「られる」「れる」の本来の字義は、「自発」です。「自発」とは「自然の成り行き」です。 (example) ・ここにくると、子供の頃のことが懐かしく思い出される。 さて、「可能」について見てみます。 どうやら、大昔の日本人は、「可能」ということを、自分自身の奮闘努力の結果得られる物ではなく、「外部から、そういうことができるようになる状況が次第に整えられる」という具合に把握していたような感じなのです。これは、可能を意味する別な表現-「できる」と言う表現にも表れています。「できる」は、「出てくる」ということで、形を成して自然発生的に現れてくることを意味します。自発「れる」「られる」が可能に転用されたのも、同じ思考が働いていたのでしょう。 日本は自然環境が豊かで、様々な海の幸、山の幸に恵まれている一方、自然災害も多かったと言うことと、可能を自発と同一視する思考様式とは、関係があるのかもしれません。