承前*1 田島正樹*2「朝青龍関の引退」http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/51969041.html 角力のこととは直接関係ないが、「クリシェ」を巡る、 どんな言葉も、それ単独でクリシェになることはありません。それが使はれる文脈が、暗黙のうちに俗情との結託を前提してゐる場合、それがクリシェになり下がるのです。ですから、この「俗情との結託」といふ言葉すらも、大西巨人氏が使ったときには持ってゐた鮮明な批判的エッジを失ふ場合、クリシェにならない保証はないわけです。 福沢諭吉は、当時すでにクリシェとして使はれることの多かった「国体」といふ言葉にさへ、生きた意味を割り当てました。つまり「他国に占領されない事が、国体を保持することの内実」としたのです(『文明論の概略』)。一般に学術用語は独自の含意をもつものですから、それを使はないと、短い表現で正確