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2010年1月27日のブックマーク (4件)

  • 市場万能説に代わる新理論AMHとは?

    かつて、市場は全知全能だと思われていた時代があったのをご記憶だろうか? 金融危機が起きる前、経済学の世界で30年以上にわたって幅を利かせていたのは「効率的市場仮説(EMH)」だった。これは市場は入手可能なすべての情報を反映しており、投資家は理性的で市場価格は安定しているという理論。素人ならこれが穴だらけの理論であることにすぐ気付くはずだが、専門家の間では自明の理として扱われていた。 「経済の専門家はみんな道に迷ってしまった」と、ノーベル経済学賞受賞者でプリンストン大学教授のポール・クルーグマンは言った。原因の一端はEMHそのものにある。EMHは、経済学者が真実をなおざりにして、エレガントで数値化可能な「理論」を選んだ好例だ。この理論を基に、金融機関は市場の動きを「予言」するコンピュータープログラムを作成。これを使って作られた金融商品が世界経済の崩壊を招いてようやく、EMHの欠点に人々は気付

    lotus3000
    lotus3000 2010/01/27
    物理学モデルがなくなると今度は、生物がモデルになるのね。地学モデルというのもありそう。
  • 社会/国家/代表制 - tukinoha’s blog

    ・09/11/10 今日は何度も「デウス・エクス・マキナ」という言葉を思い出した。現代人にとっては馬鹿馬鹿しく見えることでも、当事者にとっては、人間の力では解決不可能で、神の力を借りるしかない、と思うようなことがある。我々は神を持ち出すことの安易さを批判する前に、彼らの切迫感を理解しなくてはならない。 さて、大正期に主流であった「社会多元主義」が満州事変以後に「国家一元主義」へと飲み込まれていくのはなぜか、というのが最近の関心だが、それについて次のような仮説を立ててみた。社会内部におけるコンフリクトが、多元主義によっては解決不可能であると認識された結果、国家という全体性を持ち出すことで、コンフリクトの存在そのものを否認してしまうことに行き着いたのだ、と。ではどうして多元主義(それはリベラリズムと重なるところが多い)によって社会内部のコンフリクトが解決不可能であるとされたのだろうか。このこと

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  • 戦争を語ることについて――太平洋戦争開戦の日に寄せて - tukinoha’s blog

    中国に侵略戦争をおこなっていたかぎり、私たちは惰性的で無気力なものであったにせよ、抵抗意識をもちつづけてたのであった。……ところが、やがて戦争がヨーロッパに飛火し、それがふたたびアジアにかえって、日が昭和十六年の暮についにあの絶望的な太平洋戦争のなかにとびこんでいくと、私たちは一夜のうちに自己麻痺にでもかかったかのように、抵抗意識をすてて、一種の聖戦意識にしがみついていった。 高杉一郎「『文芸』編集者として」(『文学』1958.4) 昨夜はNHKで放送されていた太平洋戦争の特集番組を観ました。昭和史の専門家というわけではないので内容の批評は控えますが、その中でくり返し「あの戦争では、日人だけで310万人の方が亡くなりました」という言葉が出てきたのに対し、その「日人」とは一体誰のことを指しているのだろう、ということをぼんやりと考えていました。 もちろん戦争体験について語ることは大

    戦争を語ることについて――太平洋戦争開戦の日に寄せて - tukinoha’s blog
  • 現代の天皇制について - tukinoha’s blog

    上の記事で天皇制に触れたついでに、それについての僕のスタンスを少し書いておきます(まだ書いたことなかったはず)。 将来的に天皇制を廃止する方向を目指したいが、天皇の戦争責任だとか宮内庁の役人がどうこう、という理由で合意を形成するのは難しいだろう、というのが大まかな考え。歴史学という因果な世界に足をつっこんでいるので、そういう方面からの批判はよく耳にするのですが、はっきり言っていまさら遅いですよね。それに、福田歓一が『デモクラシーと国民国家』所収の論文で書いていましたけど、天皇制のメリットだって挙げようと思えば結構挙げれてしまう。暴力団みたいなアウトローの人々が、反権力的ではあっても反体制的ではないのだって、たぶん天皇制の功績でしょう。天皇制を批判する学者だって、叙勲という制度を通して国家のなかに位置を与えられている。 ただ、そうやって人格をもった天皇を「利用」していいのか、ということが当然

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    lotus3000
    lotus3000 2010/01/27
    あまりに蓄積が脆かったのと、未来を選択するにしても忘れ去られるのに耐えられないからかもしれません。