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ブックマーク / macska.org (36)

  • macska dot org, 性的指向というレトリックと「性の序列化」

    前回 tummygirl さんのちょっと古いエントリーにコメントさせてもらったけれど(その際は、文意を少し読み違えた部分があったようでごめんなさい)、そうしているうちに tummygirl さんと HODGE さんとのあいだでちょっと面白い議論が起きているのでよその議論にちょっとだけ割り行ってみます。議論の流れは、ここからはじまって、それへの反論、そして再反論その1・その2、再々反論、再々々反論といったところ。 さて、割って入ると言ってみたけれど、だいたいわたしは tummygirl さんと同じ立場なので、実は議論の筋に付け加えることは特になかったりする。時と場合と相手によっては「同性愛/異性愛/両性愛」といった「性的指向」を「SM」その他の「性的嗜好」と区別することが有効な戦略で有り得ることは確かだけれど、それは同時に「性的嗜好」による差別や性の序列化を正当化する論理になりかねない(と

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    lotus3000 2010/07/31
  • 「ポリガミー」と「ノン・モノガミー」の違い - macska dot org

    Filed under queer Posted on 2004/12/16 木曜日 - 18:10:23 by admin You can leave a response, or trackback from your own site. http://macska.org/article/58/trackback/ 9 Responses - “「ポリガミー」と「ノン・モノガミー」の違い” eyes Says: 2004/12/16 - 23:45:29 - こんにちは! eyesです。トラックバックをたどってやってきました。 >eyes さんの分類だと、わたしは「モノガミーの枠を超えられない」のに無理して「ポリガミーのようにふるまっている」ように見えるかも知れない。 いや、そうでもないと思いますよ。 モノガミーとポリガミーの間に何段階もグラデーションがあるはずで、バリバリのモノガミ

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    lotus3000 2010/04/21
  • 「ネオコン左派」に転じる世俗的ヒューマニズムと「新しい無神論者」 - macska dot org

    誌創刊号(四月十日発行)に掲載された「米国を席巻する『新しい無神論者』の非寛容と、ほんの少しの希望」では、米国オレゴン州で活動する「新しい無神論者」たちのグループの活動を紹介しつつ、ドーキンスをはじめとする「新しい無神論者」論客の一部に見られる理性至上主義が他者に対するーー特に移民や少数民族など、文化的・宗教的背景の異なる社会的弱者へのーー不寛容に転じることへの懸念を表明した。かれらは米国の宗教右派による女性や同性愛者の権利への攻撃や、イスラム原理主義をかかげるテロリズム、さらにはヒトラーやスターリンの犯罪までもがすべて「理性の欠如」によって起きているかのように言うが、みずからを「理性的」と規定して「非理性的」な他者を切り捨て殲滅しようともくろむ理性至上主義こそ、むしろ危険なのではないか。 「米国を席巻する〜」ではそのようなことを伝えたかったのだが、どうも単なる「無神論者批判」「ドーキン

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  • フェミニズムと異性愛中心主義:上野千鶴子さんとの対話報告 - macska dot org

    Filed under feminism, queer Posted on 2006/08/31 木曜日 - 02:00:40 by admin You can leave a response, or trackback from your own site. http://macska.org/article/152/trackback/ 46 Responses - “フェミニズムと異性愛中心主義:上野千鶴子さんとの対話報告” oji Says: 2006/08/31 - 06:31:21 - 興味深いやりとりのご報告を読ませていただき、ありがとうございます。 >自分の中に潜む異性愛中心主義に正面から向き合うことにはならず 自分の「中に」であれ、他人の「中に」であれ、「潜む」なにかを問題化するのは行き過ぎではないか、と個人的には思います。外にあからさまに出ているそれこそ「言説」をその

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  • macska dot org >> Blog Archive >> フェミニズムにおけるポルノグラフィ否定論と肯定論の意外な近さ

    先日、反ポルノグラフィ論者で男性問題研究者のロバート・ジェンセン氏(テキサス大学)が、ポルノグラフィと男性性の問題について書いた近著『Getting Off: Pornography and the End of Masculinity』に関連した講演のためポートランドを訪れたので、積極的なポルノ肯定論者とまではいかないものの「反・反ポルノ論」程度にはこの論争にかかわってきたわたしも参加し、じっくり話を聞いてきた。その結果感じたのは、肯定派・否定派のどちらの側でも、相手の意見をきちんと聞く余裕のある人は、かなりの部分同意できるというか、同意できない部分に関しても「自分が絶対正しくて、相手は絶対間違っている」みたいに決めつけずに済むのではないかということだった。詳しく報告してみたい。 そのまえに、ジェンセンとかれのについて一応。かれはもちろん、宗教的・性道徳的な立場からの反ポルノ論者ではな

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    lotus3000 2010/01/21
    今更ブクマ。
  • 性犯罪者更生プログラムの是非、および小児性愛者との共生の可能性(ミーガン法 Part 5) - macska dot org

    最近、ミーガン法の話題が多くなっているこのサイトだが、メーリングリストやなんばさんのエントリのコメント欄などでいろいろ議論していることをこちらでもまとめておこうと思う。話題があちこちに飛んでいますが、メモ代わりという事でご了承ください。 【通常の性犯罪と比べ、凶悪な快楽殺人のケースでは再犯率は物凄く高いのではないか?】 特に凶悪な快楽殺人のケースでは確かに累犯が多いというのは知られているが、釈放後の再犯が多いというデータは多分存在しないはず。なぜなら、その種の犯罪ではあまりに犯行が凶悪であることと、最初に逮捕されるまでの累犯が多いために、一度逮捕されたら死刑・終身刑や実質上一生出られない超長期の懲役刑になって、釈放されることが滅多にないから。ミーガン法の対象となるのは「釈放された前科者」、すなわちそこまで凶悪でない犯罪者だけなので、凶悪快楽殺人犯の問題は別に扱うべき。 【勃起すると悪臭や苦

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    lotus3000 2010/01/10
    パブロフ的方法はクリストファー・ワイルダーとかみてもあまり効きそうにない。
  • 米国を席巻する「新しい無神論者」の非寛容と、ほんの少しの希望 - macska dot org

    ここ数年、米国の宗教界でもっともめざましく支持を拡大している勢力は、無神論者の集団だ。進化科学者のリチャード・ドーキンスが書いた『神は妄想である』はじめ、クリストファー・ヒッチェンス『God Is Not Great (神は偉大ではない)』、サム・ハリス『The End of Faith (信仰の終焉)』といった書籍が続々とベストセラーになるとともに、無神論を掲げるグループが全国で結成され、若い人を中心に多くの支持者を集めている。 論で「無神論」と訳されている言葉は atheism だが、この語の来の定義は「神が存在しないと信じる」ことではなく「神が存在するという信仰を持たない」ことであることを考えれば、「無神論」ではなく「無宗教」と訳した方がより正確かもしれない。そこをあえて「無神論」と表記するのは、ただ信仰がなく宗教に無関心といったニュアンスのある「無宗教」という言葉では、新しい無

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  • 北米社会哲学学会報告3/フェミニズムによる中立国家リベラリズム批判 - macska dot org

    例によって病気になって数日寝込んでいたのと、ファイトバックの会の泥沼に足を踏み入れてしまったのと、地元ポートランドで怪しげな事態が進行中なのでそっちに関わっていたのと(これはいずれ書こう)、まぁいろいろあってしばらく報告が中断されてしまったのだけれど、いい加減自分の記憶が怪しくなりつつあるので北米社会哲学学会レポートを再開する。今回は、フェミニズム哲学によるリベラリズム批判の発表について。 まず取り上げるのは、ネヴァダ大学リノ校哲学部助教授の Hye-ryoung Kang によるジョン・ロールズ批判。よく知られているように、ロールズは主著たる『正義論』(っていま絶版なの?)において、「無知のヴェール」によって自分の属する民族や性別といった属性についての知識を持たない「原初状態」において、人々が自らの意志で合理的に同意するであろうとする正義の原理を打ち出した。その「原理」の具体的な内容につ

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  • DVシェルター廃絶論−−ハウジング・ファーストからの挑戦 - macska dot org

    ドメスティック・バイオレンスを、私的な関係における私的なトラブルではなく、社会的な対策・介入を必要とする社会問題であることがはじめに主張されたのは、とくに英米両国における第二波フェミニズムの盛り上がりの中においてだった。当初は「バタード・ウーマン」(殴られた女性)という言葉で呼ばれていたそれが、広く社会問題として認知されるにつれ、より範囲の広い−−被害者を女性に限らないという意味だけではなく、精神的・経済的な拘束も射程にいれた−−「ドメスティック・バイオレンス」(DV)という言葉が採用されるようになった。そして米国における一九九四年の「女性に対する暴力法」、日で二〇〇一年に施行された「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」といった法的制度が整備され、また各地に被害者の保護とDV防止をよびかけるさまざまな支援団体や相談窓口も設置された。 そうした支援設備のうちもっとも良く知ら

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  • DV被害者支援を志す人はマツウラマムコ著「『二次被害』は終わらない」に絶望せよ

    サブカル路線に走った軽い記事に混じって「女性学年報」第26号に掲載されたマツウラマムコ氏の論文「『二次被害』は終わらない 『支援者』による被害者への暴力」を読む。マツウラ氏はこのブログにもたまにコメントをくださっている方で、性暴力やドメスティックバイオレンス(DV)への取り組みにおける「支援者の暴力」の問題に関してわたしと似たアプローチを取っているのだけれど、わたしが常々問題としているような「DVシェルターにおける権力構造」みたいなある意味社会設計によって解決可能な問題よりさらに奥にある解決不可能な構造的問題まで射程を伸ばしている点で評価できる。 わたしの「支援者」批判の論理は大きく2つに分けられる。1つはDVシェルターをはじめとするフェミニズム系の団体にありがちな構造上の問題であり、もう1つはそれを支えるフェミニズム発祥のイデオロギーというか「気分」だ。前者について詳しく言うと、例えばシ

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  • 反売買春系フェミニスト団体を見学して感心したこと - macska dot org

    フェミニズムにおける激しい論争のひとつに、売買春に代表される性労働/性産業をどう評価するかというものがある。その大まかな分類は以前「売買春とフェミニズム理論4分類」で紹介したし、わたし個人の立ち位置は過去エントリ「『性労働者のためのクリニック』をめぐる論争」や『バックラッシュ!』キャンペーンブログ内エントリ「性労働者コンファレンス@ラスヴェガス報告」に詳しい。 反売買春をかかげる女性団体やフェミニスト団体ーー必ずしもすべての女性団体がフェミニスト団体ではないーーは昔からあったけれども、1980年代には法学者キャサリン・マッキノンらが中心となってポルノグラフィや性産業を厳しく規制する条例を作るなど法律を使った活動が活発になった。わたしの住むポートランドでも、性産業の撲滅を掲げるフェミニスト団体がいくつか設置された。そのうちの一つの活動を見に行く機会が最近あり、とても驚かされたので、紹介したい

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  • 在特会と通じる性質を見せる「反在特会」の取り組みと、「上から目線のエセインテリ」 - macska dot org

    某秘密主義メーリングリスト(フェミニズムやジェンダー系の運動情報を共有するという目的で超有名な大学教授たちによって設置され、千人を超える参加者を集めているにも関わらず、その存在を明示的に言及することすら禁止されているという、おそろしいメーリングリスト。検索すると誰かがtwitterで独り言をつぶやいているかもしれないけど、独り言だから秘密を破ったわけではない)で議論となっているある問題について、大切なことだと思うのだけれど、時間がないからブログに書くのは厳しいかなぁ、と思っていたところ、思わぬところから突然メーリングの外で批判されたので、返答を兼ねて書く。ただでさえ少ないわたしの睡眠時間を削ることになるけれども。 議論の発端は、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)という排外主義団体が朝鮮学校に押し掛け、「スパイの子どもたち」「朝鮮学校を日から叩きだせ」と騒いだ問題に対して、在特会に反

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  • macska dot org 差別についての、ごく基本的な考え

    最近別ブログ *minx* のほうで関わった論争に関連して、差別についてのわたしの基的な考えを明らかにしておく必要があると思ったので簡単にまとめてみます。ていうか、以下に書くことはほとんど以前某掲示板で書いたことの再掲なので、お馴染みの読者もいるはず。ただし、最近の論争もそうなのだけれど、差別について議論する際に常にわたしがここで書く通りの意味で「差別」という言葉を使っているわけではない(相手がある議論では、相手に定義を合わせることもある)ので、そのあたりは分かってね。 まず差別という語を goo を通して『大辞林』で調べてみると以下のように書いてあった。 (1)ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。 「いづれを択ぶとも、さしたる—なし/十和田湖(桂月)」 (2)偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また

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  • 「蔑視」と「偏見」/自衛的行為を装う「合理的な差別」に対抗するための倫理 - macska dot org

    Filed under economics, feminism, pop culture Posted on 2007/03/26 月曜日 - 00:02:38 by admin Responses are currently closed, but you can trackback from your own site. http://macska.org/article/184/trackback/ 61 Responses - “「蔑視」と「偏見」/自衛的行為を装う「合理的な差別」に対抗するための倫理” macska Says: 2007/03/26 - 17:14:59 - うわ、The New Republic 最新号に『ヤバい経済学』批判が載ってるよ。というか、レヴィット人への批判って感じじゃなくて、かれ一人だけなら許せるけど、かれの真似をしてクレバーかつ奇妙な研究をやりた

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  • macska dot org Blog Archive 売買春合法化論者に問う:「コンドームなしの売買春」増加にどう対処するか?

    Filed under economics, sex trade Posted on 2006/07/26 水曜日 - 19:57:41 by admin You can leave a response, or trackback from your own site. http://macska.org/article/148/trackback/ 43 Responses - “売買春合法化論者に問う:「コンドームなしの売買春」増加にどう対処するか?” 純子 Says: 2006/07/26 - 23:55:21 - まずは、対策を考える前に、現状を把握しておこう。 日の場合は、戦前が(4)で、戦後はタテマエ(2)の実質(3)。 売春防止法は、「日国民は買売春はしてはならない」と規定しているけど、罰則が設けられていないから、これは「なるべくしないようにね」という意味。 実質的には

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  • macska dot org » Blog Archive » わたしは左翼であるのかないのか、あるいは経済学をこのブログで取り上げる理由

    最近、このブログのコメント欄や別ブログの方でちょっとくだらない議論をいくつかやってしまったのだけれど、その中でわたしのことを「左翼」と決めつける人がいたり、また別の人が「左翼とは思わない」と書いたりと、わたしの政治姿勢そのものが議題となった。また、どちらのブログにおいても経済学に関連した話題を取り上げることが最近増えており、なぜフェミニズムやセクシュアリティなど社会的公正の問題を中心的に扱っているブログにこうして経済学の話が頻出するのかと疑問に思っている人もいるのではないかと思う。来わたしがどういう思想の持ち主であっても言っている内容を議論するのに関係ないだろうとは思うのだけれど、左翼フェミニストだから云々と「隠れた意図」まで想像されてあれこれ言われているようなので、今回はそのあたりを以前にも軽く取り上げた Thomas Sowell『A Conflict of Visions: Ide

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