若者はお金がないから恋愛できないのだろうか?: 極東ブログ
  • 3日で覚えるドイツ語、そんなことが可能なのか実験してみた: 極東ブログ

    ブログにも書いてきたが、昨年から今年にかけて、1日平均で1時間くらいの語学学習を、フランス語を120日間、そして中国語を120日間、どちらも英語を通してピンズラー(Pimsleur)方式で学んだ。所定のコースを終えてみて、率直なところどちらもまだまだ初心者といったレベルだが、それなりに学んだかなという実感はあった。辞書を引きながらなら、それなりにいろいろ読んだり書いたりもできるようになった。発音にもそれほどは困難を覚えない。 さて、ドイツ語。今回は、ポール・ノーブル(Paul Noble)の方法で学んでみた。 「みた」と過去形で書いたのは、所定の講座を三日で終えたからだ。つまり、三日で覚えるドイツ語、である。そんなことが可能なのか? その前にポール・ノーブルのドイツ語コースの構成だが、約1時間のCDが12枚でできている。他にDVDも1枚あるがこの手法の宣伝といったもので語学にはさほど関係な

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  • [書評]江戸の朱子学(土田健次郎): 極東ブログ

    先日、加地伸行の『漢文法基礎』の書評をcakesに書いたおり(参照)、江戸時代における朱子学の歴史をできるさけ最新の知見で、かつ実証的に見直してみたいと思っていた。書『江戸の朱子学(土田健次郎)』(参照)はそうした関心・視点から読んだ。そしてそこからすると、実に簡便に全体が見渡せる良書であり、また今後のこの関連の読書の手引きとなる情報を多く、レファレンスとしても有益だった。 書は、「あとがき」にも書かれているが、「専門家のみに書かれた書でないため」とあるように、一般的な読書人にとっても読みやすいレベルで書かれている。 特に、この関連の分野では実質必読文献である丸山眞男の『日政治思想史研究』(参照)、またその一般向けとも言える『日の思想』(参照)では荻生徂徠に焦点がとなりゆえに同時代性パースペクティブが失われがちだが、書ではこれに同じく国学の居宣長なども含め、江戸時代における朱

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  • [書評]7カ国語をモノにした人の勉強法(橋本陽介): 極東ブログ

    書名に惹かれて「7カ国語をモノにした人の勉強法(橋陽介)」(参照)というを読んでみた。面白かった。かなり同意できる内容だった。 書籍の名称は、たいていは出版社や編集者が付けるものだ。よく書評なのでは書名についていろいろと評が付くこともあるが、そういう場合、著者というのは困惑するしかない。とはいえ、この書名については、嘘があるというわけでもない。では、モノにしたという「7カ国語」は何か、とまず見ていく。 私はこれまで言葉と文学に関する研究を行いつつ、数多くの外国語を学んできました。母語である日語の他に、中国語、英語、フランス語、ドイツ語スペイン語、ロシア語を習得し、まだ習得には至りませんが、韓国語などを学んでいます。 「7カ国語」は、日語を含めて、中国語、英語、フランス語、ドイツ語スペイン語、ロシア語ということだろう。 韓国語についてはかなり謙遜されているので、逆に言えば、他に上

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  • [書評]代替医療のトリック(サイモン・シン、エツァート・エルンスト): 極東ブログ

    書「代替医療のトリック(サイモン・シン、エツァート・エルンスト)」(参照)は、日では、「フェルマーの最終定理」(参照)や「暗号解読」(参照上巻・参照下巻)で人気の高い科学ジャーナリスト、サイモン・シン氏の近著として読まれているように思う。シン氏の著作の訳はどれも青木薫氏に統一されていて読みやすいことも人気の一つだろう。 私もそうした文脈で書を読んだのだが、読後、書は科学ジャーナリストとして十分に書かれているものの、この分野はサイモン・シン氏にとっては不慣れなままではなかったかという印象が残った。おそらく、シン氏もその点は理解していて専門であるエツァート・エルンスト氏と共著したのだろう。 書には興味深い献辞がある。「チャールズ皇太子に捧ぐ」である。なぜか。チャールズ皇太子が代替医療に関心をもち、どちらかと言えばその推進の立場にあるため、その科学性と有効性に再考を促したいとシン氏が願

  • [書評]地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?(久繁哲之介): 極東ブログ

    地方都市が衰退している。象徴的なのはシャッター街だろう。かつては栄えていた中規模都市の駅前商店街はさびれてしまった。かつてそこで購入されていた商品は、郊外型の大規模ショッピングセンターに移った。かくして、地方の暮らしでは自動車が生活の必需品となり、自動車や公共交通などの移動手段がない人びとは、料品・日常品を購入することも困難となる。歳を取って十分な生鮮品も購入しがたく、買い物難民とも呼ばれるようになる。地域衰退の帰結のひとつだ。 衰滅していく地域をどう再生し、活性したらよいのか? 多くの人が知恵を絞り、そしていくつかは成功したと語られている。当だろうか。書、「地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?(久繁哲之介)」(参照)は、まず地域再生の成功例と言われているものが、当に成功例なのか疑っていく。 もし、喧伝された成功例が当に他の都市でも模倣可能な成功例であれば、それは

  • [書評]知ろう食べよう世界の米(佐藤洋一郎): 極東ブログ

    昨日ナショナルジオグラフィックのサイトに「イネの起源は中国・珠江の中流域と判明」(参照)という記事があった。話はタイトル通りでもあるが、発表媒体はNature誌で、原文も公開されていた(参照)。内容の評価についてだが、研究チームが「長い論争に終止符を打つことができた」と自負するほどの価値があるかは私にはわからないが、ナショナルジオグラフィックの記事、および該当論文の概要を読む限り、妥当な見解であり、さほど驚きもなかった。 というのは、最近、といっても7月だが、子ども向けの科学入門書である岩波ジュニア新書で「知ろうべよう世界の米」(参照)を読んで、話の概要は知っていた。論文概要は次の通り(参照)。 作物の栽培化は長期にわたる選択の実験であり、これがヒトの文明を大きく進歩させてきた。栽培イネ( Oryza sativa L.)の栽培化は、歴史上最も重要な進歩の1つに位置付けられるが、その起源

  • [書評]これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義(ウォルタ-・ル-ウィン): 極東ブログ

    強い通り雨が過ぎて晴天の空が現れたとき、私は小高い場所か、空を広げる場所を探す。太陽を一瞥してその反対の空を見上げる。運が良ければ、そこに虹がある。大空を渡す虹がきれいに見えているなら、円弧の外側に目を向け、もう一つの虹、薄い副虹を探す。虹はしばしば二重になっているのだ。主虹と副虹。そして、その二つの虹の色の順序が逆になっていることを確かめ、すこしうっとりとした気持ちになる。 なぜ、主虹と副虹と色の順序が違うのか? その前になぜ虹が現れるのだろうか。その説明は比較的簡単な物理学で説明できる。もし私の横に同じ虹を見ている人がいて、そのことに疑問を持つなら説明したい。なぜ? 私は虹が好きだし、その仕組みも好きだ。物理学が好きな少年だった。 そうした思いがそのまま書「これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義」(参照)にある。主虹と副虹もきちんと実験を含めて説明されている。そうだ、

  • [書評]中世哲学への招待 「ヨーロッパ的思考」のはじまりを知るために(八木雄二): 極東ブログ

    ごく個人的な興味だが、デカルトの「方法序説」を読みながら、原点になったスコラ哲学をもう少し理解しておきたい気分がしてきたので、なにか入門書のようなものはないかと「中世哲学への招待(八木雄二)」(参照)を読んでみた。スコラ哲学の基的な考え方とバリエーションを簡素にまとめた書籍を期待していたので、その点では求めていたものとは違う印象もあったが、これはこれで興味深いだった。著者は自身のグリーンボランティアの体験談を含め、一般向けにゆったりと雑感を込めて書を書いている。エッセイ的に読みやすいと言えば読みやすい。が、どちらかというと思想史というより世界史に関心ある人向けではないかとも思った。 「中世哲学への招待」と銘打ってはいるものの、実際にはヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(Johannes Duns Scotus)の紹介書と言ってよい。その名前だが、書ではドゥンスは家系名かとの推測余地も残

  • [書評]光と風と夢(中島敦): 極東ブログ

    高校の教科書には今でもおそらく収録されているだろう「山月記」の作者・中島敦の主要著作は何かと問えば複数の回答があるだろう。絶筆となった「李陵」、独自のユーモアで描かれる「南島譚」、処女作の才気溢れる「古譚」。しかし、どうしても外せないのは、長編小説といってよいと思うが、「光と風と夢」である。 当時芥川賞に落選したことからも評価の難しい作品でもあるだろう(参照)。私も十代にたしか角川文庫で読み、後、ちくま文庫の全集が出た頃にも読んだが(参照)、華麗な文体と衒学的な趣味に惑わされ、今ひとつ全貌が理解しづらい作品に思えた。が、先日から、iPhoneアプリのi文庫で嘗めるように読み返し、昨日読み終えて圧倒的な感動を覚えた。 不思議な構成の作品でもある。「宝島」で有名な英国作家スティーヴンソン(Robert Louis Balfour Stevenson)の、オセアニアのサモアで暮らす死に至るまでの

  • 職業別労働組合が奨学生を支援するといいんじゃないの: 極東ブログ

    ネットで学費援助を募集するというような話題がこのところネットにあって、公的なセクターが関わる話でもなさそうなので、私にはあまり関心が向かない。なので、そうだったら、関連した話なんかも書かなくてもいいじゃないかとも思うのだけど、まあ、雑談くらいにちょっとだけ。 以前、米国の職業別組合みたいなのものに所属していて、それなりに面白い体験でもあった。団体のプレジデントとか選ぶときも、米国の大統領選挙みたいな仕組みだったりした。規約の改定の手続きともかも、宗教的な大義みたいなものを打ち出したりして、米人は奇妙な考え方をするもんだなとか思った。そんななかで、組合のミッションとして、「今年の奨学生」というのもあった。組合で奨学生を選出して支援しているようだった。 他の組合というかユニオンがどうなっているのか知らないし、ざっとネットで調べた感じだとよくわからないのだが、そこのユニオンだと、将来学生がその職

  • 進化論的に見て人間は何を食べるべきか: 極東ブログ

    ダイエットには流行がある。その理由は、各種のダイエットがすべてヨーヨー・ダイエットを基にしているからだと私は考えている。ヨーヨー・ダイエット? ヨーヨー遊びを思い描こう。円盤が手元から離れたり近づいたりする。それを繰り返す。同じように痩せたり太ったりを繰り返す。新種のダイエットをすると一時的に痩せる。そして戻る。だからまた新種のダイエットが必要になる。ヨーヨー・ダイエットだ。今度は何? 「パレオ・ダイエット(The Paleo Diet)」(参照)かもしれない。パレオは、Paleolithic era(旧石器時代)の略語だ。石を削った石器を人類が使い始めてから農耕を開始するまでの時代。年代的には200万年前から8000年前くらいまで。要するに人類を人類たらしめる道具の使用開始から農業を営むまでの時代だ。非農業的な狩猟採集の時代でもあるし、人類が人類の身体を内蔵をの仕組みを含め、進化的に確

  • [書評]浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか(島田裕巳): 極東ブログ

    書「浄土真宗はなぜ日でいちばん多いのか」(参照)の表題の問いについて関心がある人なら、それは「おわりに」の数ページが扱っているだけなので、さっとそこだけ立ち読みすれば終わる。ただ、さっと読んでわかる回答は書かれていない。筆者の用意した回答としては「庶民の宗教だから」というのが筆頭に来るが、それが明瞭に支持された解説に拠らずややわかりづらい印象を受ける。しかし、そこは書の欠点ではない。 むしろ書全体を読めば、明瞭な答えに導かれる。つまり、浄土真宗は帯から家系による寺の相続が可能になったこと(来寺はそういうものではない)と、帯に伴う縁組みで閨閥が形成できることだ。 浄土真宗を宗教としてみるとわかりづらいが、諸侯や商店の特異とも見ればよいとも言えるだろう。浄土真宗藩や浄土真宗店とでもいうようなものである。さらに江戸時代に幕府から特別に保護されたことの要因も大きい。 ただし、それらの

    lotus3000
    lotus3000 2012/04/26
  • [書評]どうぶつしょうぎのほん(きたおまどか、ふじたまいこ): 極東ブログ

    「どうぶつしょうぎのほん」(参照)は書名の通り、「どうぶつしょうぎ」(参照)のだし、棋士でもあるふじたまいこさんのイラストがふんだんにあり、同じく棋士のきたおまどかさんのやさしい解説で書かれているので、子供でも読めるようになっている。が、読んだ印象は、どちらかというと、子供に「どうぶつしょうぎ」を教えるときの指導要領に近い。 書がなくても、「どうぶつしょうぎ」は十分楽しめる。が、その面白さを子供に伝えようというときには、手元に一冊あるとよいだろう。もちろん、「どうぶつしょうぎ」に夢中になって、もっと強くなりたいという人にも向いている。 「どうぶつしょうぎ」とは何か? 3×4という小さな盤面で、動きを簡略化した4種の駒を使う将棋である。将棋で言えば、駒は、王、歩、飛、角といったところだが、盤面が狭くどの駒も一回に一マスしか動けないから、飛・角とは違う。とはいえ、当然、将棋の簡易版、サブセ

  • [書評]スイス探訪(国松孝次): 極東ブログ

    このを知らない人なら、あるいは、この事情を知らない人なら、著者国松孝次(正しくは國松孝次)という名前を見て、あれ?と思うかもしれない。あるいは同姓同名か、と。そうではない。元警察庁長官国松孝次人の著書だ。1997年に警察庁を退いて、1999年から3年間スイス大使を勤めていた。なお、このの表紙や文中の挿絵は奥さんが描いた水彩画で美しく、ご夫の人柄がしのばれる。 国松孝次元警察庁長官といえば、1995年3月30日警察庁長官狙撃事件で、荒川区自宅マンション前で狙撃され重傷を追った人である。事件の全貌は依然わからない。しかし、国民の安全を守るべき最高の権威者であるべき警察庁長官が危機に陥るということ、また、当時は地下鉄サリン事件直後で事実上の厳戒態勢であったにも関わらずこの狙撃の隙を見せたことは、この公務にある者としては失格である。文芸評論家福田和也は、この不覚の事態に「戦前の人だった

  • [書評]それでもなお、人を愛しなさい 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条(ケント・M・キース): 極東ブログ

    先日、ウエイン・W・ダイアーの「ダイアー博士のスピリチュアル・ライフ」(参照)をざっと読んだとき、そのなかに「逆説の十戒(The Paradoxical Commandments)」が出てきて、しばらく考えこんだ。 「逆説の十戒」は多少なりとも良心的な教養のある英米人ならそらんじているとまではいえなくても、たいていは知っているものだ。あるいはなんとなく壁に貼ってあったりする有名な教えだ。旧約聖書のモーセ十戒にちなんで十戒になっているが、逆説(パラドキシカル)とあるように合理的ではない不合理な教えだ。有名なので英語版のウィキペディアにも項目がある。日語の項目はないので試訳を添えておこう。 People are illogical, unreasonable, and self-centered. Love them anyway. (人は論理的でも合理的でもなく自己中心的なものだ。それはそ

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    lotus3000 2011/06/26
  • [書評]言葉でたたかう技術(加藤恭子): 極東ブログ

    書名に「言葉でたたかう技術」(参照)とあり、帯には「ビジネスで、外交で、日常で勝つための弁論術」とあるので、そういう技術を習得したいと思って読む人もいるかもしれないし、私もそういうなのかと思って読み始めたが、そういうではなかった。そういう小手先の技術ではないというべきだろう。むしろその技術の奥義に触れた書籍であり、一読すればなるほどこうすれば欧米人と議論しても負けることはないという秘訣を知ることができる。 あえてひと言でも言えないこともない……苦労。あるいは、努力。あるいは、根性。ど根性というべきかもしれない。第一章「アメリカでのけんか修行」ではその苦労がエキサイティングに語られている。おしんアメリカに行くといった風情でもあり、江藤淳の「アメリカと私」(参照)や須賀敦子の「ヴェネツィアの宿」(参照)なども思い出す。戦後の焼け野原のなかで学問を志した青年たちは異国の地にあって歯を

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    lotus3000 2011/04/04