ダイヤモンド社 2006年1月 本書ではこの章が一番面白いのではないかと思う。 ドラッカーは8歳のとき、一度だけウィーンの町でフロイトにあったことがあるという。そのとき両親がこういったのだという。「オーストリアで一番偉い人、もしかするとヨーロッパで一番偉い人にお会いしたのだよ」 ドラッカーの母は当時では珍しい女性で医学部をでたひとだったが、フロイトとその理論について批判的だったにもかかわらず、と。 ドラッカーによれば、フロイトについては3つの誤解が広がっているという。 1)貧しかったということ、2)ユダヤ人として差別されたということ、3)ウィーンの医学界に無視されたということ、の3つである。 このすべてが間違いである、とドラッカーはいう。フロイトは裕福であり、差別されたことはなく、その説は無視されたのではなく拒否されたのだ、と。その理由について、ドラッカーはまさにフロイトの理論を用いて説明