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Ethicsに関するlotus3000のブックマーク (3)

  • ひきこもり臨床論としての美術批評 - Freezing Point

    斎藤環『アーティストは境界線上で踊る』(みすず書房)刊行記念のトークショー、 斎藤環×岡崎乾二郎 「アートに“身体”は必要か」 を熟読した(掲載は『みすず(no.563)』2008年8月号)。 これを私は、美術批評であると同時に、ひきこもり臨床論として読んだ。 岡崎乾二郎の議論は、斎藤環の「発想のあり方」へのあからさまな批判なのだが、斎藤は最後までそれに気づいていないように見える。 私はこの対談を、ひきこもりや就労支援の関係者にこそ読んでほしい。 誰かの努力や存在が社会的に排除され、誰かがぬくぬくと「内側」にいることになっている*1。 そこに批評を口にするときの態度の違いは、そのまま支援案のちがいになる。 排除された努力や存在を受け止めるときに(あるいは無視するときに)、どんな発想が必要なのか。 作品であり、労働過程である私たちは、単に全面受容されるべきではない。 では、どんな厳しさが必要

    ひきこもり臨床論としての美術批評 - Freezing Point
  • うのもえ 第4話 「三つの決断主義」 - ukparaの思索メモ (つねに未完成)

    蒸した部室に、Aさんが帰ってきた。 帰省先でも町角のしなびた屋で『SFマガジン』の最新号をせっせと買い込み、宇野常寛さんの連載「ゼロ年代の想像力」を読んでいたというのだから驚きだ。なんという宇野萌え。 S-Fマガジン 2007年 10月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2007/08/25メディア: 雑誌 クリック: 7回この商品を含むブログ (15件) を見る B「好きだねえ・・」 A「まあね」 B「で、どうよ、今回は」 A「うーん、『ワタクシは決断主義を徹底して前提化し、謙虚でエレガントな決断主義、つまり、思考停止と暴力とを肯定しない決断主義を、めざすのであります』っていう結論になっているんだけど、、」 B「ほほう」 A「なんだか、決断主義って言葉の意味がだんだん広がってきているような気がして、ちょっとねえ・・」 B「ちょっと?」 A「うーん、もっと明確に言葉を使っ

    うのもえ 第4話 「三つの決断主義」 - ukparaの思索メモ (つねに未完成)
  • なかったことにできない - Freezing Point

    私は、社会参加も、人の集まりも、セクシュアリティも、訪問支援も、耐えがたいものとして主題化している*1。 ところが “支援者” たちは、「つらいけれども、順応できる何か」だという。 彼らは、飼い馴らせることを前提にしか論じない。 私自身が、「社会参加するには、そうしなければならないのか?」と繰り返し譲歩する*2。 廃棄できない政治性を考えることは*3、それを飼いならせると思い込む人たちに忌避される(「こいつさえいなければ…」)。 彼らが抑圧し、なかったことにするのが社会性だと誤って思い込んだものに固執し抜くことが私にとって最善の良心であり、この作業を持続させない人と私は関係を維持できない。 その時点で、私の社会参加はほとんど破綻している。 優等生的な支援論にこれほどひどい怒りがわくこと。 メタ談義のインテリごっこや、共同体を前提にする支援イデオロギーのナルシシズムにも耐えられない。 それで

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