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ブックマーク / www2.ttcn.ne.jp/~oda.makoto (2)

  • 共同体というものをどう想像するか

    歴史主体」論争への人類学的介入 ――共同体というものをどのように想像するか―― 1 「歴史主体」論争とポストモダニズム 加藤典洋の「敗戦後論」とそれに対する高橋哲哉の批判から始まった「歴史主体」論争と呼ばれる論争で提起された重要な問いは、日人というネイションを名指しした他者の訴えに応答することと、ネイションという枠を脱構築することを、どのようにつなげることができるのかという問いであったように思う。すなわち、この論争の特徴は、国民としての主体化を拒否し、ネイションといった共同体を超えることを目指していた戦後世代の「ポストモダニスト」たちのあいだで起こった論争だという点にある。そして、そこが、質的にはポストモダニズムを国民意識の基盤への攻撃者とみなす排他的なナショナリストたちの運動である「自由主義史観」や「新しい歴史教科書をつくる会」と、それを日歴史修正主義として批判する側とのあいだ

    lotus3000
    lotus3000 2011/07/13
  • 共同体というものをどう想像するか

    1 「歴史主体」論争とポストモダニズム 加藤典洋の「敗戦後論」とそれに対する高橋哲哉の批判から始まった「歴史主体」論争と呼ばれる論争で提起された重要な問いは、日人というネイションを名指しした他者の訴えに応答することと、ネイションという枠を脱構築することを、どのようにつなげることができるのかという問いであったように思う。すなわち、この論争の特徴は、国民としての主体化を拒否し、ネイションといった共同体を超えることを目指していた戦後世代の「ポストモダニスト」たちのあいだで起こった論争だという点にある。そして、そこが、質的にはポストモダニズムを国民意識の基盤への攻撃者とみなす排他的なナショナリストたちの運動である「自由主義史観」や「新しい歴史教科書をつくる会」と、それを日歴史修正主義として批判する側とのあいだの対立とは根的に違っていた。 しかし、先の問いは、加藤の議論と「自由主義史観

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