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政治思想に関するlotus3000のブックマーク (11)

  • オタクは右翼かノンポリか

    ロードランナー様 @shinkai35 オタク政治性に乏しい説も、オタクは右傾化している説も、あんま根拠ない説だと思うが、それよりもこの2説を唱えている論者があいまいに手を結んでいたり、時には同じ論者が両方の説に乗っかっていたりするのがむかつく。オタクけなしたいだけじゃねえのお前らという気になる。 2016-09-06 15:04:16

    オタクは右翼かノンポリか
  • アメリカの「ネトウヨ」と「新反動主義」

    ヒラリー・クリントンも演説で「Alt-right(オルタナ右翼)」を語る  Aaron P. Bernstein-REUTERS <「新反動主義」を含む「ネトウヨ的思想」がアメリカで流行り始めている。シリコンバレーの起業家、ベンチャーキャピタリストにも信奉者がいるようだ。その背景と思想とは...> ネトウヨ的思想がアメリカで流行り始めている このところ「neoreactionism」に興味を持っている。ネオリベラリズムは新自由主義、ネオコンサバティズムは新保守主義と訳されるので、ネオリアクショニズムは新反動主義とでも訳すべきか。略してNRxと書かれることもある。 最近、新反動主義を含むこの種のネトウヨ的思想がアメリカで流行り始めているようで、まとめてAlt-right(オルタナロックならぬオルタナ右翼とでも称すべきか)と称するのだが、この関係の人脈が米共和党の大統領候補になったドナルド・ト

    アメリカの「ネトウヨ」と「新反動主義」
  • 「天皇制」についてメモ - Living, Loving, Thinking, Again

    http://tu-ta.at.webry.info/200609/article_6.html *1 2006年のエントリーなのだけれど、つい最近コメントが新たに付いたよう。このエントリーとは直接関係はないのだが、「天皇制」について思っていることを若干メモ。 「天皇制」を擁護する人もそれに反対する人も、「天皇制」という特殊日的な用語をひとまずは避けて、人類学用語としての王権、政治学用語としての君主制という一般的な用語を使って、思考・議論した方がいいのではないかと思う。議論は君主制か共和制かという政体の選択の問題として進められるべきだということだ。皮肉なことに、〈反天皇制〉を掲げることによって、「天皇制」に反対する人も〈世界に唯一無二〉という天皇制イデオロギーにさらに深く絡め取られたままになってしまう。 安丸良夫『近代天皇像の形成』第二章「近世社会と朝廷・天皇」では、江戸時代の儒者たちの

    「天皇制」についてメモ - Living, Loving, Thinking, Again
  • 日本の「保守」っていいかげん - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

    でいうところの「保守」って、ものすごくいいかげんだからなあ。 日の保守派はなぜ非常識で頭が悪いのか - 狐の王国 「保守がダメ」というより、「日で保守とされているものがダメ」というか。 日の場合、政治姿勢とか政治思想の分類がインチキ。 例えば右とか左とかって話もそうだし、タカ派・ハト派なんかもそうだけど、自嘲とか揶揄とかでなんとなくできたイメージに乗っかっちゃっているだけというか、都合がいいというか。 改憲・護憲という区分に合わせ技しているのもおかしな話で。保守が右でタカ派で改憲で、革新が左でハト派で護憲。……ううむ、なんかおかしい。 そもそも「保守と改憲」「革新と護憲」って言葉セットの時点で矛盾がありあり。つか、おかしいだろ。 あと改憲がタカ派っていうのも妙。より平和にするためのハト派的改憲って発想はないんだろうか。自衛隊が嫌いなら、憲法第9条を変えさせないのではなくて、あらゆ

    日本の「保守」っていいかげん - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所
  • 植村和秀『昭和の思想』(講談社選書メチエ) - パオと高床

    まず、この語り口調の平易さにほだされる。 さらに整理のよさと手際の周到さでわかりやすいという気にさせる。それで、この、一気読みできるわけだが、来ここにあるものの持っているわかりにくさは、思想というもの自体のわかりにくさであるわけで、さらに思想が政治思想として動く昭和を捉えようとしているものであれば、致し方ないのでは、と思う。ただ、時間軸としての戦前=戦後という区分けではなく、昭和が持っていた「二つの貌」を体現している人物を定点にして論じている書は、この先を同じ著者の別ので読みたくさせる魅力を持っていた。 著者は、「理の軸」と「気の軸」を設定する。そして、「理の軸」の右に平泉澄を左に丸山眞男を置く。この「理の軸」は「政治理念によって自己形成することを生の理想とし、理念によって論理的に再構成することを重視」する軸とされる。そして、平泉澄を「皇国史観というものを非常に明晰に、論理的に作り

    植村和秀『昭和の思想』(講談社選書メチエ) - パオと高床
  • 中島岳志『朝日平吾の鬱屈』 - ものろぎや・そりてえる

  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

    lotus3000
    lotus3000 2011/03/26
    見田宗介「社会学入門」による社会分類。体験と理論を結びつける実験共同体というのはないだろうか。
  • 正義 と 臨床 - Freezing Point

    『アンチ・オイディプス(上)資主義と分裂症 (河出文庫)』 『千のプラトー 上 ---資主義と分裂症 (河出文庫)』 副題にある「資主義と分裂症」という言葉は、 法哲学・政治思想と精神病理学は、同時に考えざるを得ない 正義と臨床は同じ事業 そういう話でないなら、苦労して読み解く意味がない。 左翼系論者の多くは、「資制と精神医学を批判し、弱者を擁護すればそれが正義」という幼稚な話しかしていない。 論じる自分も関係を生き、《対象的=臨床的》に何かをしてしまっているのに、その実態を分析させず、メタ正義にふんぞり返る。 理論意識を持ちさえすれば、自分の当事者性を棚にあげられると思っている*1。 難しいのは、このモチーフをどう制度的に運営できるか。 「そのつど分析するしかない」というなら、手続きが生まれないで終わる*2。 けっきょく、「普遍化できない分析過程を地道に主張し続けるしかない」とい

    正義 と 臨床 - Freezing Point
  • また「先送り」 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 NHK曰く、 朝鮮学校無償化 結論先送りへ 8月28日 4時11分 高校の授業料の実質無償化の対象に朝鮮学校を含めるかどうかをめぐって、文部科学省は、今月中にも対象に加える方向で結論を出したいとしていましたが、政府・与党内に慎重な意見もあることから、さらに調整が必要だとして、結論を先送りする方針です。 文部科学省は、高校の授業料の実質無償化について、「無償化は、学校ではなく生徒個人に対する支援であり、朝鮮学校を対象とするかどうかの判断は、拉致など、ほかの北朝鮮の問題と切り離して考えるべきだ」などとして、朝鮮学校も無償化の対象に含める方向で検討しています。そして、省内に設けられた有識者会議が検討している、無償化の対象とする学校を決めるための判断基準が週明けにも公表されるのを踏まえて、今月中にも、朝鮮学校も無償化の対象に加える方向で結論を出したいとしていました。しかし、政府・与党内や

    また「先送り」 - Living, Loving, Thinking, Again
  • インディオは奴隷か,それとも人間か――16世紀スペインにおける議論 - Danas je lep dan.

    前々から気になっていたを読み終えた。歴史学ではなく政治学のだけれど。野蛮から秩序へ -インディアス問題とサラマンカ学派-作者: 松森奈津子出版社/メーカー: 名古屋大学出版会発売日: 2009/04/30メディア: 単行購入: 2人 クリック: 2回この商品を含むブログ (4件) を見る 近代政治思想の流れの中に,インディアス征服と取り組んだスペインの思想家たち,「サラマンカ学派」を位置づけるもの。彼らは,この未知の文明をどう扱うべきかの議論を重ねる中で,従来のキリスト教文明圏のみを対象とした政治思想から脱却し,世界全体を射程に収めた秩序観を樹立するに至った。政治思想にはさほど詳しくないのだが,何とか読むことができた 個人的にもっとも興味深かったのは第2章「理性と賢慮――インディオの性」(pp.73-185)。 ここでは,スペインの法学者たちがインディオの法的地位をめぐって行った論

  • Web評論誌「コーラ」6号 <倫理の現在形>第6回

    海外では、数万人から場合によっては数十万人が参加する政治的なデモや大衆行動、そして暴動が結構あります。しかし日では、1000人が集まるデモさえ、そんなに多くはありません。 まず私は、「なぜ日の(左派の)社会運動は、こんなにも弱いのだろうか」という問題意識から、この文章を書いています。言い換えると、なぜ日の社会運動は社会的な信用を獲得できていないのか、ということです。 もちろんそれには様々な理由があるでしょうが、私がここで考えたいのは、「社会運動と権力」の問題です。それは、社会運動内部における多様性や、運動内部の多数派/少数派の関係のあり方の問題であり、社会運動がその外部に対して持っている影響力に対して責任を引き受ける必要性のことです。こういった問題を考えて取り組んでこなかったことが、日の社会運動の社会的信用の低さにつながっていると私は思うからです。

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