87 88 89 90 91 92 93 ママ 94 0 0 0 0 0 0 0 95 96 97 98 99 100 101 102
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小学5年生に本気で恋をした カテゴリ☆☆☆ 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 22:48:04.39 ID:DHh7wfBq0 夏休みが終わり、今年はもう会えない••• 色んな葛藤があって、どうすればいいのか分からない。 小学生を好きになるのはダメですか? 本気で悩んでます。助けて下さい。 2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 22:48:21.93 ID:GmqlIkAm0 ダメです >>2 具体的になにがダメ? 4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 22:48:31.24 ID:DTNTCzBQ0 ロリコン乙 抜いてから考え直せ >>4 そういう感じじゃないんです。 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/29(日) 22:49
以下はあのAngrist and PischkeのJEP論文の超おおざっぱなまとめ。読みやすさを重視するため本文に足したり引いたりしているところが多々あるとお断りしておきます。 (追記:Regression discontinuity designの例を足しておきます。) リーマー批判 80年代にAERに掲載されたエド・リーマーによる有名な実証経済学批判がある。彼の批判は、多くの実証的な結論がちょっと仮定を変えるだけでひっくり返ることに向けられていた。*1もっと下世話な言いかたをすれば、実証する学者が自分のほしい結論が出るまで仮定やモデルをいじくり続けるので得られた結果は当然不安定になるということだろう。 この問題は、経済学における実証が純粋な実験によるものではないということに端を発している。たとえば、最低賃金を上げたときの雇用への効果を測定したいとしてみよう。通常の科学的手続きからすれば
在特会及び周辺にいる連中に心底呆れてしまう言葉が4つある。一つは「シナ」「チョン」と差別用語を平気で言ってのけるその神経だ。「シナ」は戦時中以前より中国を侮蔑するため使用される事があり、当の中国が侮蔑語であると認定しているのだ。チャイナの語源がどうこうという次元の話ではない。在特連中は「バカ」と呼ばれたら怒らないのだろうか。そしてそう呼ばないでくれと言ったとこで「バカ」と言われるならいやに決まっているだろう。人がいやがる事をするのが差別だという事に頭が及ばないのか。そして「チョン」は言うまでもなく差別用語である。前にも言ったが逃れようもない出自をもって人を侮蔑するのは下種であり差別以外の何者でもない。国と人種をもって愚弄するいわれは決してない。「日本」と「日本人」がそうであるように。ちなみに在特連中がバカだというのに私は何のためらいもない。何故なら差別用語を平気で使い人の痛みを想像しえない
諸君、余だ。 今日も今日とてヘイトスピーチや史実否定といった「愛国活動」に勤しんでいる諸君。 余は諸君に感謝している。 諸君が容易く分断されることに感謝している。 諸君の境遇に対する不満が滅多なことでは企業に向かうことがないことに感謝している。 諸君が労働運動を敵視し、労働運動により救済された人々をも敵視することに感謝している。 自分より悪条件でも働くからと外国人労働者を敵視し、自分より好条件で働いているからと公務員を敵視し、共に待遇改善を勝ち取ろうとはしないことに感謝している。その際、諸君らが自らの蔑視や嫉妬といった感情に基づいた言葉に対し必死で理屈をこねる姿を見るのはまことに楽しい。 諸君がそのようにあり続ける限り、諸君の活動により諸君の生活が向上することはなく、貧困問題が解決されることもないであろう。 そういう諸君の行動を支える諸君の性質を余は素晴らしく思う。 構造的問題を個人の努力
俳優の瓜田純士なる人物が、吉野家で同性愛者に丼や水を投げつけたのちビンタしたと自身のオフィシャルブログで公表しています。コメント欄には賛同の声が多く見られ、批判コメントは削除されているようです。また同ブログでは、その後、吉野家に(殴った相手にではなく)「謝罪をして割引券を頂く」とも書かれています。 詳細は以下。 イケメン俳優が吉野家で乱闘! 客にブチギレてビンタ - ガジェット通信 簡単にまとめると、この俳優は、 寝不足で吉野家に行き、 ゲイカップルの会話に頭に来て 丼を投げつけ、水をぶっかける 110番しようとした店員の襟をつかみ「落ち着けよコノヤロウ」と発言 ゲイ客にビンタ その後また吉野家に赴き、「謝罪をして割引券を頂く」 という主旨のことをブログに書いています。以下、元エントリから引用します。 酒が全然抜けない状態で一時間しか寝てないから 吉野家に来て 水がぶ飲みして牛丼三杯頼んで
宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』の書評などいろいろ書いてました。書評は来月掲載される予定です。 宇野さんの本は、連載で読んでいたときとはだいぶ印象が違って、いろんな意味で面白かったし刺激になりました。「雑誌で読んだし、買おうかどうしよう」と思っている方は、一度書店で手に取られることをおすすめしておきます。決して社交ではなく(笑)これは読まれるべき力作です。 ただ、書評を書くのはかなり大変でした。発売前からこんなにネットで「書評」が出てる本は他にないし、一応最初はネット上の言論をチェックしようと思っていたのですが、とても把握しきれないので諦めたというのが実情です。というか、そういう新しい言論空間こそが宇野現象の本質だと思うので(ちなみにニコ動と初音ミクとらき☆すたと宇野常寛は同じ何かを共有しているというのがぼくの考えなんですが)、書評もそのあたりに触れつつ書いています。 * それで
本当の本書の対立軸は、本書の著者も属すると思われる「理念」なくしては生きて行けない人たちvs現実で十分お腹一杯生きてける人たち との対立だと思う。この対立軸を全面に出していないために、例えば小泉政権のこーぞー改革の内実=現実の分析さえも、「平等」を犠牲にして「格差社会」を容認した、という紋切り型=「理念」の零落形態を採用するにとどまってしまっている。 http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20061203#p2 きわめて少数の例外をのぞいてほぼ思想系の本の常道であるが、本書も全くマクロ経済政策なんか歯牙にもかけず、また「格差社会」についても大竹文雄さんの議論などもどこかに吹っ飛び、その意味では浅羽氏の採用している立場はすでに指摘したけれども「理念」なくしては生きてない人&そんな人たちを主要読者層としているので、それになじみやすい?橘木先生や金子勝氏らのセ
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