ずっと笑顔を絶やさなかった浅田の目がうるんだ。優勝後の会見。これまでの優勝との違いを聞かれると、「本当にうれしいですし…、(母も)喜んでいると思います」と言葉をつないだ。 いつも寄り添ってくれていた母、匡子さんが9日に死去。悲しみの中での強行出場だった。葬儀翌日の13日からリンクに戻ったが、この間の休みがスケートにも影響していた。佐藤信夫コーチは「急激に練習を再開したので、筋肉痛を起こし、なかなか痛みが取れなかった」と打ち明ける。 ピンチを支えたのは、日々の鍛錬の積み重ねだった。佐藤コーチは「日ごろの努力の継続で、体が動いたんでしょう」とうなった。 オフは匡子さんの病床時も体幹を鍛え続けた。フリーの後半まで、滑りきる体力を培った。代名詞のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に頼らない演技を目指し、オフにスケーティングやステップの技術を磨き、“脇”を固めた。 「笑顔で、華やかに伸びやかに滑る