タグ

*あとで読むと 書評に関するlotus3000のブックマーク (3)

  • ララビアータ:佐藤俊樹氏の『社会学の方法』 - livedoor Blog(ブログ)

    佐藤氏の新刊(ミネルヴァ書房)を読んだ。以下、その読後感想を記すことにする。 書の特徴は、単に諸社会学理論の概説とか、歴史というものにとどまらず、それらを生きた分析技法として使用する現場の勘所のようなものを教えてくれるところだろう。社会学に限ったことではないが、学問的知識は、単にまとまった完成された知の体系として学ばれるだけでは十分ではない。むしろ、自分で使って自分なりの分析道具として自由に活用できるようにならなければならないのである。その点が、とかくアマチュアの学者が苦手とするところだ。独学で理論を学ぶ人は、それを完成された形で受け取りがちである。そこで、どこが肝心の所か瑣末な所かメリハリがつかめず、金科玉条のものと奉ったり、情況に応じた柔軟性がなかったりしがちだ。職人の技のように、力量ある親方の傍で見よう見まねで覚えたり、個々人によって異なる弱点や個性に応じた手ほどきを受けたりとい

  • 松井慎一郎『河合栄治郎 戦闘的自由主義者の真実』(中央公論新社、2009年) - mahounofuefukiのメモ

    河合栄治郎 - 戦闘的自由主義者の真実 (中公新書) 作者: 松井慎一郎出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2009/12/18メディア: 新書購入: 1人 クリック: 40回この商品を含むブログ (19件) を見る 河合栄治郎の評伝。著者は相当河合に入れ込んでおり、通説では批判的に扱われる事柄(プライベートでの「奇癖」や戦時下での思想的「後退」)も好意的に解釈し、(歴史学プロパーとしてはおそらく異例だと思うが)ほぼ手放しの絶賛である。私は以前から、社会のすべての成員の「人格的成長」を社会改良の条件とみなす河合の人格主義・道徳主義的傾向を忌避しており、そうした人格主義を高く評価する書の叙述には違和感を拭えなかった。特に労働者の「人格的覚醒」を重んじる思考は「自己責任」論に通じ、「人格」による生存権の制限・差別を推進する可能性すらある。 個人的に注意を引いたのは、河合が農商務省奉職時

    松井慎一郎『河合栄治郎 戦闘的自由主義者の真実』(中央公論新社、2009年) - mahounofuefukiのメモ
  • ウルリッヒ・ベック『〈私〉だけの神──平和と暴力のはざまにある宗教』 - ものろぎや・そりてえる

    ウルリッヒ・ベック(鈴木直訳)『〈私〉だけの神──平和と暴力のはざまにある宗教』(岩波書店、2011年) ・近代社会を特徴付ける啓蒙主義や科学技術の合理性は世俗化を推し進め(ヴェーバーの表現を使うなら〈脱魔術化〉)、宗教が人々を捉える力は弱まったと考えられてきた。ところが、そうした想定とは異なり、現代社会においてはむしろ宗教回帰やスピリチュアルなものへの渇望が表面化しつつあるのはどうしてなのか? 宗教が世俗的な力を失っていくことは宗教性が力を得ていく理由になるというパラドックスに対して、書は個人化、再帰的近代化、コスモポリタン化といったベック独特のキーワードを通して現代社会における宗教現象を捉えなおすための理論的視座を提示しようとする。 ・世俗化のパラドックス:勝利したのは、ひとつは科学の世俗的合理性であり、もう一つは政治支配の現世的自己規定だった。両者は近代化の二つの主要アクターともい

    ウルリッヒ・ベック『〈私〉だけの神──平和と暴力のはざまにある宗教』 - ものろぎや・そりてえる
  • 1