今月に入ってイギリスで起こった大規模な暴動。先進国であるイギリスで、何故こんな事件が起こったのか。「階級社会」「不良文化」「行き過ぎた社会保障」などなど、様々な文脈で解説が試みられてきました。 「当事者すら争乱の理由が分からないという状況は、『ぼくの考える社会の欠陥』的な牽強付会の自説を宣伝する絶好の機会だ。」http://anond.hatelabo.jp/20110816094649 で、あるとしたら。このハテナのエントリー自体も含まれるのでしょうか? 続きを読む
フランス革命ではフランソワ・ノエル・バブーフが、「完全平等」の社会を実現するために階級独裁を主張した。1871年のパリ・コミューンは短期間ながら史上初めて「プロレタリア独裁」を掲げた政権となった。 プロイセンの思想家カール・マルクスは、1848年のドイツ革命で、革命勢力が敗北したプロセスを観察し、革命勢力が立法権のみの掌握にとどまり、それを執行する実体的な権力(行政権や軍事力)を掌握しなかったために旧支配階級の反革命を防げなかったことに敗因の一つを見て、革命の過渡期における「労働者階級による権力掌握」「プロレタリアートの政治支配」の必要性を強調した。マルクスはその後のパリ・コミューンにおいてその政治形態の端緒を発見した。ここから、立法権だけでなく行政権をふくめたすべての権力を労働者階級が掌握すること──これを比喩するため、立法権も行政権も掌握した共和政ローマの独裁官(ディクタトル)になぞら
■編集元:ニュース速報板より「フィリピンの貧しい子供たちから250円の義援金」 1 名無しさん@涙目です。(福岡県) :2011/08/18(木) 16:39:27.75 ID:7ec81Vu40 ?PLT(12501) ポイント特典 国境超えた小さな支援 比の小学校から東北義援金 神戸市兵庫区新開地6、中島昭光さん(71)がフィリピン・マニラで運営する私立小学校で、東日本大震災の惨状に心を痛めた子どもたちが募金運動に取り組んだ。 貧しい家庭の子らが、手作りの募金箱に投じた硬貨は158枚。日本円にして250円ほどだが、中島さんは「金額ではなく、国境を超えた応援の気持ちがうれしい」と話す。 中島さんは1983年、会社の出張でフィリピンを訪れた際、日本との貧富の差に衝撃を受けた。 学用品が買えず、学校に通えない子どもたち。はだしで歩き、破れた服を身に着けた幼児…。 以来、定年退職する
印刷 メール 津波警報、テレビ各局が色を統一 色覚障害などに配慮 関連トピックス 地震 津波速報の色づかいを新たにした速報システムのサンプル画面。大津波警報は紫、津波警報は赤、津波注意報は黄色で表示される。陸地は灰色、海は濃い青=日本テレビ提供 津波警報や注意報を地図でテレビ画面に表示する際、局によって異なっていた色合いを統一することが決まった。色覚障害者に見分けがつきにくい色の組み合わせも使われ、改善が必要と指摘されていた。複数の局から相談を受けた色覚研究者の仲立ちで各局の協力が実現した。 統一のきっかけになったのは昨年2月のチリ地震。1993年の北海道南西沖地震以来、17年ぶりに「大津波警報」が出された。「大津波警報」「津波警報」「注意報」が、赤、黄色、オレンジ、桃、白など局によってまちまちの配色で表示された。全国で長時間、津波速報の画面が放映され、色覚障害者からは「大津波と津波を見分
「新右翼」という言葉があり、いつの間にか自然に使われるようになっている。しかし、そもそも新右翼とは何なのか、またその言葉は何を意味するのかということについては、はっきりと理解されておらず、何となく使用されているのではないだろうか。 この言葉の由来について、もっともよくある誤解は、新右翼という語を、新左翼という語の右翼版だと見なすものだろう。左翼に新左翼があるように右翼にも新右翼があるだろうというわけだ。確かにそれは間違いではない。しかし、新右翼という言葉の由来からすれば、これは明らかな誤りである。 簡単にいえば、新左翼という語は普通名詞だが、新右翼はそうではないということだ。新左翼は、旧左翼に対する言葉として登場し、使用されているが、新右翼とは、そうではなく、ある特定の右翼の個別的な形容だったということである。だから、新左翼という言葉には、特定の個別的な組織を示す内実は無いが、新右翼は、特
はじめに 1990年代後半、ヨー口ッパでは社会民主主義を標榜する政党が相次いで政権に復帰するという動きが見られた。96年イ夕リアの 「オリーブの木」政権、97年イギリスのブレア政権、同年フランスのジョスパン政権、 98年ドイツのシュレーダー政権などがそうである。社会民主主義あるいは中道左派は、それ以来比較的安定 した力を示し──たとえばイギリスのニュー・レイバーは2001年総選挙でも保守党に圧勝した──、70年代末から続いたネオリべラリズムの時代に終止符を打ったかのようにも見える。しかし、このように社会民主主義が政権を取り戻したということは、それが思想的にも再生したということを意味するだろうか*1。 周知のように、T・ブレアやG・シュレーダーの掲げる「第三の道」あるいは「新しい中道」がサッチャーやコールの時代のネオリべラリズムとどれほど異なっているかについては、すでに多くの疑念が提起されて
伝統的に、ギリシャ三段論法はこんな風に書きます。 大前提: 全ての人間は死にます。(全ての B は A) 小前提: ソクラテスは人間です。(全ての C は B) 結論: ソクラテスは死にます。(全ての C は A) なんか違和感ありませんか?なんか順番がちぐはぐですね。なぜもっと自然に 全ての A は B 全ての B は C ゆえに全ての A は C と書かないのでしょうか?伝統的な論理学にはプログラミングで使う論理学とは微妙に違う考え方が出てきます。この語順についても、昔の人はバカだからわざわざ難しい書き方をしたのだと思っていました。ところが何と、これにはちゃんとした理由があったのです。なんでも、これはギリシャ語で書いたときに自然な語順になっているそうです。 ギリシア語では、主語と述語の論理の記述が逆だそうです。この語順を無理やり当てはめるとこんな風になります。 大前提: 死ぬものの中に
今年は8月15日が休刊日のため、各紙とも「8・15」の社説は14日に掲載された。今年の社説は、『毎日』を除いては、敗戦と東日本大震災を重ね合わせ、「先人」(≒「英霊」)に日本の「復興」を誓うという類の構成を取っている点で、原発問題をめぐる主張の差異(温度差)はあれ、主要紙の論理はほぼ収斂していると言える。 『産経』は、「国策遂行指導の誤りにより重大な失敗を重ね、無残な破局に至った」「66年前の日本」と、「非常事態を想定外として考えてこなかった戦後日本」――とりわけ「戦後民主主義者が集まる国家指導部」〔注:民主党政権のこと〕――の「リスク感覚」を批判し、「自ら死地に赴いた英霊の祖国繁栄の礎になるという思いに応える」ために(も)、「「強く、頼れる国」として日本を立て直す」しかない――その一環として「世界一安全な原発を目指し、これまでの技術力を発展・継承していく」べきである――と述べている。 産
韓国で使われている地図は日本が非常に小さい。これで教育された後に真実を知った韓国人はどう思うのかな(笑)→韓国で使われている地図なのにソウルが「ソウル」と書かれている件 - Togetter 韓国で使われてる地図は 日本が非常に小さい。 これで教育された後に真実を知った韓国人はどう思うのかな(笑)拡散 画像→ http://t.co/xQBPdC7 shinjihi 2011/08/18 01:31:19 「韓国で使われてる地図」なのに、ソウルが「ソウル」って書かれてる不思議。 RT @shinjihi: 韓国で使われてる地図は 日本が非常に小さい。 これで教育された後に真実を知った韓国人はどう思うのかな(笑) 拡散 画像→ http://t.co/aREyi5d noiehoie 2011/08/18 01:46:01 この[twitter:@noiehoie]氏の指摘に対して、コメント
■喪失体験と呪術 大小は様々ではあるものの、ヒトは生きていくうちに喪失体験を何度も重ねていくと思います。手術により何らかの機能を損なうこと、親しい人との別離、ペットとの死別、親や子どもを失う事・・・ 喪失体験により様々な哀しみが当事者を襲い、それは悲嘆と謂う言葉で説明されます。悲嘆の感情は通常、時間と供に変化をしますが、その変化のことを悲嘆のプロセスと説明されます。この悲嘆のプロセスとして、多く観察される症状(行動)の中に次のようなモノがあります。 それは 【自責感】 と 【不当感】 です。 前回のエントリで、どらねこは努力と願いの呪術性について乱暴な考察を行ったのですが、喪失体験を切っ掛けにして現れるこれらの症状にも呪術的なモノが大きく関係しているように思います*1。 ■自責感と不当感の呪術性 大切な何かを失った瞬間は真っ白となり深く考える事が難しい状態になることが多い事が知られておりま
原発事故以来、色々なことを考えているのだが、その一つが「なぜ日本では民意がなかなか反映されないのだろう」ということ。泊原発の再稼働容認が典型的な例。これだけ多くの人が反対しているのにも関らず(参照、参照)、必要だったはずのストレステストもなく、原子力安全委員会の形だけの二重チェック(参照)で北海道知事の再稼働容認となった。 「政治家が票集めで忙しくて実際に国を運営しているのは官僚」「官僚の業界への天下りが官民の癒着を生み出している」「マスコミはスポンサーに不利になることは報じない」などの政府やマスコミにも大きな問題があるが、国民側にも若干問題があると思う。うまく表現するのは難しいのだが、 政府は「お上」であり、市民運動とは「お上にたてつくこと」に相当する という江戸時代から続いているメンタリティが根っこのどこかにあるのではないかと思う。それが「市民運動=左翼活動」というイメージを固定化させ
こんにちは。ココロ社です。 先日、『がまんできない人のための忍耐力養成ドリル』を上梓しました。タイトルの通り、取り組むだけで忍耐力が身につくドリルなのですが、このドリルに取り組む忍耐力すらない人のための最後の手段として、「口にしてはいけないフレーズ39」も収録しました。忍耐力のない人も、「これだけは言うな」という「口を閉じるだけの忍耐力」さえ発揮すれば、最悪の事態は回避できます。 今回は味わい深い13の言葉を列挙するので、「この言葉だけは発音するまい」と銘記しておいてくださると幸甚です。 「逆に」 言葉の最初が否定から始まる人は嫌われます。「いや、ここについては先日言ったはずで......」「そうではなくて、このケースが適用されるのは......」など、よほど鈍感な人以外はこのようなフレーズで話し始めることはありませんが、それの変形が「逆に」です。 逆の話をしていないのに「逆に」で始めるの
【ワシントン=小林俊哉】米国の債務が法定上限の14兆2940億ドル(約1131兆円)に達し、オバマ政権と与野党の議会指導部が財政再建策をめぐって交渉を続ける中、オバマ大統領は16日、定例のラジオ・インターネット演説で改めて富裕層増税の必要性を強調しました。 8月2日までに債務の法定上限引き上げを行わない場合、米国が初の債務不履行に陥る懸念が出ています。 下院で過半数を握る野党・共和党は、上限の引き上げには明確な財政再建策が必要だとして、医療・社会保障制度の大幅縮小などの歳出削減案の提示をオバマ政権に要求しました。 同政権は一定の社会保障費抑制策を示す一方、財政再建には歳入面での改革も必要だとして、ブッシュ前政権時代に導入された富裕層減税の廃止、巨額利潤を上げている石油産業などへの優遇税制の廃止などを逆提案しました。 富裕層減税の廃止によって、今後10年間で3兆6000億ドル(284兆800
毎年、8月15日前後に戦争関連番組が放映される。自分はドラマはあまり見ない方なので、NHKのドキュメンタリーにほぼ限定された形になるのだが、番組の論調に少し気になる事がある。 国の方針の間違い、戦争指導の愚かさを取り上げるのは良いのだが、正しく、合理的に振る舞っていたならばいいのだろうか? 平たくいえば、「負ける戦争を起こしたことが悪い」のであって、「勝てるようにすべきだった」のだろうか。どうにも、番組の主眼がテクニカルな部分に焦点が当てるところに向いている気がしてならない。 私としては勝てようとも戦争を起こす事にも他国を植民地化する事にも反対であって、合理性の問題に矮小化して語られる事に違和感がある。 それとも、合理的に振る舞っていれば、そもそも朝鮮半島や大陸進出など行う事は無かった、という事なのだろうか。
今でも忘れない。78年頃、芦浜原発反対運動の市民団体でベ平連的な自発的活動を求めて活動してたころ仲間と思ってた人から「アンタはうっとおしい」と言われた。河田氏「キノコの会」や高木氏グループにコンタクトしてもインテリ的価値観、雰囲気共有を前提にしなければ参加を許されない雰囲気だった 16分前 webから
女性 「炎天下での高校野球は危険。ドーム球場でやればいいのに」 1 :名無しさん@涙目です。(catv?):2011/08/17(水) 15:20:10.32 ID:Ioq5wRpj0 ?PLT 高校野球をドームでやるのはどうでしょう? 年々、暑くなっていく日本の夏。この時期、高校野球を見ていていつも思うのですが、 もうそろそろ、真夏の炎天下での大会は安全上、限界なのでは・・・と。 湿度も温度も高くなるばかりの日本、試合をする生徒達はもちろん、 観戦する人達、応援(ブラスバンドやチア・応援団など)の生徒達、こんなに暑くては熱中症が心配です。 そこで、高校野球をドーム球場でやったらどうだろう?と思ったのですが、 主人に話すと不愉快そうにされ無言。息子に聞いても「そんなのダメだろ」と、 全く相手にされません。 私としてはすごくいいアイディアだと思っているのですが・・・。 全天候型
菅野完 @noiehoie 機関説論争の端緒となったのは、菊池議員(陸軍中将)による貴族院本会議での滝川事件に関する質疑。美濃部の著書の片言隻句を引用して、「学匪」「反逆者」と罵った。で、その後、美濃部は「一身上の弁明」として本会議で演説を行った。その日の貴族院は議席はもとより傍聴席も満員だったという(続く 2010-11-20 22:50:03 菅野完 @noiehoie (承前)美濃部は演説の中で「天皇主権説であれば、国際条約は天皇個人の契約となってしまう」等の例をあげながら機関説の妥当性を訴えた。一時間を超えたこの演説は、人々の共感を呼び、演説の最後には貴族院では珍しく議席からも傍聴席からも拍手が起こったという(続く) 2010-11-20 22:54:42 菅野完 @noiehoie (承前)この演説の結果、当の菊池中将から「徒に美濃部博士を侮辱したものではない。また博士の著作を通
常々尊敬している文芸批評家、山城むつみさんが書いているので手に取ってみたのだが、発売中の『群像』で、石原吉郎の「ペシミストの勇気」について2・3人の批評家や小説家で対談している。私は既に拙著『神学・政治論』でこの問題を取り上げたし、そのなかで山城さん自身の、いつになく浅い解釈を批判しもしたので、ここで繰り返すことはしない。 ただ気になったのは、この対談で、ある小説家が鹿野武一の無期限断食を「ハンガーストライキ」と捉えたうえで、「ハンガーストライキは、他人の共感を得て動かすという、極めてヒューマニスティックな行動でしょう。…それをうまく使っているんですよ。嫌らしい。」と決めつけている点である。さらに、石原氏の記述は、「本当に自分がそういう風にふるまいたかった、あるいはそうありたかった、あるべきだったということの捏造にだんだん近くなってきた」とし、「鹿野みたいな人が、こういうときだけ「ハンガー
ドラッカーをあまりにあがめ奉るのもどうかと思うのですが、私も一ファンとしてそれなりに読んできたし、いくつかのエントリで言及もしてますんで書いときます。 まず、私なりのドラッカー理解をまとめておきます。 ・ドラッカーのいうところの「経営=マネジメント」とは、人を手段ではなく目的と置いた上で、社会や組織をどう組み立て、動かしていくか、という方法論である。 ・また氏の言うところの「自らの責任」とは、日本流の自己責任論ではなく、人を目的とした時に社会や組織の中で自分がどういう役割を担うべきか自ら任じて動くべし、ということであって、むしろ「自己使命論」というべきものである。氏自身も強みを活かして稼いでいた証券の仕事をやめ、自らの使命と信じる文筆業に身を投じた。 ・いわゆるネオリベやリバタリと異なる点は、社会や組織、共同体の機能を重視することにある。ドラッカーは人の幸福にはそれらが不可欠だと考える。従
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