タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

書評と自分用に関するlylycoのブックマーク (6)

  • “世代の枠を超える非コミュのバイブル”中島義道『孤独について』(文春文庫)|ボクノタメニ泣イテクレ > 書評

    欺瞞を捨て自己の内に沈潜する 選択的非コミュの自画像 中島義道『孤独について 生きることが困難な人々へ』は徹底した自分語りの書だ。語られるのは、どこまでも孤独な自分史である。読み始めてみると、まるで他人の粗を論い非難しているかのような口調に少し戸惑いを覚えるかもしれない。確かに、一見、世を拗ね、孤独を他人のせいにするかのような批判的描写が随所に見られる。著者のナイーブな精神を勘定に入れるにしても、それは自業自得ではないか、といいたくなるようなエピソードも散見される。そこで、ただ突っ込みを入れて思考停止してはいけない。その違和感こそが選択的孤独を理解する第一歩である。 封建的でエリート意識の強い両親の家系、夢追い人の父、その父に死ぬまで恨み言を吐き続ける母、無理解な教師たち、無邪気で無神経な級友たち、退屈な哲学の講義、助手の自分を執拗にいじめる大学教授…。とにかくその描写の辛辣さには遠慮がな

  • “超「実用」ワナビー養成ギプス” 勝間和代『読書進化論』(小学館101新書)|ボクノタメニ泣イテクレ > 書評

    たった一冊ので、 読者×著者×販売者の利益を最大化する。 勝間和代読書進化論』はそれ自体がとても戦略的なだ。から利益を引き出す方法を説きながら、この自体がそれを実践するという、みごとな二重構造になっている。著者の言葉を借りるなら「ポジティブ・フィードバック・ループ」を意識的に起こす仕掛けである。内容は基的に著者自身の実績がベースになっている。つまり、著者がどのように読書し、読者から著者になり、どれほどの成果をあげてきたかが具体的に語られる。これはに説得力を持たせると同時に、成功者としての著者を強くアピールする。著者が読者の憧れとなり、目標となるのである。 「勝間和代から学びたい」、或いは「勝間和代みたいに成功したい」。それが書を有効利用しようとする読者にとって、最も大きな動機のひとつとなる。勝間ワナビーになることから始まるのである。これは決して悪いことではない。こうした自己

  • 伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史』(新潮文庫)|ボクノタメニ泣イテクレ > 書評

    主観と客観の狭間に立つ著者の視点は、一見奇妙な均衡の上に成り立っている。 書『兵隊たちの陸軍史』は、文字通り兵士にとっての戦争の記録である。そこには、政治的、或いは、国際的、歴史的視点などからは窺い知れない、戦いに赴く者にのみ感得し得る戦争の景色がある。戦争を実感として語り得る世代の作家として、資料にあたり、同胞の声を聞き、一冊のに纏めた著者の声に、ぼくたちはただ虚心に耳を傾けるよりない。こんな風に書くと、ある種の偏向の臭いを嗅ぎ取って拒絶反応を示す人があるかもしれない。だとすれば、それんなものは杞憂だ。著者の具体を語る筆致は淡々として虚飾がない。悪くいえば無味乾燥ですらある。 戦争にはさまざまなレイヤーがある。もっとも具体的な戦争を戦ったのはいうまでもなく戦場に赴いた兵士たちだ。レイヤーが上層に向かうほど戦争は抽象化する。そして、抽象の頂にあったのが天皇という言葉である。常に具体を目

  • 絲山秋子『ニート』(角川文庫)|ボクノタメニ泣イテクレ > 書評

    絲山秋子『ニート』を読んだ。 タイトルだけを見て判断してはいけないだと思う。この著者は決して類型を描いているわけではない。テレビで特集されるようなニートなんて出てこない。そういう疑念は捨てていい。ただ、世間的にはニートと呼ばれるのかもしれない、そういうどうしようもなく行き詰った生き方の男が出てくるだけだ。彼はまったく典型的なニートではない。その意味で、この作品に通り一遍のリアリティは希薄だ。こんな男の存在は簡単には想像も共感もできない。それを受け入れる女も然り。が、それを共感させる。この共感は性別を超える。いや、性別に限らずあらゆるカテゴライズを拒否している。 表題作の「ニート」とその後日談である「2+1」で描かれるふたりの関係性は、友人だとも恋人だともいい難い。ともすれば拾ってきたでも飼っているように見える。自立させたいのか、ペットにしたいのか、それすらも曖昧模糊としている。ドライな

  • 劇団ひとり『陰日向に咲く』(幻冬舎文庫)|ボクノタメニ泣イテクレ > 書評

    劇団ひとり『陰日向に咲く』を読んだ。 いくら恩田陸の推薦文がついていても単行を買う勇気はなかった。でも、気にはなっていたので文庫化を機に購入。買って良かったと思う。実は、ぼくは劇団ひとりの芸をよく知らない。まともにネタを見たことがない。ただ、色々な「人」を演じているらしいということだけは知っていたし、断片的には見たこともある。結構前のことだけれど、これはテレビ向きじゃないな、と思った記憶がある。そして、あれはきっと「人」に興味がなければできない芸だろうとも思った。そんな「人」への視線が芸ではなく小説になった。そういうことなんだろうと思う。つまり、これは彼の領である。 繋がる連作短編の見のような作品だ。もっと情に訴えることに主眼を置いた作品を想像していたから、これは嬉しい誤算だった。劇団ひとりという人は、もしかするとミステリ好きなのかもしれない。親しみやすい文体に油断していると、アっと

  • 道尾秀介『向日葵の咲かない夏』(新潮文庫)|ボクノタメニ泣イテクレ > 書評

    道尾秀介『向日葵の咲かない夏 』(新潮文庫)を読んだ。 なんとう綱渡り。思い付いてもこれは普通書けない。書いてもうまくいくと思えない。実際、最初の辺りは、なんて下手糞なんだとイライラしながら読んでいた。まんまと騙された。物語世界に横溢する違和感が理解できないせいで、それを著者の実力の故と誤解する。人物描写の感覚的齟齬にデビュー2作目だからと新人故の稚拙を見る。違う。下手なのではない。それはギリギリの綱渡りの結果である。その違和感こそが物語の核なのである。しかも、極めてフェアにその世界観は最初から提示されている。ここまで高度に論理的に決着するとは最後の最後まで思えなかった。凄い。 ミステリとしてはとても面白いと思う。ただ、扱われる題材には好悪が分かれるだろう。はっきりいえば、あまり気持ちの好い話ではない。かなり陰とした話である。しかも、その陰とした世界を見せているのが子供なのである。同級

  • 1